*16* 結婚式と花束①
新たな人生の一歩を歩み出す若い夫婦のために、教会の鐘の音が真白い六月の陽射しを降らせる空に響く。
サラサラ、サラサラ。視界の先で真珠色の漣が揺れる。大きく広がったその漣の発生源は、私の自慢の妹だ。その姿は『重版もぎ取って来たわよお姉さま!』と勇ましく帰ってきた人間と同一人物とは思えない。
五月のライムグリーンは深みを増して、エメラルドグリーンの六月二十日。晴れの善き日に恵まれて。今世でできた大好きな妹は、可愛い教え子よりも先に美しい花嫁衣装に身を包んだ。背中を広く開けるかわりに袖は長く、華奢なアンナの腕を華やかに彩る。
いまの流行よりも少しアンティークなレースに映えるデコルテライン。長く裾を引き摺るロングトレーンのドレスは、母のたっての希望だったらしい。父は贈った際の母の喜びようを懐かしんでいた。
ヴェールを押さえるブルーデイジーのサークレットは、私がアグネス様とマリアンナ様と教え子の四人で探し出して選んだ、結婚式のときに青い小物をつけていると幸せになれるおまじない。
前世から割と有名だけれど、この世界にもちゃんとあって良かった。結婚式に憧れはなかったものの、こういうジンクスは嫌いではないのだ。自然光の下でキラキラと光を反射させるそれに思わず魅入る。
“幸福”の花言葉を持ったサークレットでヴェールを留めた妹が笑う。口角をこれでもかと持ち上げる笑い方は、おしとやかだった元ゲームの“アンナ”では見られなかった力強い表情だ。
「ああ……綺麗だわアンナ。本当に綺麗」
「もう、お姉さまったら朝からそればっかり。大袈裟だわ」
「綺麗なものは綺麗なんだもの。まだまだ褒めたりないくらい。私の妹は、いまこの世界中で一番綺麗。お母様もきっと上からそう言ってくれているはずよ」
こちらでできた知人達に呼び止められ、その間を縫うように近付いてきたアンナは、私の言葉に満更でもなさそうに笑った。そんな妹の隣ではさっき神に永遠の愛を誓ったはずの義弟が、まだガチガチに緊張したまま大きく頷いている。
「ヴァルトブルク様に限って貴女を不幸にすることはないでしょうけど、より良い未来が来ますようにって。そのサークレットもお父様がお母様に贈ったドレスと比べると見劣りしてしまうかと心配だったけれど、陽射しの下で見ると綺麗ね」
「まぁ、そんなことを思っていたの? わたしはもらった瞬間とっても素敵で一目で気に入ったのよ」
「あら、それは嬉しいわね。本当のことを言えば、これでも姉としての見栄を張りたかったから頑張ったの」
「お姉さまのそういうところ大好き!!」
「コラ、駄目よアンナったら。着崩れるからあと少しだけお行儀よくしないと」
「はぁい。そういえばお父さまは? いまから花束を投げるのに姿がみえないのよ。バージンロードを歩くまで死相が浮かんでたけど、まさかとは思うけど倒れて誰かに迷惑をかけてるのかしら?」
サークレットを指先で弄りながら辛辣なことを言うアンナに、思わず苦笑してしまった。前世の式場のコマーシャルやドラマでは、結婚式の日の花嫁はもっとしおらしい姿だったから。
でもまぁ、考えてみれば今回の場合は向こうがお婿に来るから、アンナが他家の子になるわけでもないものね。
「いいえ、ヴァルトブルク様のご両親と話しているところよ。今日のことをお城で聞かれたらしくて、同じ職場だった人達もお祝いに参列してくれているみたいなのだけれど。さっき見たときは職場に復帰して欲しいと頼まれて『死んでも嫌だね!』ってお断りしていたわ」
「もう、こんな日でも大人気がないんだから。あとでわたしとお姉さまが恥ずかしい思いをするじゃない」
「そうね。でもお父様らしくて良いのではないかしら?」
クスクスと笑い会う私達がいるのは、ミステル座が活動拠点にしている下町の劇場近くにある小さな教会。本当なら式は領地で挙げた方が賑やかにできたのだけれど、新作の話題作りも兼ねてあるのでこちらで挙げることにしたのだ。
「だけど……せっかくの結婚式なのに、話題作りと目眩ましに利用する形になってごめんなさい二人とも」
「良いのよお姉さま。だってわたし、お姉さまに頼られるの好きだもの」
「あ、ああの、僕も、です。ア、アンナに、頼られるのも。義姉上に頼られるのも、嬉しいです」
はい、うちの義弟と妹が可愛い。義弟に至っては向こうで散々名前を呼ぶ練習をさせられたのだろうに、まだ照れが勝っている姿が初々しい。結婚してしばらくは同居させてもらえるだろうから、めっちゃ弄ろう。
「というか、お姉さま一人なの? アグネス様達は?」
「アグネス様達なら誓いのキス場面で泣きすぎてお化粧が落ちてしまったから、このあとに備えて教会の控え室を借りてお化粧直しをしているところよ」
「ふふ、そうなのね。何だか照れ臭いけど、俄然花束を投げるやる気が出たわ」
ちなみに私は泣いてお化粧直しに割く時間が惜しくて、式の間中目の下にハンカチを当て続けることで回避した。写真がないこの世界。妹の晴れ姿を網膜に焼き付けたい……!
そんなことを話していたら進行役の人がアンナ達を呼びにきたので、ブーケトスの準備に向かう二人と別れ、先にブーケトスが行われる場所へと移動した。前列に当たる場所はすでに十代の若い女の子達で埋まっている。その姿は夏の陽射しに負けないくらい眩しい。
それを微笑ましく眺めつつ、流石にこの歳でこれ以上ソバカスを増やしたくない私は、後方の木陰に移動して一息つく。幸せな心地で風を受けていると、向こうからこちらに歩いてくる人物をみとめた。
木陰を半分貸そうと幹に寄れば、そこに正装に身を包んだホーエンベルク様が遠慮がちに入ってくる。夏の陽射しの中で黒い服のというのは暑いだろうに、彼はそんな素振りを少しも見せない。きっちりと上まで留めたシャツの襟元には、空色のアスコット・タイが爽やかな色合いを添えている。
「エリオットを見かけなかっただろうか? 教会を出てから姿が見えないのだ。それにアグネス嬢達の姿もない」
その第一声に思わずさっきのアンナとのやり取りを思い出し、フェルディナンド様の行方は知らないと前置いてから同じ説明をしたところ、彼はどこか納得した様子で頷いた。
「エリオットの行方はともかく……確かにアグネス嬢達が感極まるのも分かるな。まるで舞台の一幕のような良い式だった。今日はあの二人の幸せな門出に立ち会わせてくれたことに感謝する」
「ご多忙な中でご来場下さったうえにそう仰って頂けると、姉として鼻が高いですわ。けれどよく私の居場所が分かりましたね? 今日の装いは自分で言うのも何ですが、妹と一緒にいても目立たない色をと思ったので地味ですのに」
真っ白なドレスの隣で、ごく淡い緑のシンプルなドレスは印象に残らないだろうと思っていただけに、あっさり見つかってしまったことにちょっと驚いたのだ。けれどこちらの問いかけに彼の方も驚いたらしく、口許に手を当てて一瞬口ごもったのだけれど――。
「貴方の装いが地味だとは思わない。ただその……本来の髪色を久しぶりに見ることができたので、思わず無意識に見つけてしまった。それに貴方の髪色と今日のドレスの色は互いに引き立てあっていて、とても似合っていると思う」
軽い気持ちで尋ねただけ。女性の装いを褒めるのは社交辞令としての礼儀。そんなことは当たり前のはずなのに、どうしてかジワジワと頬に熱が集まる。ここが木陰で良かったと思うのは、きっと場馴れしていない私だけだわ。




