*28* 王様の耳はー……。
ずっと顔を覆ったままでいられるはずもない。諦めて両手を下げれば、そこには王子二人を足して大人にしたよう顔の陛下が立っていた。今更取り繕ったところで無駄だけれど、ゆっくりと立ち上がってカーテシーをとる。
するとすぐに「構わぬ。座って楽にせよ」との声がかかった。いや、だから無理ですってば。拉致されてこの帰り道も分からない部屋で目の前には最高権力者。詰んだなとは思ってても警戒くらいする。
けれど陛下はそんなこちらの内心を見透かすように「人払いをしてある」と言い、自身は先に対面するカウチに腰を下ろした。
確かに目の前にいる彼以外の気配は感じないが、それでもその言葉を鵜呑みにできるほど私は武芸達者ではない。技量に大きな差があれば気配なんて簡単に隠せてしまう。王を護る近衛兵と護身術を嗜む令嬢なんて天と地ほどの力量差だ。
しかしここに拉致された理由も気にはなるので、諦めてさっきまで座っていたカウチに腰を下ろした。
脚を組んでこちらを冷たい眼差しで観察してくる陛下を私も観察してみる。国の最高権力者の年齢を気にしたことなんてないが、父より幾つか歳下だろうか。マキシム様がひねたままもっと鬱屈した日々を送って狡猾に歳を重ねた感じだ。
近くで見るとやや頬が痩けて不健康そうな影が落ちている。失礼かもしれないけど、たぶんゲームで教え子を殺すときの彼もこんな瞳をしていたのだろうと思う。マキシム様は父親似だったのか。
だとするとこの人の奥さんだった王妃様は大変だっただろうな……何てことを考えていたら、陛下が口を開いた。
「何故、小切手に“0”と書き込んだ?」
あ、やっぱり昨日のことでのお呼び出し……もとい拉致でしたかと、納得と落胆を同時に味わう。ちなみに落胆の理由は説明の面倒臭さからだ。でもどう言葉を選んでこの場を切り抜けようかと悩んだのは一瞬で。
どの道解雇されることになっているのだと思い出してしまえば、言葉を貴族らしく装飾するのも面倒になってしまった。なので、素直に「恐れながら必要ではなかったからですわ、陛下」と答える。
王都で家庭教師と遊戯盤を筆頭とした知育玩具の稼ぎに加え、演劇での売上げも幾らかは手許に入ってくるのだ。その金額だけで王都でも一年は部屋を借りて何もせずに生きていける。それに領地に引っ込めば尚更自分用のお金の使い道は限られてしまう。
「あれは民が国を良くしようとするために王家に預けたお金です。それをいま経済的に困窮しているわけでもない私が受け取るのは、税金の無駄遣いに他なりません。ですから小切手には“0”としたためさせて頂きました」
――よし。王様相手に淀みなく言えたぞ。上手く微笑めているか分からないのは惜しいけれど、エステルハージ家長女としての意地は張れた。
しかし陛下はこちらの内心を探るように双眸を眇め、今度は「しかしあれを御せた褒美は必要だ。何か望みはあるか」と言う。彼の指す“あれ”は、まず間違いなくマキシム様のことだろう。ここにもいたか、このタイプの親が。子供を“あれ”や“これ”と呼ぶ親が、私は心底嫌いである。
どうやら教え子とマキシム様のルートが強く紐付けされていたのは、この辺りの事情も原因なのだろう。親に愛されなかった似た者同士。不用品と不良品同士の結婚だったのだ。
子供は親を選べない。親は子供を選ぶのに。何とも不公平なことだ。
「では……形ある褒美は必要ございませんが、発言をお許し頂けますでしょうか?」
「申してみろ」
「どうか王子方のことは、今後名前で呼んで頂きたいのです。教育係だった私でも“あれ”ではどちらの王子を指されているのか分かりません」
「手を焼かせたのは第一王子だけだろうに、区別必要があるとは思えんな」
「生徒である以上に子供ですので、手を焼かせることにご兄弟の上も下も関係ありません。どちらも“それなり”にでした。そのものの呼称を正しく呼ぶことは区別ではなく理解です、陛下」
親に名前を呼ばれると認められた気になる。こちらを向いてもらえた気がする。気にかけられているのだと、ほんの少しでも自分を騙せるようになる。
「意味があるとは思えぬが、それがそなたの“褒美”になるのならそうしよう」
「……ありがたき幸せにございます」
まったく響かない相手への進言は虚しい。咄嗟に落胆の色が瞳に浮かんでいることを悟られないよう目を伏せた。これで話も終わりだろう。拉致られたときと同じく目隠しをされるとしても、もうさっさとここから退出したい。
「前置きはこの辺にして、次にそなたをここに呼んだ本題に入るが」
――んっ? 何て??
「本題は、この件ではないの、ですか?」
「当然だ。いまの話のためだけに公務に穴を開けるとでも思うのか?」
「いえ……申し訳ありません」
「そなたの答えで本題に入るかどうかを確認した。本来なら小切手にどのような金額を記入するかで判断できたが、まさか“0”と書くとは思っていなかったのでな」
「左様でしたか。では興味本位でお聞かせ頂きたいのですが、もしも私があの小切手に法外な金額を記入していたらどうなっていたのでしょうか?」
「探求心が旺盛なのは教育者としては美徳だが、知らぬ方が良いこともある。だが敢えて一例を挙げるのなら、その後の人生において常に監視されていた未来もあっただろう」
――あ、そう。まぁ家庭教師の身柄なんてその程度のことだよね。これは暗に“身の程知らずな野心を覗かせればどうなるか、分かるな?”的な脅しとみた。
別に離職してすぐに文○砲にロイヤルネタを売ったりしないのに。一度死んだことがある身でも命は惜しい。
脅しをしっかり理解したことを見せるために一つ頷けば、陛下は気怠そうに脚を組み換えて右手で頬杖をつき、やはり意思の掴めない双眸をこちらに向けたまま口を開く。
「本題はランベルク公爵についてだ。どこまで嗅ぎ付けたのか素直に申せ」
抑揚のない声で告げられたその爆弾発言にめちゃくちゃ帰りたくなったのは、ご理解頂けることだろう。うん、あのね……王様ってば、地獄耳だわ。




