*6* ダブルキャスト。
「良いですよ。ご協力させて頂きます」
古びたアパルトメントの一室で私の話に耳を傾け、先程『粗茶ですが』と市場でよく見かける大袋の紅茶を淹れて出してくれたのと同じ声音で、コトッと色々な生活の中で染みがついたテーブルにマグカップを置いた彼は、何でもない風にそう口にした。
「あの……こちらから提案を持ちかけておいて何ですけれど、お返事を頂くのは本日中でなくともよろしいのですよ? 一晩考えられてからでも……」
「いえ、即決できますからお心遣いは不要です。領内の怪しいと思われる場所の簡単な見取図と、外部から領内への侵入経路の確保、それから次回作での貴女に批判の目が向く展開……でしたね」
「はい。ですが本当によろしいのですか? このままことが上手く運べば貴男は公爵家の跡取りとして認知されるのでしょう?」
「ボクは別にあの男に義理などありませんし、公爵家の跡取りとしての地位も必要ない。最初から足を引っ張ってやるつもりで奴に飼われたふりをしているだけだ。それに貴女には現在進行形で名誉毀損を働いている」
まったく感情の読み取れないアイスブルーの双眸がこちらを見つめるものの、特にこちらの反応を気にする様子もない。彼の名はイザーク。平民なので名字はないが、正真正銘ランベルク公爵の落し胤だ。
淡々と事務的な答えを返してくる様は、前世テレビで見た女性型アンドロイドのようであり、野心と貴族としての気品を兼ね備えたランベルク公爵とはあまり似ていない。
大人であれば不気味さを感じるだけで済むが、子供はどれだけ人間に似た見た目であっても、表情筋の動きでアンドロイドを異物とみなして泣くという。彼はたぶん子供に泣かれる。
「名誉毀損……舞台のことですか? ですがゴシップを題材に脚本を書くことは別に珍しくもありませんし、何より貴男の書く脚本はとても面白いですわ。次回作の私の活躍も楽しみにしています」
「……おかしな方ですね貴女は。いえ、貴女だけでなく貴女の妹も、その婚約者もです。敵方である劇団に所属しているボクが言うのもおかしいですが、貴女方には恐怖心がないのすか?」
「怖いことは沢山あります。生きている上でなくなるものではありません」
私が家では使わないような重たいカップの中に残った紅茶に視線を落とせば、向かいに座る彼から「それもそうですね」というあっさりとした同意が返る。いや、もう何と言うか……本当に怖いこととかあるのかと問いたい。
彼と話をしていると、同調してくれるけど的外れな返事をしてくれるAIロボットとお喋りしている気分だ。あの通じてない感をまさか人間相手に感じることになるとはね。
「まぁ大したことはあまり知りませんが、あの男の治める領地には何度か足を運んでいます。簡単な領内の事情くらいお話しできますよ。あの男を訴える証拠が揃えば証言もしましょう」
ユニという少年を保護(?)した翌日、私とガンガルは王都への道をひたすら馬で駆けた。流石のガンガルも馬との並走はできないので今回は相乗りで、揃いの旅装束を着た姉弟に見えたことだろう。
普通貴族の娘が馬車で移動せずに単騎駆けをすることはまずない。だからこそ、そういった周囲の思い込みの目をかいくぐっての行動だった。そんな無茶を押し通した理由が、目の前にいるこのアンドロイド君との交渉である。
赦せないものがあるときほど、人の結束力は高まるものだと思う。共通敵とでも言おう者がいれば、当然共闘する方が話は早い。
――あの夜、食事の席で父は言った。
『昨日の敵は余程のことが起こらない限り今日も敵だ。しかしその敵が使う駒はただの駒であることが多い。駒にされた者は条件を満たせばこちらの味方になる。だからベルタ、あのクズの失脚を成功報酬として、アンナ達が取った駒を人間として使おう』
それを聞いていたフェルディナンド様が『賛成ー!』と笑い、事情を知らないまでも、ユニの姿を目の当たりにした教え子も『先生とそのお父様が仰られるなら、わたくしも賛成致します』と頷いてくれた。無論私も大賛成。
果たして交渉を持ちかけるためとはいえ、次に会うのは五月だと思っていた姉が単騎駆けをして王都の屋敷に乗り付けたとあり、妹は驚きと、喜びと、怒りを順繰りに見せてくれた。そんなアンナに頼み込み、何とか今日の面談を取り付けたのは二日前のことだ。
ホーエンベルク様とアグネス様にはまだ会っていない。二人のいる王城近辺に近付けばすぐにランベルク公爵の耳に入るだろうからだ。ちなみに私達がこうしているいまは、ヴァルトブルク様とガンガルと一緒にアパルトメントの周辺を警戒してくれている。
しかし存在を認識してから結構経ったけれど、実際に彼と真正面から口をきいたのは初めてなのに、僅か三十分で売られるランベルク公爵の人望のなさに思わず笑いそうになった。
「そちらに潜入させられた子供のような立場の者はあの領地にはざらにいます。ボクへの言付けを持ってくる者達も同じようなものですよ」
「そうなのですね……」
「ええ。それに貴族が平民を顎で使うことは特別珍しいことじゃない。抗うことができないなら、余計なことは考えずに感情を殺して生きれば良いだけです」
さらりとした素っ気なさの中にジワリと滲み出したのは、憎しみか、狂気か。そのどちらでもあり、どちらでもなさそうな揺れ。
「だとしたら、貴男は黙って感情を殺して生きたりしない戦士だったのですね」
「……ボクのどこがそう見えるんですか」
アイスブルーの双眸に初めて理解できないとでもいうような、怪訝そうな光が宿った。目は口ほどに物を言うって本当だ。ここは貴重な自我の芽生えに立ち合えたのだし、たたみかけてしまおう。
「だって貴男は演劇を通して貴族を貶め、糾弾する。そちら方面に才能があっても普通はなかなかやろうとは思いません。だからこそ公爵も貴男という存在に気付き接触してきた。そんな貴男が戦士以外の何だと言うのです?」
実際言葉にしてみてもそう思う。こちとら教育は本職だけれど、前世は普通に一般人だったので政治的なことや汚職に関しての知識はニュースや新聞の情報程度。
巨悪に立ち向かうどころか、職場をブラック企業として訴えたことも当然ない。なのに独りぼっちでこの貴族が幅を利かせる社会に喧嘩を売るとか“君、死んだ目をしてるくせに前世は軍鶏か闘犬なの?”とか訊きたくなるくらいである。
悪人顔で微笑みかければ、彼の双眸が眇められた――……そのとき、この部屋の玄関ドアが小さくノックされる音が響いた。




