*12* 穴埋め問題が解けません。
アグネス様のメイド(偽)としてスペンサー家にご厄介になり始めて六日目。
その間に私はスペンサー家の使用人達と交友を深めていた。だからといって彼等に使用人としての仕事はまだ一度も頼まれたことはない。
それが唯一の不満と言えば不満だけれど、元から大好きな同性の親友と一つ屋根の下。私達は昔読んだ小説に出てくる寄宿学校の女子生徒のようにはしゃいだ。
毎日朝食を一緒にとり、彼女が仕事に出かける姿を見送って、彼女が帰って来るまでの間は傷んでいたメンコの新作を頼まれたのでそれに取り組み、帰って来てからは夕食を一緒に食べて、眠るまでの時間を共に過ごす。
使用人達は彼女の留守中、幾度となく私へ感謝の言葉を口にした。人より少し変わり者の自分達のお嬢様に良い友人ができたと。私のおかげで領地では肩身の狭い思いをしていた彼女の活躍の場ができたのだと。驚くことに執事や彼女付きの侍女には泣かれた。
ゲームでは私のライバルで、現在では親友で戦友。悪くない、むしろ善すぎる肩書きに内心この歳でウキウキしていたのだけれど――。
アグネス様付きの侍女が先日、彼女の留守中に『最近お嬢様にお付き合いされている方や、こう、焦がれている殿方がおられたりはしますか……?』と訊いてきた。ごめんなさい。まったく存じ上げませんでした。
そう答えたときの侍女の『そうですか……何やら恋患いの気配がすると思ったんですけど。早とちりだったかもしれませんね』という言葉に曖昧に笑ったものの、これが本当なら私の目は節穴だ。親友の肩書きを返上した方がいい。
そもそも前世から私はその手の話が分からないし、両親のこともあって興味を持ったこともなかった。いや……こっちに転生してから父や妹を見ていて少しは考えを改めたけれど。
でもそれでも普通の令嬢よりはむしろ距離を取って生きてきたのに、まさかここで恋バナの能力が必須になるなんて……!!
あの話を聞いてからというもの、どこか会話の内容にヒントが隠れてやしないかと必死で夜のお茶に挑んだのに、結局何の手がかりもなく。
そんな不甲斐ないままスペンサー家にご厄介になり始めてから、一週間。
興奮冷めやらぬといった表情の令嬢達が、迎えの馬車に乗り込む直前までいま観た演目の内容について意見を交わしている。その誰もがミステル座の客層よりもかなり裕福そうなのは、本日非番なアグネス様のお付きメイドとして同行したのが、イザークが所属している劇団の公演だったからで。
勿論ご令嬢とメイド一人では社交シーズンに侮られるので、エスコートのお相手にはホーエンベルク様をお呼びしていた。
「はあぁ……今回の主人公も見事な悪の華ぶりでしたわね~。どうしてやろうか感満載で、劇場内の女性陣が殺気立ってましたもの~」
「はは、確かにそうだな。しかし驚いたが、ああいう展開を好む女性も一定数いるのは少々意外だった」
「女優さんが美しいからこそ、あの演出がより映えるのですわ~。世の中には強くて美しい女に弄ばれたい男と、良い男を侍らせて弄びたい女が一定数おりますから。需要と供給というやつですわね~」
「まさか親友と呼んでいた女性の想い人を奪うとはな……」
二人は私にも聞こえるようにさっきまでの舞台の感想を述べてくれ、その内容はおおよそこちらが思うものと同じだった。お供のメイドに直接声をかける人はあまりいない。けれど気配を消して背景に溶け込んでいた私に、一瞬だけホーエンベルク様が視線を寄越し、微かに微笑んだように見えた。
使用人は一般的な貴族にとって書き割りのような存在だからだ。何だろうか……演技とはいえ親しい人と他人として接すると、以前までは平気だったことが妙に照れくさいような気がするのは。
それなのにその風習に則った対応をしてくれた彼に、少し疎外感を感じて寂しいと思ってしまった。そんな自分に呆れながら、先を歩く二人のあとを三歩後ろから追いかける。
イザークの新作はあの日私が依頼した通り、見事に観客の苛立つ展開に仕上げてくれていたと思う。何より新キャラとして出てきた、絶対にアグネス様がモデルであろう女優さんが良かった。
素朴な美しさというか、女優さんなのだから当然綺麗で当たり前なのだけれど、主演のギラギラした美しさと違って蛍の光のような温かみのある美人。ああいう団員も取り揃えているのが大手の強みだな。
だからこそ自分を下敷きにしているとはいえ、あのヒロインは断頭台に上がらなければならぬという義憤にかられる素晴らしい次回への引きだった。
――が。
「うふふ、ホーエンベルク様、女性は強かなのですよ。それに相手に想いを伝える勇気がなかったのなら、取った取られたはあり得ません。恋愛は勝負に出なかった方の敗けですわ~」
「ああ……そうか。それは確かにそうなのだろうな。伝えられない言葉はないものと同じだ」
急に二人の表情が私の知らないものになる。切ないような、面映ゆいような。そんな淡いものに。二人の思考はいまこのとき間違いなく通じている。なのに私にはまったく分からない。
同時に気付いたんですけど……待って、これじゃない? ヒント。
だってこれまでイザークの脚本は何だかんだと言っても、彼の人間観察力とそれを想像力で補って空欄の穴埋めをしたような作風だった。だとしたら、アグネス様とホーエンベルク様には想いを伝えられないお相手が存在する……のか?
そこまで考えたところで、一瞬だけ領地で酔った父に言われた言葉が脳裏に甦って。胸にチクリとした痛みが走ったような気がした。




