*9* 初めまして、メイドです(圧)
例によって例のごとく、小さな劇場前はすでに初日公演を楽しみにしてくれている観客で混雑し、チキンな私は胸部を心臓が突き破るのではないかと不安を抱きつつ、肩で颯爽と風を切る妹の後を静かに追う。
前回と違うのは、侍女達任せの事務職員コーディネートで全身を固めてあることだろうか。勿忘草色のロングスカートに白いブラウスと緑のリボンタイ。髪は後れ毛を許さないかっちりなお団子という面白味のないシンプルコーデだ。
賑わう劇場前でお目当ての人物達はすぐに見つかった。こういうときに身長の高い人というのは目印にしやすくて助かる。アンナもそう思ったのか、少しだけこちらを振り向いて微笑むと、あとは迷いなく一直線にそちらへと向かった。
お目当ての人物達とは言わずもがな、ホーエンベルク様にフランツ様、アグネス様とマリアンナ様、それから来月には正式に義弟になるヴァルトブルク様だ。
「皆様、お待たせしてしまったようでごめんなさい。本日はミステル座の初日公演にお越し下さってありがとう」
そう五人の前で微笑みを交えた挨拶をする妹から二歩ほど下がった位置で、私が俯きがちにそっとスカートの裾を持ち上げてお辞儀をすれば、五人分の視線が一気に突き刺さった。実は今日ここに私は来ないと言ってある。この格好は変装でどの程度誤魔化せるのかという実験を兼ねているのだ。
しかし現状面倒ごとにとりつかれているからか、思っていた以上に見たことのない人間に対しての警戒心の高さが凄い。ここまで警戒されていては割りとすぐに見破られるだろうな。
「ああ、ご心配なく。彼女は当家のメイドよ。とても仕事のできるメイドだからお供に連れてきたの。ね、ルイズ?」
同じことを思ったらしいアンナが悪戯っぽくそう言う声に頷き、少しだけ視線を上げる――……と、眼鏡越しにホーエンベルク様とアグネス様がこちらを注視していることに気付く。
二人から視線を横にずらしていけば、アンナの含みのある物言いに気付いたのか、ヴァルトブルク様が一番最初に勘づいた様子だ。うん、これが愛の力か。これからも妹のために精進してね。
次にフランツ様。彼は王子様教育の弊害か、顔を伏せている女性を注視するということに躊躇いがあるようだ。貴族が皆これくらい奥ゆかしければ社交界はもう少し平和だろうに。
最後にマリアンナ様。あー……うん。彼女に関しては如何に私に無関心か分かって面白い。怪訝な表情で師であるアグネス様の顔ばかり気にしている。可愛いな?
「え、ええと……アンナ嬢も、と、到着したことですし、み、皆さん、そろそろ中に入りませんか?」
そんなやや無理矢理感のあるヴァルトブルク様の声かけと共に、合流した一同は観客席へと移動した。視線で会話をするホーエンベルク様とアグネス様が面白いので、ネタバレは舞台を観てもらってからにしよう。
途中でアンナとヴァルトブルク様は初日公演の挨拶があるので舞台裏にはけ、私はアンナのメイドなので勿論ついて行った。立ち去る背中にビシバシと感じる視線に思わず笑いそうになったものの、何とか堪えて舞台裏に潜り込むことに成功。
――が、舞台裏に入ってすぐに「あれ、ベルタ様じゃないですか?」「どうしたんですこの髪色!?」「観にいらしてくれたんですね!」「お元気でした?」「ついに出演ですか?」と好き勝手に口を開く団員達に取り囲まれてしまった。
やはり昔から付き合いのある同郷の人間にはすぐにバレてしまったか。残念に思いつつも「シー、静かに。これはちょっとした実験中なの。それより皆、もうすぐ本番なんだから適度に緊張感を持ってね?」と苦笑しつつ釘を刺せば、団員達は笑って頷く。
「あ、義姉上、幕の隙間からで申し訳ありませんが、舞台を、楽しんで下さい」
「ええ、ありがとう。是非そうさせてもらうわ。今回は練習も一度も見ていないから本当に初めてだもの」
「これが今回の脚本と小冊子ね。お姉さまにも面白いと思ってもらえると良いのだけど」
私にそう言ってパンフレットを持たせてくれたアンナとヴァルトブルク様は、初日公演挨拶のために舞台上へと消えていく。直後に観客席から割れんばかりの拍手が起き、小劇場全体が揺れたような錯覚を覚える。
その後は戻ってきた二人と団員で円陣を組んで気合いを入れ合い、団員達が舞台袖から飛び出していく。袖からこっそり覗いた今回の主役は、他劇団で芽の出なかった四十代後半とおぼしき男性俳優だった。舞台は深みのある朗々とした彼の語りから入る。
「“わたしは女王の影と蔑まれるだけの気弱な男だ。彼女が数多くいた婚約者候補の中からわたしを選んだ理由を知らぬ。だが戦火が拡がりつつあるこの大陸で、彼女の代わりに首を差し出すことができる唯一の男だ”」
五国戦記の黄色の地に銀の熊のレリーフが主役の今回は、主人公は女王の王配兼宰相という役所に当たるらしい。妹のひきだしの多さに感心し、絶対にこの主人公のモデルヴァルトブルク様疑惑にほっこりする。
「“わたしにとっての愛とは彼女を害そうとする有象無象の楯となり、幾千の槍に貫かれようとも膝を折らぬことだ”」
近隣諸国の戦争へと傾いていく風向きに、女王という責任の重さから攻撃的になっていく妻を労り包み込む愛情を感じさせる台詞は、若い女性や男性に人気のあった五国戦記の客層に新たにミドル層を組み込んだ。
「“さぁ、女王よ。我が誇り高き妻よ。わたしに命じてくれ。兵を率いて敵を屠れと。小童共の戦争ごっこを終わらせて来いと。君が命じるならわたしは――、”」
一際大仰に両手を広げてスポットライトに掲げた彼は、優しげでうだつの上がらなさそうだった男の仮面を脱ぎ捨て、神に誓いを立てる狂信者の顔で告げる。
「“彼奴等が崇める異国の神をも殺してご覧にいれよう。挙兵せよ! 槍を持て、剣をはけ、矢を背負い、馬を駆れ、我等の女王に曇りなき勝利を!!!”」
若手には出せない圧巻の胴間声に劇場内の空気が震える。確かに演技の種類としては古いのだろうが、ときには古典の方が真新しく感じることもあると学んだ。
彼が生み出す独特の熱気は他の年若な演者達に伝播し、これまでの一作目とも二作目とも違った迫力を舞台上に描き出した。おまけに興が乗ったらしい彼から飛び出すわ飛び出すわ、脚本に書かれていないアドリブの数々。
必死にそれに食らいつく若手達の演技にもリアルな殺意が混じって、かなり見応えがあった四時間の舞台は、大声援と拍手で幕を降ろすことを惜しまれつつ無事に初日公演を終えた。
そんな公演後の舞台裏にて、私は感想を述べに来てくれたホーエンベルク様達に相対し、にっこりと微笑んで自己紹介をしたのだけれど――。
驚きよりも困惑を持って受け入れられたことは、大盛況の公演後に相応しくないオチとなってしまった。




