*22* ご相談がありまして。
ガンガルの報告を受けてもう一度古びたアパルトメントを振り返る。彼が消えたドアは固く閉ざされ、再び開く気配はない。カーテンが隙間なく閉められた窓とあいまって、外の世界を拒絶しているようにも見えた。
王都一の大劇場の脚本家がこんな……と言っては悪いが、でも本当に活躍に釣り合わない家に住んでいるように感じる。お給金が出来高せいだとしたら、もっと劇場に近くて新しいところを借りられそうなものなのに――?
けれど私がそんな疑問を抱いていたら、ガンガルが「お嬢、時間、いいの?」と声をかけてくれたことで正気に戻り、慌てて来た道を二人、手を繋いで馬車を待たせている場所まで駆け戻った。
心配してくれた馭者に謝ってから馬車に乗り込み、王城を目指す車内で再度ガンガルに礼を言うと、弟気質のわんこは「執事に、お嬢は夢中になると、時間忘れるって、聞いた。そのときは、オレが止めろって」と言う。一番最初にガンガルに往復ビンタを食らわせたあの執事がそんなことを。
よくよく考えてみれば、私がガンガルに屋敷の仕事を教われるように使用人達に手配しても、彼は何も言わなかった。恐らく彼はこちらの目論見に気付いているのだろう。
でも止めないで見守ってくれている。それは彼がガンガルを自分の部下として認め、導いてくれるつもりであるからだ。殺したり、殺されたりすることに怯えを感じる心すらなくしかけていた子供に、新しい居場所を、自身の後継としての未来を与えようとしてくれている。
まぁ……執事採用の条件が一定の武力がある人間しか就けないというのは、きっとよそのお家では異常なのだろうけど。狭い門戸をくぐってくれる若い人材は少ない。いつか屋敷の人間に可愛がられて生来の性格が出てきたこの子のために、可愛いお嫁さん候補を探す日もくるだろう。
そんな未来のことを考えていたら、さっきまで路地で感じていた怒りも幾分か和らぐ。そのためにもいま、動かなければ。
視線を膝の上の封筒に落として唇を引き結んでいると、馬車の速度が徐々に落ち、馭者が「城に到着しましたよ」と小窓から声をかけてくれた。
今度こそ先に馬車から降りたガンガルが私に手を差し伸べ、淑女らしく地面に降りたつ。帰りは徒歩でいいと告げるも、とっくにお見通しだったらしい馭者は「了解しました。じゃ、お前がしっかり護衛するんだぞガル」と笑って、ガンガルの頭をクシャクシャと撫でて帰っていった。
――と、ご用門に向かって歩く私達をみとめた門番の一人が、こちらに手を振ってくる。目を眇めてそちらを見ると、何度か鍛練場でお相手をした兵士だった。
咄嗟に私の前に立とうとするガンガルの袖を引いて大丈夫だと告げ、しずしずと整備された石畳を歩いてご用門に辿り着く。
「やっぱりベルタ様だ。あれ、でも今日は非番でしたよね? それともエステルハージ様にご用ですか?」
「いいえ、今日は父ではなくてホーエンベルク様にご用があって」
「ホーエンベルク様に?」
「ええ。取り次ぎをお願いできますか?」
「勿論ですよー。でしたらちょっとだけここで待ってて下さいね」
護衛のガンガルの姿をチラリと見た彼はそう言うと、もう一人の同僚に「持ち場を頼むなー」と間の抜けた声をかけて呼びに行ってくれた。嫌々付き合わされていたマキシム様との鍛練場での人脈がこんなところで活かされようとは。
とはいえ相手の用向きくらいはきちんと確認した方が良いと思うけど。今日は詮索されたくなかったから教えなかったけど、次に彼の当番のときに当たったら教えてあげないといけないかもだ。
ガンガルと帰りにおやつを買いに立ち寄る店を相談しながら、体感時間で十五分ほど経った頃。門の向こう側からさっきの兵士と何やら言葉を交わしている声に気付き、ササッと身だしなみをチェックする。
無言でガンガルに向き直れば親指を立てて頷いてくれた。合格らしい。そのやり取りが終わる頃、ちょうど門が開いて待ち人が現れた。
「ベルタ嬢にガンガルか。今日は非番だっただろう?」
「授業中にお呼び立てして申し訳ありません」
「いや、それは構わないが……何かあったのか?」
「はい。少々困ったことが。今日のお仕事が終わり次第これと、ここに来るまでにガンガルと見たことについてご相談がありまして」
人目を気にしてコソッとポシェットから覗かせた手紙の封蝋を見た彼の目が、ほんの僅かに見開かれた。




