◉1◉ 目的と手段。
「んー……あと何か書き忘れているようなことってあったかしら……」
昔お姉さまに教わった【思い出せないならとりあえず口に出してみる】法で内容を考える間、便箋に走らせていたペンを一旦止めた。
わたしの手許にある薄いピンク色の便箋の隣には、お姉さまから届いた淡い黄緑色の春を思わせる便箋が並んでいる。
“アンナ、元気にしていますか? こちらは現在ガンガルの鼻を借りて、領地に紛れ込んでくる怪しい荷物の捜索に大忙しです。識字率を上げて商人の往来が多くなるのも良いことばかりではないと分かったわ。お父様と相談して検問方法の見直しをするつもりよ”
便箋に踊る優しい文字で綴られた内容は、とても心穏やかではないものだけれど、お父さまとお姉さまがいれば大したことではないと思えるから不思議だわ。ぼんやりと視線を窓へと移すと、三月から四月にかけて一斉に芽吹き始めた庭木の梢が視界に入った。
時間はほんの少し遡る。あれはお姉さまに解雇通知が下される三月一日を待たず、二月二十四日のことだった。
お父さまが仕事中上司に当たる文官を殴ってお役ごめんとなり、お姉さまは表向きは父の暴力事件で自領への帰還を余儀なくされた……ことになっている。だから手紙のやり取りをあまり頻繁にできない。一ヶ月も離れているのにこの手紙が初めてなのがその証拠だわ。
本当のところはどうだったのかと訊ねると、お父さまはまったく悪びれず、
『キリが良い日程だと、周囲の無能共にベルタの能力が不足して解雇されたと思われてしまう。それだと癪じゃないか。あと純粋に無能なくせに上司面をして仕事を押し付けてくるあの男が鬱陶しかったんだ。無能だったが、あいつの殴ったときの倒れ方は良かったなぁ』
と言って、それはそれは晴れやかに笑っていた。でも何回無能って言うのかとは思ったけど。文官なのに語彙が少ないのは減点ね。
ちなみに相手は奥歯を一本失う怪我をしたらしいけど、常日頃からお姉さまを女のくせに学問を語る生意気な嫁き遅れと周囲に吐き、お父さまをお姉さまのおかげで出世した顔だけ男だと言っていたそうだから、足りないくらいだわ。
……どうせなら頭髪を全部ぶち抜くくらいのことをしてくれても良かったのに。
当然相手の貴族は陛下にお父さまを厳罰に処すよう申し立てがあったけれど、でも実際に陛下から直接ランベルク公の失脚に手を貸すようにと王命が下っての措置だから、お父さまは前述の通り自領に戻るだけで済んだ。
それと、お姉さまの後任にはアグネス様が就いて下さった。どうにもお姉さまが陛下にゴリ押ししたようだったけど、それがなくてもアグネス様以外に相応しい後任なんていなかったから、この人事には大満足だった。
わたしはもう婚約者も決まっているから社交界の噂なんてどうでも良いし、婚約者のヴァルトブルク様のご家族も全然気にしていないそうなので、こちらについてはほぼ無傷。おまけに結婚すれば彼はエステルハージ姓になり、お城勤めはせず領地経営と劇作家としての生活となる。
分かりやすく言えば王都で生活できなかろうが、上級貴族に悪し様に言われて出世の道を断たれようが平気なのだ。お姉さまは色々と呆れていたけど、お父さまは『早めの隠居生活だな』とウキウキしていたからやっぱり問題はないわね。
ヴァルトブルク様も『ぼ、僕も、次の公演で、義姉上と義父上の不名誉な噂が消えるように、頑張るから!』と言って、真っ赤になりながらも震える両手でわたしの手を握ってくれた。
そんな彼の手を握り返して『馬鹿ね。そんな決心をしないでも、貴男の作る舞台が面白いのは当然なのよ』と言ったら、もっと赤くなってしまって。本当に何であんなに自分に自信を持てないのかしら。
団員の皆はお姉さまが陛下に持ちかけられた話は知らないものの、お父さまとお姉さまの処遇を聞いて、俄然やる気になってくれている。今のわたし達にやってやれないことなんてないのでは……とまで思ってしまう。
“貴女は八月の結婚式に向けての大事な準備があるのに、こんな政治的に面倒なことに巻き込んでしまってごめんなさい。来月中に一度そちらに戻るから、こちらから送ったお母様のウェディングドレスのお直し進捗を聞かせて。それと絶対に私のいない間に危ないことをしては駄目よ? ヴァルトブルク様と仲良くね”
何度も読んでいた文面を改めて読み直していたところで、ふと書き加えたい文面が思い浮かんだ。手紙らしい手紙はこれが初めてだけど、荷物は一度だけヴァルトブルク様の名義で受け取った。
「そう、ドレスよ。こんなに大事な情報を書き忘れてたなんて……危なかったわ」
思わず零れた独り言に自然と唇が弧を描く。いそいそと“色が変わってしまっていたヴェールに似たものを取り寄せてもらえたの。とても綺麗よ。早くお姉さまに見せたいわ”とペンを走らせた。
「よし……これで完璧ね」
最終確認をしながら便箋をヒラヒラと振ってインクを乾かしていると、自室のドアがノックされた。身体を書き物机からドアに向けて「入って」と声をかければ、ジリジリと開いたドアの間からワゴンを押すガンガルが現れる。
王都に手紙を運んで来てくれたのに休まないで給仕とか……よっぽどあの紅茶を飲ませたいみたいね。でもそれを見越したお姉さまが手紙に同封してくれた胃薬があるから準備は万全よ。
「妹様、領地に持ち帰る手紙、書けた?」
「ええ、バッチリね。早速だけど紅茶をもらえるかしら。喉が渇いたわ」
「うん、任せて!」
そう言って輝く笑顔を見せてくれるガンガルには悪いけど……本当はできれば普通に水が飲みたい。けど、ここはこの後の布石のために穏便にいかないと駄目よアンナ。わたしもお姉さまの役に立てると証明して見せるわよ。




