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*21* 賢いわんこ。


 教えているのではなく、あくまでおさらいをしている風を装った紅茶の練習と試飲を終え、執事にもしも帰りが遅くなってしまったら先にお茶会をしておいて欲しいとアンナへの言付けを頼み、用意してもらった馬車でガンガルと屋敷を出た。


 小さな馬車の中で向かい合わせに座っていると、窓の外に興味津々のガンガルが「お嬢、あれ何?」「お嬢、あれは?」と訊ねてくる。けれど彼がどれを指差していたのかは、馬車が動く速度と噛み合わない。


 すぐに見えなくなってしまう対象物を教えてやるには、隣に座っていた方が良いと結論付けるのにそう時間はかからなかった。


 中でもガンガルは色とりどりのタペストリーと絨毯を扱う店が気に入ったのか、窓の外にそういった店が現れると楽しそうに「お嬢、今のやつ、キレイだったね」とはしゃいだ。


 そんな姿を微笑ましく眺めながら、行きは馬車に乗ったけれど、帰りは普段あまり出歩けない彼のために徒歩で帰ろうかと思っていた――……そのとき。路地裏に消えていく見覚えのある人物にギョッとした。


「あ、ちょっ……馬車を止めて頂戴!」


 焦りから思わず席を立ち、馭者席の後ろの小窓を叩いてそう言うと、慌てて馭者が馬の脚を緩めてくれた。


 ポカンとしているガンガルに視線で謝り、馭者席で「どう、どう、よしよし、良い子だ」と馬を宥める馭者に小窓越しに「ごめんなさい」と謝る。振り向いた馭者は人好きのする表情で「大丈夫ですよ」と応じてくれた。


 馬車が停まったのを確認してから内鍵を開け、誰の手も借りずに石畳へと降り立つ。次いで降りてきたガンガルは「お嬢?」と小首を傾げるものの、説明する暇も惜しい。


 馭者に向かって「すぐに戻るから、少しだけここで待っていて」と言い残し、ガンガルの手首を掴んで、見覚えのある人物が消えた何本か通りすぎた後方の路地へと走った。こちらの様子に彼は疑問を口にすることなくついてきてくれる。


 そして目印にしていた角の小間物屋の路地の前で一旦脚を止め、そっと路地の奥を覗き込もうとしたら、手首を握っていた私の手をほどいたガンガルがふるふると首を横に振った。


「……お嬢、ダメ。ここで待ってて。この奥から、嫌な臭い、する」


「え? 嫌な臭いってもしかして――、」


「うん、あの臭い。すごく薄いけど、する。だから待ってて」


 まるで目に見えない臭気から庇うように路地へと続く壁と私の間に滑り込んだガンガルは、意識を奥へと向けていた。しかしそうは言ってくれても顔は強張っているし、僅かにだけれど震えている。無理矢理付き合わせた上にこんな状態で一人で行かせるのは嫌だ。


「それなら尚更一緒に行くわ。守ってくれるのでしょう?」


 我ながらずるい聞き方だとは思う。けれど大人は元来ずるいものなのだ。ガンガルは一瞬だけ眉間に力を込めて黙っていたが、すぐに「傍、離れたらダメ」と言って手を繋ぐように差し出してきた。


 頷いて手を重ねれば、思っていたよりも大きな手に力強く握り込まれる。緊張しつつも冷静に空気中に残った香りに鼻をひくつかせるガンガルに手を引かれ、昼前のまだ陽が届かず薄暗い路地へと脚を踏み入れた。


 なるべく摺足を意識してガンガルの一歩後ろを歩く。最初のうちはこちらの足運びを気にしていた彼も、私の歩き方に不安がないと分かると速度を上げた。それにしても……意外というか、路地は薄暗いながらも普通の家庭の営みを思わせる生活感がある。


 そこに件の薬の香りが混じっているというガンガルの言葉に、少しだけ恐ろしくなった。王都の――しかも王城の程近くにガンガルを怯えさせるあの臭いがしている。何て気分の悪い話だろうか。


 腹の底に怒りが燻るものの、視線だけは前を見据えて先を急ぐ。するとガンガルがピタリと背中を壁に張り付けるようにして足を止めたので、私も慌ててそれにならう。唇に人差し指を当てた彼が覗き込むよう促した先には、古いアパルトメントの前で何か話している二人の男の背中があった。


 一人は痩せぎすで背を丸めた見知らぬ男だったが、もう一人は見間違いようもない。彼の姿を馬車から見かけてここまで追って来たのだ。


 ランベルク公を思い起こさせる色の髪が、建物の狭間を抜ける風に靡いた。離れているために会話の内容までは聞こえない。歯痒い気持ちで二人の後ろ姿を見つめていると、不意にガンガルが「何が気になる?」と小さく訊ねてくれた。


 けれどまさか会話の内容がとは言い出せず、つい「どちらの人の方が臭いがキツイかしら?」と訊ねてしまう。ああしてつるんでいるのだから同じ臭いがして当たり前だし、先入観ではあるけれど、絶対にランベルク公に似た彼の方が臭いを纏っていそうだと思う。


 けれどこちらがその失言を引っ込めるより先に、ガンガルが「ここで待ってて」と言い残してサッと二人のいる方向へ歩き出した。突然のことにポカンとする私の視界には、何でもなさそうな……ともすれば日課の散歩を楽しんでいるような足取りで二人の横をすり抜けていく。


 一瞬だけ二人の視線がガンガルを捉えたけれど、あまりにもスタスタと横切っていく彼に対して、彼等もすぐに興味を失った様子だった。


 その後ガンガルは一筋先の角を曲がって姿を消し、ランベルク公に似た彼はアパルトメントの一室へ、もう一人の男はガンガルが曲がった角のさらに一筋先の角を曲がって消えた。


 誰もいなくなった路地で、まだ動いては駄目なのかと一人でソワソワとしていたら、フッと背後で風の起こった気配がして振り返ると……そこには紅茶を褒めたときと同じ表情を浮かべたガンガルが立っていて。


「ただいま、お嬢。オッサンの方が臭くて、若い方はほとんど臭わなかったよ」


 そんな意外すぎる報告をしてくれた彼の後ろに尻尾が見えた気がして、思わずその頭を撫でてしまった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] わんこ可愛いぃぃ……♡ ハード系寄り道散歩だったけど(笑)
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