*5* 我儘。
教会から屋敷に戻るとそこにはまだフェルディナンド様の姿があって。不安げな教え子の傍に寄り添ってくれる彼に会釈をし、使用人に彼等の世話を頼んで私と父とガンガルは地下牢へと場所を移す。
これまで父に屋敷の中で一度も足を踏み入れることを許されなかった場所に立つと、長閑な領地にそんな日が来るはずがないと思い込み、今日まで平和ボケしていた自分が腹立たしかった。
明かりを持ち込まない限り一切光のない地下牢は、以前私が捕らえられたことのある牢よりは随分清潔だったものの、長時間明かりのない状態で放置されれば気が触れるだろうことは容易に想像がつく。
そんな場所に年端もいかない子供を縛って転がし、冷たい殺気を纏った父が、小刻みに震えるガンガルの方へ「通訳を頼む」と短く告げた。
父の口から問われた内容は大きく分けて三つ。
領地のどこに種子を埋めたか。
誰に命じられて犯行に及んだか。
そして――……あの湖畔に近付いたか、だ。
ただこの中で当主としてではなく、父が本当に訊きたいのは最後の質問だけだと分かっていた。だからこそ、あの湖畔に一番多くの種子を蒔いたと少年が告白したときは……間に止めに入った娘の私ですら殺されるかと思った。
おまけに失禁したまま泣き出す少年の姿を見ても、残念なことに赦せる気持ちは湧いてこなかった。私は教育者失格の偽善者だ。怯えた子供を怯えたままでいさせるなんて。膝をついて抱きしめてやれないなんて。いまの私はまるで前世の父母のようだ。
自分を殺そうと向かってきたガンガルは赦せても、記憶の深く柔らかい場所にある母との想い出を汚した少年を庇う気持ちになれないなんて。嫌気がさす。
「仕えた主家を裏切って我等に素直に協力するか、ここで誰にも顧みられず一人渇きと飢えに堪えて死ぬか、選びなさい」
背後で殺意を漲らせる父を少しでも冷静にさせるために口から出たのは、そんな酷く冷たい物言いと声だった。隣で通訳してくれるガンガルの声は怒気を孕み、私の怒りを代弁するかのように震えている。
子供にこんな言葉を向けたくない。向けたくなかった。でも赦せない。大人に利用されただけの子供を責めるだなんて馬鹿げているのに。
見知らぬ土地で怒れる大人達に囲まれて震える子供は、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。それを拾い上げるガンガルが凪いだ瞳で通訳してくれる。
「“お母さんとお父さん、知らない奴等に連れていかれた。仮面の男、二人に会いたかったら、上手くやれ、言った”」
予想はしていたけれど……やっぱり最低な理由だ。眉を顰めた私の背後から靴音がして振り返ると、そこには表情の抜け落ちた父が立っていた。床に蹲る少年は喉の奥で悲鳴を殺し、次に与えられる衝撃を予測して身構える。理不尽に与えられる痛みに慣れているのだろう。
「女は畑、男は殺し、子供は途中まで畑で、性別でその後の仕事、分ける。閉じ込める檻も違った。女の方が、体力ないから、疲れなくすのに、薬、使う。何度も使うと、薬ないと、生きていけなくなる。毒だと分かってても芽、抜けない」
少年を見下ろしていたガンガルが通訳としてではなく、当時を思い出しているのか苦しげな表情を浮かべつつも、自らの言葉でそう足りない部分を補ってくれた。
その内容を聞けばやはり憐れになって父と少年の間に立ち塞がってしまい、父の虚ろな双眸と私の視線がぶつかった。何と言葉をかければ良いのか分からないまま立ち尽くす私に向かい、父は細く溜息をついたのち、ゆっくりとぎこちない微笑みを浮かべる。泣き笑いのようだと思った。
「……お父様?」
「私は愛妻家で、妻の遺した娘達が可愛くて仕方がない」
「……はい」
「ベルタ。お前がその子供を“赦せ”と我儘を言うのなら、私はそれを叶えてあげよう。娘に嫌われるのは嫌だからな」
その言葉にハッとして顔をあげれば、穏やかな瞳が“どうする?”と問いかけてくるから、私は肩から力が抜ける思いがした。ここで我儘を言えば、教育者としてあるまじき感情を抱いた私も赦されると。父の瞳がそう言っている。
ずるい私がそんな父に甘えて「赦してあげて」と懇願すると、父は「仕方がないね」と苦笑して。そのやり取りを聞いていたガンガルが深く私達に頭を下げ、蹲る少年に何事か囁きかけた。
「ああ……腹が減ったな。フェルディナンド殿達が待っているだろう。今後の話をするためにも、まずは夕食にしようじゃないか。そこのクソガキはガンガル、お前が着替えさせてやりなさい。後で色々訊きたいことがある」
「はい、王様。ありがとう、ございます」
「何の礼だ? 私は娘に嫌われたくないだけだと言っただろう」
そう言うや身を翻して颯爽と地下牢から出ていく父の背中に、私とガンガルは顔を見合わせて、ほんの少しだけ笑った。




