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★26★ 餞別と呼ぶには優しくて。


「まぁ……ホーエンベルク様のお話を伺っていたら、さっきの店で読んだ本も買っておいた方が良かったように思えてきましたわ」


 ポツポツと街頭の明かりが灯り始める頃、次の授業内容についての意見を交わしながら隣を歩いていた彼女はそう言ったかと思うと、不安そうな表情を浮かべて足を止めた。


 近隣諸侯の歴史の話から大陸全土の歴史へ授業範囲を広げるというので、内政と軍事の大まかな遍歴を組み込んではどうかと提案したのだが、この様子からすると先程の本屋にそういった内容のものがあったようだ。


「それなら一緒に店まで戻ろう。荷物持ちくらいにはなれる」


「いえ、そこまでして頂くのは申し訳ないです。いまも今日これまでに購入した本を全部持って頂いているのに、さらに持って頂くわけには……」


「ガンガルが同行できない日は貴方の護衛でもある。教材を選んでいる間は話しかけないし、少し離れた場所にいるからじっくり選んでくれ」


 このままだと一人で戻ると言い出しかねない彼女に向かって言葉を重ねれば、通りの明るさと脇道の薄暗さを見比べた彼女が「ありがとうございます。それでは、お言葉に甘えさせて頂きますね」と微笑んだ。


「いまの会話だけで次の授業に必要なものが思い浮かぶのは流石だな。俺ももっとフランツ様を観察して見習わねば」


「ふふ、大袈裟ですわ。それに引継ぎができるものはしっかり引継いでおかないと、次の先生に代わったときに授業の内容が戻ってしまう場合もありますから」


 そしてまたゆっくりと来た道を戻る彼女と授業の組立てについて意見を交わす。新しい試みを次々に口にする彼女の表情は生き生きとしている。


 ベルタ嬢に解雇通知が届いてから二週間。未だ王家側からの沙汰はない。王家が……陛下が何を考えているのか分からないいま、自分にできることがほとんどないことが恨めしかった。


 戦功で得た第二王子の教育係としての褒美の地位ではなく、一軍人としての頃の方が発言権があるのは皮肉なものだ。当時の自分の言葉になら僅かばかりでも陛下の耳に届いただろうと思えば、尚更惨めだった。


 彼女は残された日数を惜しむように仕事が終わってから、空が暗くなるまで王都の本屋で引継ぎ用の教材を探し回っている。そこにアグネス嬢や、エリオット、就業後の俺が加わる日々。


 四人でダラダラと本を選ぶこともあれば、アンナ嬢とヴァルトブルク殿も加わって六人になったり、こうして今日のように一対一になる日もある。


 ガンガルは連日エステルハージ殿の命のもと、あの脚本家の住んでいるアパルトメントを監視していているため、ベルタ嬢の護衛にまで手が回らない。


 結局最初に立ち寄った本屋でさらに一時間ほど教材を選び、フランツ様が好みそうな本を追加で選んでくれた。


 教材分は経費で落ちるが、フランツ様の本は娯楽向けなので落ちない。そこで購入代金を払おうとしたら「これは私からの餞別なので」とやんわり断られた。


 その後はマキシム様のお気に入りであるメンコの材料を補充しに文具店へ向かい、その次はアウローラ嬢にお守り代わりに持たせるリボンを作っていると聞き、品揃えの良い手芸店に案内した。


 男が手芸店に詳しいことに驚いたようだったが、母が手芸好きでよく荷物持ちにかり出されていたことと、エリオットに報酬としてねだられる実家のワインを送ってもらう代わりに、王都で売られている珍しいボタンやレースを送ることがある。


 それに学生時分は、エリオットの趣味であるガラスビーズを町の雑貨屋に売りに行くのにも付き合った。あれはあいつが長期休暇明けに領地で作ってきたものを、学園内で生徒に売っているのが見つかって教師に怒られたせいだったが……。


 そんな風に当時を懐かしく思い出しながら街中の手芸店に詳しい理由を話せば、彼女は「学友といまでも交流があるというのは羨ましいですわ」と述べて、笑ってくれた。


 両手にぶら下げた本の入った紙袋と、腕に抱えた餞別の品々。ただ餞別と彼女が呼んだものは、どれもみな親戚の子供を喜ばせるためのような贈り物ばかりで。すぐに再会できると思わせる絶妙な選び方だった。


「……アウローラ嬢やマキシム様達にはまだ話さないのか?」


「子供達に教えるには今後の身の振り方がきちんと分かってからでないと、無責任に“また会える”と約束して会うことが叶わなくなれば、しなやかなあの子達の心に傷が残ってしまいますから。一度発芽する際に傷が付いた葉は、育っても美しく展開しません。羽化をする寸前の蝶やトンボの翅と同じことです」


 そう言ってこちらを見上げて笑みの形に細められる双眸に胸が痛む。


 ――俺は、彼女に好意を抱いている。


 最初は憧憬だったと思う。戦場しか知らない、壊すことしか知らない自分にも、誰かを育み導けるのではないかという希望を彼女にもらった。次に再会したときには接点を見つけようと躍起になり、彼女を散々困らせた。


 だが、勝手に第一王子の教育係として召し抱えられ、理不尽に解雇されそうになっている彼女からすら教わってばかりだ。


 思ったままに「貴方は本当に優しい人だ」と伝えれば、ベルタ嬢は「私は人と衝突したくないだけの優柔不断で狡い人間ですわ」と答える。自身を褒める言葉に頷くところを見たことがない彼女に歯痒さを感じながら、エステルハージ家までの帰路を送って行ったのだが――。


 屋敷の前で姉の帰りを待ち構えていたアンナ嬢の「お姉さまこれ! 手紙が来たわ!」と言う言葉で、明日の予定の精神的過酷さを悟る羽目になったのだ。

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[良い点] ……狼さんと仕事終わりのデート…(*´艸`*)うふふのふ
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