*13* 情報収集と今後の予定。
自分という恋愛の“れ”の字も知らない人間を下敷きにしたとは思えない舞台を観てから五日後。ミステル座とライバル劇団の舞台が始まってから数えればもうすぐ二週間になる。
朝食後にアグネス様を仕事に見送り、仲の良い使用人に“人に会いに行く”と言付けてスペンサー家を出た私は、市場で買い物を終えた使用人にしか見えない姿で一人、古びたアパルトメントに囲まれた路地を歩いていた。
何だかんだここを一人で歩くのは初めてなので、お仕着せの下はやや自意識過剰なほどに武装してある。
今日の私のコルセットは薄い鉄板入りの特注品で、脚にはナイフのホルダーを二つ、スカートのベルトは十キロのダンベルをもつり上げられる強度。これぞエステルハージ流本気コーデ。どれも父が持たせてくれた信頼性の高い品だ。
周囲に警戒しつつお目当てのアパルトメントの前に辿り着き、その一室のドアをノックして待つこと数十秒。中から顔を覗かせたお相手は相も変わらず死んだ双眸をしていたものの、サッと視線を巡らせてから中に招き入れてくれた。
「突然の訪問で失礼しました。ですが先日ようやくそちらの舞台を観に行くことができましたので、今日はそのお礼に参りました。珈琲はお好きですか?」
「一瞬誰かと思って驚きましたよ。ですが……ええ。ボクは書き物をする際は珈琲が好きなんです。ありがとうございます」
我ながら白々しすぎるかと思っていたこちらの言葉に、意外にも素直に答えてくれた彼の口角が僅かに上がる。
市場で選んだお土産の選択は間違っていなかったようだ。というか以前お邪魔した際キッチンの端にミルっぽいものを確認していたから、これは当てにきたといった方が良いだろう。
彼はそのまま珈琲の入った紙袋を片手に「ちょうどお耳に入れたいこともあったので、この珈琲を飲みながら話しましょう。椅子にかけてお待ち下さい」と言い残して一度キッチンへと消えた。
家に籠っての仕事柄か常にお湯を沸かしてあるらしく、すぐに挽きたての珈琲豆の香ばしい香りが室内に満ちる。前回と同様に重たいマグカップを手に戻った彼は、それを私に勧めてくれると自らも向かい側の椅子に腰かけた。
「「……」」
お互い無言でまず一口目。次いで二口目と珈琲を口にする。心持ち微かにアイスブルーの双眸が体温を持ったようにも見えた。うん、やっぱり贈り物だからちょっとお高めのものを買って良かった。
「それで……まずどちらから話をしますか?」
「あ、では私から」
そんなお見合いの席のようなやり取りを挟み、先日ホーエンベルク様達と観た劇の内容について、如何に自分をモデルにした主人公が強かで嫌な女として描かれていたか、近年屈指の最低ヒロインとして新聞に掲載されて心踊ったかを語り、注文していた仕事内容が完璧だったことへ丁寧なお礼を述べた。
でも……何故か無表情でもドン引きされるのって空気で分かるよね。別にもっと詰って欲しいとかいう被虐趣味はないのだけれど。
あとはアンナとヴァルトブルク様が、イザークをモデルにした小説の舞台化を隣国で指導をしていることを少々報告。それを聞いた彼には「照れますね」と顔色一つ変えずに冗談を言われた。嘘をつくのが上手いのか下手なのか分からん人だ。
ひとしきり言いたいことは言ったので、これ以上余計な嫌疑がかかる前に「お次、どうぞ」と会話の水を向けた。すると彼は一度もう一つある個室に向かい紙とペンを持って戻ってくるや、紙を広げてサラサラとペンを走らせる。
「これは……ランベルク領の見取図ですか?」
「ええ。とはいえごく一部ではありますけどね。前回お約束していたでしょう。つい先日領内の情報が入ってきたので、そのことをお知らせするにもどうここにお呼びしようかと思っていたところでした」
「それは大変助かりますが、どうしてこの状況でそんな情報が転がり込んできたのかお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
普通に考えて現在ランベルク公爵が手の内を彼に明かす要因などないはずだ。けれどそんなこちらが訝かしむことなど想定済みなのか、イザークは珈琲を一口飲んでから何でもないことのように「今後ボクを捨て駒として使うなら、盤上の施設をしっかり知っていないとおかしいでしょう?」と嗤った。
――いや、正確には嗤ったように見えただけで、いつもと同じ無表情だったのだけれど。それでも私の目にはそう見えた気がする。
「あの男は旗色が悪くなる前に一旦全てを切り捨てるつもりでしょう。手始めに恐らく奥方とその愛人が犠牲になりますよ。数日中に何らかの動きがあると思いますので、協力者の方々にもお伝え下さい」
そうさも興味なさげに再び紙にペンを走らせる彼を見て、先日のアグネス様やホーエンベルク様のことと同じく、妹の結婚式前に恋やら愛やらについて思いを馳せてしまうのだった。