*17* 結婚式と花束②
「ええ、と……あの、ありがとう、ございます」
「いや、その……礼を言われるようなことでは。俺が見たまま、思ったままのことを口にしただけだ」
違うんです。お代わりを期待した訳ではないんです。断じて。先に変にどもった私が悪いのだけど、褒められることに慣れてないだけなんです。本当に。
恥ずか死んでしまいそうな居たたまれなさから咄嗟に「明日」と紡げば、すぐにホーエンベルク様から「明日?」と疑問符のついたオウム返しが飛んで来る。会話能力が低いな私。
「ホーエンベルク様は、明日お発ちになるのでしたね」
「ああ、計画病欠のことか」
真面目な彼の口から出た不真面目な造語に思わず笑い、会話を繋げようとした矢先にどこからか「おーい」と間延びした声が聞こえて。
ブーケトス会場に続々と集まり出した招待客達に紛れ、こちらに向かって歩いてくるアグネス様とフェルディナンド様の姿。私が木陰から出て手を振ると、アグネス様も元気一杯に振り返してくれた。
「はー、良かった。間に合ったっぽいよアグネス嬢」
「エリオット、お前アグネス嬢と一緒だったのか。急に消えるから探していたんだぞ? いなくなるならなるで、一声かけろといつも言っているだろう」
飄々とした様子で合流してきたフェルディナンド様は、珍しくカッチリとした装いに身を包んではいたものの、ホーエンベルク様の兄のようなお小言に「はいはい、ごーめーんー」と悪びれずに答え、直後に呆れ顔の彼からデコピンを食らって悶絶していた。よっぽど痛かったんだろうな……。
そんな気心の知れた間柄故の折檻を見届け、こちらはこちらですっかり元通りかそれ以上に美しくお色直しをしたアグネス様に向き直った。
「お帰りなさいませアグネス様。気のせいでなければなのですが、お化粧の色合いを変えられたのですね?」
「ただいま戻りましたわ~ベルタ様。ええ、ええ、そうなんです。さっきの薄紅系から新緑系に変えてもらいましたの。流石に劇団の方達は崩壊した顔面の修復も手慣れたものですのね~。考えてみれば汗も涙も同じ水ですもの」
その言葉通りさっきまでとはアイシャドウの色や、ファンデーションの下地の色が違う。お化粧直し前は愛らしい少女っぽくて、いまは知的な女性っぽさがある。どちらも似合うけれど、季節的には後者のグリーン系が良いかもしれない。
瞳と同じ水色のドレスに身を包んでいる彼女は、さながら森の妖精だろうか。感心して明るい場所で「とても素敵です。季節感にもバッチリ合っていますわ」とグルグル眺める位置を変える私に、アグネス様が「照れますわね~」と笑う。劇団のメイク班にはあとで金一封を差し上げねばなるまい。
「うんうん、悪くないよ。横で見ててちょっと壁画直すときを思い出したけど」
「エリオット。お前……その表現もだが、女性の支度を横で見るのはどうなんだ?」
「いや、だってアグネス嬢に合わない色とか使われないか心配でさー。舞台の化粧だと濃くなるかもじゃん」
「そうは言ってもお前にも化粧の造形はないだろう」
「本当にヴィーは頭が堅い奴だなー。色合いを考えるのは絵も化粧も同じだって。ねー、ベルタ先生?」
突然話を振られてもメイクはほとんど侍女任せな私としては、同意しても良いものか少々悩んでしまう。
けれど確かに言われてみれば、顔料も染料も色を考えるのは同じという広域の判断で「類似点は……あるかもしれませんね?」と返しておく。
前世だと確かに人間に直接絵の具を塗って、ポスターと同じポーズをさせるようなアートもあった。しかし当然ながらこの国にはまだあの奇抜なアートはない。大陸全土だともしかしたらあるかもしれないが、少なくともいまこの国であの画風を始めたら第一人者になれるだろう。
「そう言えばアグネス様、マリアンナ様とアウローラ様とご一緒に控え室に向かわれたはずですが、ご一緒ではないのですか?」
教え子はともかく、この姿のアグネス様をマリアンナ様が放っておくはずがないのにと訝かしんでいると、彼女はポンと手を叩いて「あの子達ならあちらの最前列におりますわ~」と言い、若い娘さん達でごった返すブーケトス会場の最前列を指差した。
「まぁ……マリアンナ様はご結婚に前向きなのですね。ですが、アウローラ様は何故あそこにいらっしゃるのでしょう?」
もしやフランツ様では不安なのだろうか。だとしても第二王子よりも現状彼女を生き残らせるルートに導ける人材はいないはずでは――……と。
「いえ、マリアンナ様にそういう意図はないかと。アウローラ様のあれはベルタ様への愛情ですわ~」
「私への愛情?」
「はい。だってベルタ様、もうすぐ今日の主役たる妹さんが花束を投げるのに、このままここにいらっしゃるおつもりでしょう~?」
にこにことしたアグネス様の発言に図星を刺され、思わず一瞬凍りつく。するとそれを聞いたフェルディナンド様から「え、そうなの? 何で?」とごく自然なパスが回ってきた。
「言われてみれば、確かに花束を受けとるならもう少し前にいた方が良いとは思うが……俺が呼び止めたせいなら、いまからでも前に――、」
二人の発言を聞いて顔色を変えたホーエンベルク様がそう言いかけたそのとき、本日の式の進行役が「これより花嫁から次の花嫁候補へと花束を投げますので、未婚女性の皆さん、前の方へとお寄り下さーい!」と声がかかった。
三段ほどある壇上には、こちらに背を向けて立つアンナの姿がある。木陰の私とアグネス様を手招く進行役に向かい思わず首を横に振ってしまった直後、進行役が頷いてカウントダウンを始めた。
――が、これに慌てたのはホーエンベルク様だ。次いで私も慌てる。だってアグネス様がまだここにいるんだもの!
とはいえ良いご縁を望む若い女の子達の中に男性が割り込むのは無粋に過ぎるし、頷いてしまった手前私も前に出ようとするのを躊躇った。
その間にもカウントダウンは続き、ついにカウントがゼロになった瞬間、アンナの手からカスミソウとラベンダーを合わせたウェディングブーケが離れ、一斉に黄色い歓声が上がる。
綺麗な放物線を描いて飛んだブーケは周囲の女の子達に阻まれ、背の低い教え子とマリアンナ様の手では懸命に伸ばしたところで届かない。
そう冷静な判断を下したそのときサッと現れた影のようなものがブーケの軌道を変え、教え子とマリアンナ様の掲げた腕の中に落ちた。何が起こったのか分からずはしゃぐ二人は微笑ましい。しかし、見間違いでなければあれは……。
「ガンガルだな」
「嘘、見えなかったわオレ」
「あらあら、約束された勝利というやつですわね~」
三者三様の答えを聞いて自身の勘違いでないことを知ると同時に、壇上からこちらを振り返ってにんまりと笑う妹を見て、周囲で残念そうな声を上げる彼女達に心の中で謝ったわ。




