*7* あっちもこっちも。
椅子から腰をあげかけた私をイザークが手で制し、ドアの方へと歩いていく。ドアの前でぼそぼそと言葉を交わしたかと思うと、イザークが身体をずらした隙間からガンガルが顔を覗かせた。
「お嬢、フード被った二人組来る。妹様達のとこ、戻ろう」
「領地からの定期連絡は一昨日あったので、たぶん劇団の人間ですね。今日ここに来る予定はなかったはずですが……脚本の進捗を見に来たのかもしれません。鉢合わせないうちに出た方がいい」
「分かりました。脚本、私も完成を楽しみにしておりますわ。それでは」
「ええ、また」
微苦笑のようなものを唇の端に乗せたイザークの別れの言葉を合図に、ガンガルに手を引かれて外に出た。
ぐるりとアパルトメントの反対側に向かって歩き、建物の陰に隠れて少しすると、イザークの部屋の前で一組の男女(?)が立ち止まる。
彼等がドアをノックし、先程までのことなどまったく表情に出さない無表情な彼が現れて……首を傾げた。意外な反応にジッと目を凝らせば、隣にいたガンガルから「あれ、ヴィーと……誰?」と呟きが漏れた。
片方の正体が分かれば恐るるに足らず。というかホーエンベルク様の隣に立ち、なおかつこの時間帯で一緒に行動している人物といえば三択だ。しかしだとしても何故ここにという疑問は拭えない。
建物の陰に身を寄せ、アパルトメントに戻ろうとするガンガルの肩を掴んで止める。ひとまず様子を見よう。問題の先送りとも言うけど。二、三言葉を交わした三人の姿が部屋の中に消えたので、彼等が出てくるのを待つことにした。
「ねぇ、ガンガル。この建物の周辺はいまのところ安全かしら?」
「うん。平気。臭いもしないし、殺気もないよ」
サラッとそう言ってのける優秀で可愛いガンガルの頭を撫でると、彼は嬉しそうにはにかんだ。とりあえず心の中であらんかぎりランベルク公爵へと呪詛の言葉を送っておいた。
「そう、ありがとう。貴男がいてくれると安心して仕事ができるから嬉しいわ。そこで相談なのだけど、私は絶対にここから動かないで待っているから、アンナ達に先に屋敷に戻るように伝言を頼めるかしら?」
「妹様、先に帰すの? 呼んで来るのでなくて?」
「少し気になることがあるの。お願いできる?」
ガンガルは私の指示に一瞬訝るような表情をしたものの、結局は「分かった」と頷いて音もなく駆けていった。そして十分くらいで戻って来てくれた彼の頭を撫でて褒めながら、再びドアが開くのをその場で待つこと小一時間。
ドアが開いて中から現れたのはホーエンベルク様ともう一人。イザークは室内から声をかけているのか出てくることはなく、二人が別れを告げたのだろう、ドアは再び閉ざされた。凸凹なフードの後ろ姿が大通りの方向へ向かって歩き出す。
隣のガンガルに目配せすれば、勘の良いガンガルはそれだけで察してくれたのか、私を先導する形で二人の背中を追う。
ガンガルほどではないけれど、それでもなるべく気配を消す努力をして後を追ったのに、角を曲がってすぐに「何者だ」と、背後に小さい方を庇うようにして立つ大きな方……ホーエンベルク様に誰何されてしまった。ちなみに私はガンガルの背に庇われている。
けれど冷たい声をかけた先に立っていたのが見知った顔だと知るや、フードの下から「ガンガル?」と、多少間の抜けた声が返ってきた。頷くガンガルの背後から私が顔を出すと、今度は「ベルタさん?」とやや高い声がホーエンベルク様の背後から返ってくる。
大きなホーエンベルク様の後ろから一歩踏み出し、持ち上げられたフードから覗いたのは、深みのある金髪と切れ長なトルマリンの瞳だった。
「はい。お久しぶりですフランツ様、ホーエンベルク様」
こちらから見上げる位置には、同じように驚いた表情をしたホーエンベルク様が立っている。
大小揃って目を丸くしている様はちょっと可愛らしいものの、ホーエンベルク様には“何でここに子供を連れてきたの?”と言外に笑みに圧を込めて伝えて見せたが、彼は困ったように眉根を下げる。
「ベルタ嬢、アウローラ嬢とフェルディナンド殿と一緒に領地にいるはずでは。貴方が戻ったという報せはこちらに届いていないが、もしやエステルハージ領とエリオットにも何かあったのか?」
「ええ、まぁ、はい。多少面倒な事態に陥ってしまったのでこちらを訪ねさせて頂いたのですが……いま“も”と仰いましたか?」
そう問えばホーエンベルク様は隣のフランツ様を見下ろして目配せをし、フランツ様もその合図に頷き返した。
「こちらも多少面倒な事態に陥っている。ここで話すには少々気忙しいから場所を移動したい。構わないだろうか?」
不穏な発言に背筋がゾワゾワする。敵方の働きが良すぎるゲームは嫌われると思うんだけど……どうやら無能で楽をさせてくれる都合の良い敵はいないらしい。




