*15* 秘密基地にて。
「よ、もう店やってるー? なんちゃって」
「エリオット……お前はいちいちふざけないと死ぬのか?」
「そう言うヴィーだって真面目止めたら絶対死ぬじゃん」
開いたドアから姿を現すなり同期のサラリーマンじみた二人のやり取りに、思わず笑ってしまった。彼等の手にある分厚い書類の束がよりサラリーマンぽさを助長させるのがいけない。前世はあれより分厚い教材持ち帰ってたっけね。
「うふふ、今夜も仲良しさんですこと。こちらも仲良く開店準備を終えたところですわ~。さぁさぁ、奥にどうぞ」
おまけにそんな彼等に柔和な若女将の返しをするアグネス様。前世にこんな小料理屋があれば毎日通ったのに。親友の慈愛をカンストした笑顔にときめく。
――などと口に出すわけにもいかず。アグネス様のような癒しの能力を持たない私は「お疲れ様ですお二人とも」と言葉をかけた。
何故ここにエステルハージ領にいるはずのフェルディナンド様の姿があるかと言えば、教え子の夢見が悪いらしく、父がガンガルに護衛を頼んでこちらに合流させてくれたのだ。このことはコーゼル家に連絡してはいない。教え子は現在王都のエステルハージ家預かりである。
本当なら悪夢を見る教え子の添い寝をしてあげたいところではあるのだけれど、私がいない屋敷にスペンサー家のメイドが訪ねて行くのは不自然だ。
どのみち近く隣国から帰還するアンナ達の結婚式もあるので、そのときに私と父と一緒に帰ってきた体で出席させようと思っているから、それまではあの子に一人で堪えてもらうしかないのが辛いところだ。
早くそんな現状を打開すべく、準備の整ったテーブルの片側に私とアグネス様、向かい側にフェルディナンド様とホーエンベルク様が立ったところで、今夜も少々行儀が悪いけれど立食形式での夕食が始まる。
「それでは早速本題に入るが……イザークからの情報だと、いまランベルク公爵の密偵が手薄なのはオルブライト侯爵領、アーモッド伯爵領、グレンジャー子爵領の三家だな。どの領地も内地にあって隣国とは接していない。逆にキーブス伯爵領とバルジット伯爵領はしばらく近寄れないそうだ」
ジスクタシア国の地図をテーブルに広げたホーエンベルク様が、順繰りに口にした家名の領地を指していく。要所にあった野菜キッシュを取り上げるその骨張った手に一瞬見惚れてしまう。最近知ったことなのだけれど、私はどうやら若干手フェチらしい。
「成程。でしたらランベルク夫人の愛人を長年務めておられたダンネル子爵の領地も、あんなことがあった以上いまのところは避けた方が無難な土地だと思います」
さらっと鑑賞を終えたのち、ホーエンベルク様の全体を俯瞰した情報に私なりの補足を加え、赤で丸と線を書き込んだ。そのついでに手近にあった揚げ芋を一つ摘まむ。
「ええと、見張りの厳しい二家と、危ない橋を渡らなくてはならない一家はともかくとして、まだ三家も選べるとなるとどこから当たっていきましょうか~?」
「うーん、この中なら取り敢えずグレンジャー家じゃない? 侯爵家と伯爵家よりは子爵家の方が尻尾も掴みやすいでしょ」
印をつけた地図上をアグネス様の白い指先がなぞり、その行き止まりにあったドライアンズを摘まみあげ。ドライアンズの器を避けたフェルディナンド様の油絵具が残る指先が、トンと一つの丸の上で止まる。
ふと隣を窺えば、丸の横にあった葡萄ジュースに伸びるフェルディナンド様の手を、アグネス様が追っているところだった。
もしや親友ともなれば性癖も似るのだろうかと思っていたら、僅かに持ち上げられた目蓋の下から美しい水色の双眸が覗いてふるりと揺れる。
「そうだな……エリオットの言うように、おそらくランベルク公にとって重要度が最も低いのもグレンジャー家だろう。こちらから探らせた情報では扱っている薬の数と質も他の二家に比べて低い」
「だったらそれで決まりかしら~」
「ああ。次に俺が兵を連れて乗り込むのはグレンジャー領だ。俺が病欠中の間はアグネス嬢に王子達の面倒を頼めるだろうか?」
「ふふ、お任せあれ。たとえ王子様方がごねようとも、ベルタ様のお名前を振りかざせば楽勝ですわ~」
微かな違和感はすぐに拭われ、ホーエンベルク様の依頼を快諾する彼女は常と変わらない様子に見えた。そんなアグネス様を見て、フェルディナンド様が「威を借る気を隠さないのが良いねー」と楽しそうに笑う。
目の前で途切れずに続く三人の会話に一瞬乗り遅れた私は、ひとまず笑いを浮かべて相槌を打った。そうすればまた会話は新しいものへと転じる。
「今日のお茶会で結構な人数のご令嬢を誑かしてまいりましたから、あとはどれだけ出版部数が伸びるかですわね~」
「アグネス様の話題の切り替え方は日をおうごとに鋭さを増していますから、本当に頼もしい限りです」
「へー、流石ミステル座一の広告塔と遊戯盤発案者だ――ってことで、はい。今日の功労賞はカヌレでーす。でもこう毎回功労賞がお菓子じゃ渡す方もつまんないしさー、今度何かお揃いの小物でも作ってあげよっか?」
「それはなかなか良い案だな。ならせめて材料費は俺が出そう」
「おっ、やった。だったら一見地味に見えて実は結構高価、みたいなのが格好良いんじゃない? それで宝石は瞳の色とかにしようよ。滅多に見られないけど、アグネス嬢の瞳の色って綺麗だもんねー」
「あら~、お上手ですこと。だけどベルタ様とお揃いは楽しみですわ~」
賑やかな軽口を叩き合いながら食事を摘まみ、ジスクタシア国の地図をテーブルに広げて意見を交わす私達の間には、離れていた時間を感じさせない緩くて温かい空気が漂っていた。




