♗幕間♗抜けがけて。
色とりどりの糸で織られた遊戯盤の上にズラリと細かな城壁や城塞がそびえ、周囲を騎士を象ったコマと、その下に並べられたカードが覆う。けれど残念なことに襲われているのは四つある国土のうちの一つだけ。
歴史で一番最初に狙われ滅ぼされる国は、いつだって内需拡大政策に熱心な国だものねと、妙に納得してしまう。
「成程……兄上はそこでそのカードを切りますか……興味深い」
「攻撃を一回休む代わりに重防御のカードを五枚全て使って、兵士の補充と微回復か……なかなか良い手だ。しかし次のターンでは兵士の攻撃力がやや下がる」
「素早さも下がるから、実質上がるのは防御だけ。その代わりに順番が一周するごとに五ずつ回復ですわね~。兵科は軽騎兵、練度は……最高値。ということは、素早さが下がる確率は通常の三分の一。うふふ、以前なら兵士の札を少しも鍛えていなかったのに凄いですわ~」
「あー、くそ。お前達うるさいぞ。いい加減に寄ってたかって人の国を攻めるな! わたしの采配を見ていないでさっさと次のターンの準備をしろ!」
「それでは遠慮なく。練度最高値の重装弓兵に貫通のカードを三枚。強襲を一枚つけさせて頂こうか」
あらあら……サクッと貫通を三枚つけて微回復を台無しにする血も涙もない戦法に、マキシム様にちょっとだけ同情してしまう。でもこれもこの遊戯盤の楽しみ方の一つと割り切って、自分の手許から大楯兵と包囲のカードを探して待機する。
「なっ、ホーエンベルク、貴様……!」
「戦に待ったはありませんよマキシム様」
「兄上、これは遊戯です。楽しみましょう。ね?」
「ここまで一方的な内容で楽しめるか!」
「うふふ、完敗から学ぶことも多いですわよ~」
遊戯盤初心者の壁をほんの少しだけ越えたマキシム様は、それでもまだまだ防戦寄りの危うい国で。同じように内需拡大型のフランツ様は、兄である第一王子よりも少々守りが堅い国。
ホーエンベルク様は流石と言うのか内需と領地拡大を両立していて手強い国。情報と海路を押さえたわたしは、凡庸だけれど削られつつもしぶとく残る国だわ。
常ならば共闘しているはずの二人の王子は、一ヶ月半前からずっと遊戯盤の上では敵同士。
ベルタ様が領地に去り、後を追ったアウローラ様が登城することがなくなり、わたしがマキシム様付きになったことで、マリアンナ様の登城もなくなった。
そして……元々たまに顔を出して遊戯盤で遊ぶ子供達を見ていたフェルディナンド様も、アウローラ様と一緒に旅立ったからここにはいない。
だから毎日のお茶の席には、ホーエンベルク様とフランツ様、そしてわたしとマキシム様の四人だけで。遊戯盤の上で一人だけ後手に回るマキシム様に救いの手を差し伸べる優しい人物はいない。
結局本日もマキシム様が一番最初に負けて、次にわたし、その次にはフランツ様という順当な勝負は、八十五周ではけてしまった。
ブツブツと文句を言いながら遊戯盤を片付けるマキシム様と、それを労いながらも楽しげにコマを回収するフランツ様に今日の就業時間の終わりを告げると、ホーエンベルク様がいつものように「迎えの馬車まで送ろう」と言って下さる。
その言葉に頷いて廊下に出ると、直前までの室内の熱気から解放されて肩が軽くなった。ホーエンベルク様と並んで歩く廊下の窓の外は、春先らしく薄暗くなり始めている。
「今日も良い勝負でしたわ~。この調子でマキシム様が新しい戦法を憶えられれば、次にベルタ様がお戻りになられたときにわたしも鼻が高いのですけれど」
「ああ、そうだな。マキシム様があそこまで熟考して戦法を練られるようになったのは喜ばしい。マキシム様から聞いたが、アグネス嬢の授業は遊戯盤のカードを使って説明するそうだな?」
「ふふ、マキシム様ったら、簡単に授業内容をばらしてしまうだなんて駄目ですわね~。せっかくホーエンベルク様達の裏をかこうと思いましたのに」
「これであの遊戯盤で遊べないのはエリオットだけか。そろそろあいつにも領地経営の一貫として叩き込むべきだな」
おどけるようにそう言うと、ホーエンベルク様もそう言って喉の奥で笑った。その横顔を見上げて思うのは、絶対に同じ会話を振れば手を叩いて笑ってくれるであろうフェルディナンド様のこと。
今回第一王子の教育係の後任についたわたしと違い、王家からの直接的な後ろ楯が得られないだろうからと、ホーエンベルク様がエステルハージ領に送ろうと思うと言ったとき、渋るフェルディナンド様に是非そうするべきだと進言した。
けれどあのとき、わたしの内心は二つに割れたの。
“やった”と思う気持ちと。
“いやだ”と思う気持ちに。
ホーエンベルク様に比べれば恋愛対象として好感度が低い彼も、あちらで長く一緒に行動すればきっとベルタ様が良さに気付いてくれる。好感度が上がればそういう雰囲気になって告白もしやすくなるはずで――。
きっと、ゆっくりと語らう時間があれば上手くいく。
容姿に自信の持てなかったわたしの恩人の初恋が報われる。
もしかしたら、もうこちらには戻らないであちらで過ごすのかも。
それはとても、とても素敵な……ことの、はず。
『んー……そうは言うけど、君は姿勢や所作はその辺のご令嬢より綺麗だ。この髪も少しだけ傷んでいるだけで、無理に巻いたりしなければもっと艶も出るし長いよね? どれくらいか分かる?』
『ん? だからさ、そのままで綺麗に描けるから良いよ?』
『はー……アグネス嬢が帰る前に間に合って良かった。これ、見てよ。オレが嘘つきじゃなかったって証拠だからさ』
『疑問系なの? 今日に間に合わせるのに必死だったから、多少仕上げが粗いのは許してよ。次はもっと丁寧に仕上げるからさー』
脳裏に焼き付く言葉達を散らそうと頭を振れば、頭上からホーエンベルク様の「大丈夫か、アグネス嬢?」という心配そうな声が降ってきた。いつの間にかわたしは城の外にいて、数歩先には屋敷からの迎えの馬車がある。
「ホーエンベルク様……? あら、まぁ……嫌ですわ、少しぼんやりしてしまったみたいですわね~?」
「ああ……その、先程から話しかけていたのだが、様子が少しおかしいぞ。どこか調子が悪いのか?」
「いいえ、ご心配をおかけして申し訳ありません。どこも悪くありませんの~。少し遊戯盤に熱中しすぎたみたいです」
「そう……か、それなら良いのだが。もし体調が思わしくないようなら、明日の登城は取り止めにして屋敷でゆっくり休んでくれ」
「うふふ、ホーエンベルク様は心配性すぎですわ~。わたしはベルタ様の代理人ですもの。明日もきっちり登城してバリバリ働きますわよ~」
明るい声をあげて胸を叩いても、ホーエンベルク様はまだ心配そうな視線を送ってくるので、その視線から逃げるようにして馬車に乗り込み走らせた。
「うーん、初恋って意外と苦いものですのね~……ふふ」
何だか込み上げてきた笑いを抑えつけ、シートの上で膝を抱えて丸まりながら、遅すぎる恋心に大きくバツの印をつける。




