*25* 深夜のお茶会。
「もう……大切なお話があるのにお父さまったら今夜も遅いのね。そんなに日中お仕事をさぼってるのかしら?」
何度目かの欠伸を噛み殺すアンナのその言葉に合わせるように、時計が深夜の十一時を指した。
隠し事をすっかり吐き出してしまった私とホーエンベルク様は、あのあとも散々温かく弄り倒されて、九時頃までゆっくりと今後のことについて話し合った。とはいっても、まずは手紙にもあったように追って沙汰を待つしかない。
だから今後のことと言っても、次からは新しい情報が入るたびにきちんと報連相を取り付ける約定を交わしただけだ。使用人達やガンガルはすでに自室に下がらせてあるので、応接室には私とアンナの二人だけである。
「ふふ、アンナったら。お父様は家ではああだけれど、王城で見かけるお仕事中は結構キリッとしていて格好良いのよ? 有能だから色々押し付けられているのかもしれないわね」
心配していると素直に言えないお年頃のアンナが唇を尖らせるので、ビロードのリボンに刺繍する手を止めてそう言うと、疑いを隠そうともしない目で「本当に?」と訊ね返される。
世の残業三昧なお父さん方はちょっぴり泣いてもいいと思う。親の職場見学なんて前世でも体験できた子供は珍しかっただろうが、仕事中のパパはいつもより格好良いらしいよ? 私は今世でちゃんと見たから格好良いと知ってるけども。
「お父さまが格好良く見えるなんて、王城内はよっぽど素敵な男性がいないのね」
現実とはかくも無情。反抗期な娘の逆身内フィルターによりバッサリと切って捨てられる父に憐れを催す。領地に戻されるか追放ルートに入るかは分からないけど、その前に一度で良いから妹に仕事中の父の姿を見せてあげたいものだ。
――と、廊下からワゴンを押す音が聞こえてきて、応接室の前で止まった。続くのは卵を割るときに似た小気味良いノック音。アンナが「入って」と声をかけるとドアが開いて、ワゴンを押しながらガンガルが入室してきた。
「あら、ガルじゃない。まだ寝ていなかったの?」
「ん。お嬢と妹様、まだ寝ないから……紅茶、淹れてきた」
その言葉に視線を彼からワゴンに向ければ、ティーコジーをかぶせられたポットと、ティーカップが二セット乗っている。いくつか並ぶ小さな可愛い陶器瓶はガンガルのジャムコレクションだ。どうやらすっかりジャム入り紅茶にはまってしまったらしい。
「凄いわ。ガルったらいつの間に紅茶を淹れられるようになったの?」
「まだ、修行中の身。お嬢にしか、飲んでもらえない」
「まぁ、わたしだって淹れてくれるなら飲みたいわ。だけど紅茶に……ジャムだけ? スコーンはないみたいなのに、このジャムは何に使うの?」
「ジャムは、紅茶に入れる」
「ええ?」
「入れる。美味しいよ」
「ええええ……?」
前世ならあの飲み方は“ロシアンティー”と呼ばれているが、実際はウクライナやポーランドでの飲み方で、ロシアではジャムを舐めながら、濃く煮出した紅茶をお湯で好みの薄さにして飲むのが一般的である。
でもまぁ、そんな雑学はいまはどうでもいいか。
絶対紅茶にジャム入れるマンになっているガンガルに対し、引きまくりのアンナ。ちなみにこの紅茶の飲み方はこちらの世界では定着していない。何よりの問題として、ガンガルの紅茶の腕前がまだ安定していない。
まして深夜にあの濃さの紅茶を飲んだりしたら、カフェインの過剰摂取で眠れなくなるだろう。そこでガンガルにポットに追加のお湯とティーカップを持ってきてくれるよう伝え、嬉しそうに部屋から出ていく彼を待つ間、アンナにこの紅茶を飲む上での心構えを説いた。
神妙な表情で聞き終えた妹と相対していたら、廊下を歩く足音が聞こえてきたのだけれど――……。
ドアが開くと同時に「お嬢、妹様、王様帰ってきた」と、トレイにティーカップを二セット乗せたガンガルが入室してきた。そしてその後ろからすぐに湯気をあげる大きなポットと鍋敷きを持った当主が現れる。
「やぁただいま、我が家のお姫様方。父様を待っていてくれるのは嬉しいけれど、あまり夜更かしをするものではないよ?」
「お帰りなさいませお父様。あの、いつお帰りになられていたのですか?」
「ついさっきだよ。厨房の明かりがついていたから覗いてみたら、ガルがいたものでそちらから回って入って来たんだ」
「呼び鈴くらい鳴らしてくれれば良いのに。泥棒かと思うじゃないの」
「夜も遅いからな。歳で眠りの浅いショーンが起きると可哀相だろう?」
冗談と気遣いの混じった軽口を言う父にソファーを勧め、ガンガルが淹れてくれた煮出しすぎな紅茶をティーカップに注ぐ。
最早香ばしい麦茶を彷彿とさせる水色のそれを前に、父とアンナはやや頬をひきつらせたものの、同席を許されて一緒に紅茶を飲むことになったガンガルから期待に満ちた視線を向けられ、ポットのお湯で紅茶を割ってからジャムを投入。
アンナはリンゴ、私とガンガルは梨、父はアプリコットだ。
少しの間それぞれ紅茶の新しい飲み方について語り合い、いよいよ本題となる手紙を恐る恐る父に差し出すと、彼はその内容にサッと視線を走らせてから「馬鹿なことを」と吐き捨てた。
「ごめんなさい、お父様。こんな不甲斐ない結果になってしまって」
「ベルタは何か両王子のご不興をかう真似をした覚えはないのだろう?」
「それは大丈夫だと思うのですけれど……この手紙の結果が全てだわ」
何が足りなかったのだろう。どこに不満を持たれたの。自分でも気付かないうちに、演劇の題材にされるくらい傲っていたのかもしれない。家族だけになった室内で、急にそんな思いが押し寄せてきて俯く私に「お姉さまは不甲斐なくなんてないわ」と、アンナが寄り添ってくれる。
「私一人にご不興が向かうのなら構わないの。教育に満足を感じられなくなったのなら、それは教育者としての私の力不足だから。けれど二人まで後ろ指を指されたり迷惑がかかるかもしれないと思うと……怖い」
ポロリと零れ落ちた本音に、呼吸が乱れた。だけどこれは泣いてどうにかなる問題じゃない。それなのに――。
「成程。お前は本当に優しい子だな。でも父様は今まで頑張ってきたお前の努力を嗤い話にされる方が面白くない。貸せと言ったりいらないと言ったり、王家とはいえこの横暴は許せるものではないよ。謝罪すべきはベルタではなく向こうだ」
ティーカップの底に溜まったジャムをスプーンで掬い、行儀悪くそれを咥えたまま父は笑った。その横では新しくお代わりの準備をするガンガルが、子供の悪戯でガクガク首を上下させる赤べこの如く頷いている。
……ちょっとそんなときでもないのに笑ってしまいそうになるじゃない。
実際にフッと身体から力が抜けてほんの少し笑ってしまった私に、父とアンナ、それからガンガルがつられて笑ってくれた。
「お前達はわたしには良くできすぎた娘達だ。何も気に病むことなどない。それよりもベルタが解雇されるのは三月一日なんだね?」
優しげな笑みを浮かべてそう念を押してくる父に頷き返せば、彼は「予定が決まっているのは良いことだ」と。そんなことを言いながら、ガンガルの二杯目の紅茶を受け取ってくれたのだ。




