★11★ とある非番の過ごし方。
ミステル座の初日公演にアンナ嬢と現れた人物を見て、俺とアグネス嬢はほぼ同時に違和感を感じたのだと思う。髪色が違いはするものの、俯きがちで控えめな雰囲気は化粧や服装でそうそう変わるものではないからだ。
観劇後の種明かしに多少は驚いたものの、その驚きは彼女の予想していたものではなく、俺やアグネス嬢にとっては“何故そんな真似を?”といったものだった。その後も独自理論でアグネス嬢を言いくるめ、メイドとしてスペンサー家に潜入する流れに持ち込んだ。
しかしその提案を突飛だと感じると同時に、むしろこのところ少し鬱いでいるアグネス嬢の気が晴れるのではないかという期待もあった。男の俺に相談しにくいことも、同性の親友であれば相談もしやすいだろうと。
実際に彼女がスペンサー家に潜入した翌日のアグネス嬢の表情は晴れやかで、送迎の馬車から覗いた黒髪の彼女も楽しそうだった。
――そんなやや突飛な再会を果たしてから今日で一週間。
非番の昼下がりのカフェテラスで紅茶を飲んで時間を潰しながら、さっき辻で購入した新聞を開く。今朝屋敷に届いたものと全く同じ内容のものではあったものの、僅かな時間でもただぼんやりとすることが苦手な性分だ。
ミステル座の公演と、イザークの所属する劇団の総評が新聞の紙面に掲載され始めた。やはり自国の貴族の政争を知らぬ一般市民とは違い、新聞社の人間達はこの二つの劇団が歪み合っている理由をうっすら嗅ぎ付けているのだろう。
だからこそ演劇に力を入れている社の紙面は賑やかに双方の舞台内容に触れていた。いつもミステル座に現れるエリオットの知人記者も、ミステル座が有名になるにつれて任されるコラム記事が大きくなっている。
初公演日は残念ながらイザークの劇団に少し届かなかったものの、三日目辺りからは順調に盛り返し始め、四日目でイザークの劇団を突き放した。元よりイザークの所属する劇団は恋愛物に偏った公演をしているが、ミステル座はその辺りを上手くやっていると思う。
戦記と恋愛、暴力と献身。一見どう考えても不釣り合いなそれらは、意外にも調和した。いままでの観劇はお行儀良く楽しむ金持ちの道楽であって、一般的な平民には退屈で共感しにくいものも多かっただけに人気が出たのだろう。
件の彼女を下敷きにしたものはまだ観に行けていないが、総評を見るにかなり女性陣に叩かれる行動に出たようだ。恋愛物の中でも愛憎よりらしいので、今回は今後の物語の展開を考えてその部分を描写したのだろう。観客動員数から察するに一部からは絶大な人気を博していることが窺えた。
以前ミステル座に敵愾心を持っている新聞社が、半券が安いのは役者に犯罪歴でもあるのではないかと煽ったことがあった。しかしその新聞社は結果的に馴染みの記者が記事にしたことではね除けられたことは、まだ記憶に新しい。
“エステルハージ姉妹に以前どうしてこの世界に興味を持ったのかと訊ねると、元々は領地内の教会で子供達に読み書きを教えている際、もっと興味をもってもらおうと演劇に仕立てることを思い付いたからだという。
妹が書いた小説の原作の元になっているものも、姉が知育を目的として先立って発売した遊戯盤という徹底ぶりだ。
女性の社会進出が叫ばれつつ遅々として進まない昨今、領民達の未来を見据えて姉妹が取った政策は、先見の明と言わざるを得まい”――と。
ちなみにその一面が掲載された新聞は瞬く間に売り切れた。屋敷で購読契約をしていなかったら今頃存在を知らずにいただろう。まぁ……フランツ様とマキシム様に取り上げられてしまったから、一読しただけではあるが。
再び今日の日付の新聞に目を落とせば、隣国の演劇情報が記載されている欄にヴァルトブルク殿と交流のある劇団の名と、まだ先の日程ではあるものの、その劇団の次回公演予定作品の題名が記されていた。
その題名をついさっき違う頁でも見た気がして新聞を捲れば、新作書籍の週間人気早見表の上位に同じ題名のものを見つける。アンナ嬢は今頃隣国でサイン会を開いている頃だろう。
「これは……舞台化の話が早すぎるな」
けれどおかげでランベルク公爵の目をこちらから逸らす時間ができた。この隙を無駄にせずにいるためには、来週辺りにでもまとまった休養を取る必要があるだろうが……どうやってもっともらしい理由を作るか。
思わず漏れた独り言と苦笑は新聞をたたむ音に紛れて消える。時計を見やればもう良い時間だ。すっかり冷めてしまった紅茶を飲みきり、約束の時間に間に合わせるためにカフェテラスの席を立った。




