*20* 苦い手紙と甘苦紅茶。
「ああ……?」
朝、父を仕事に見送ってから、新聞と一緒に自分宛に届いた手紙の内容を読んでいた最中に口から出たのは、淑女らしからぬ声だった。
そのことに驚いて顔をこちらに向けたのは、最近紅茶の淹れ方をメイド達に教わり、朝食後にその用意をしてくれているところだったガンガルだけだ。アンナは昨夜も遅くまで執筆していたから、お昼まで眠っていることだろう。
「ん、んん、ごめんなさいね、喉の調子が悪いみたい」
目を真ん丸にして私を見ていたガンガルに慌ててそう告げると、彼はホッとした様子でまた紅茶の用意に集中する。手許が覚束ないのはご愛敬だ。
なかなかメイドと執事から私達に出していいとの許しが出ず、項垂れるガンガルを見ていて、それでは上達しないからせめて私にだけ出させて欲しいと頼んだ手前、邪魔をするのは忍びない。
前日に口にしたいがらっぽい紅茶の味を思い出し、これ以上気を散らせるような真似をして彼の邪魔をしないように唇を噛んだ。彼の方を気にしつつ、一枚しかない立派な便箋に視線を落として読み返してみるが、当然そこに書かれている文面は変わらない。
《ベルタ・エステルハージ嬢。来月三月一日をもって、貴殿の第一王子教育係の任を解く。後任者への引き継ぎなどについては追って沙汰を待て》
記念式典から四日後には予定通り今年の最後を飾る大舞踏会が執り行われ、その後はホーエンベルク様やフェルディナンド様が心配していたような沙汰もなく、すっかり日常のリズムを取り戻していたのに――。
「何か不興を買うような失敗をしたかしら……?」
頭を整理するためにそう口に出してみるも、思い当たる節など何もない。
大舞踏会が終わってからすでに一ヶ月半が経っているけれど、その間にマキシム様と険悪になったこともなければ、フランツ様のご不興を買うような真似もしていないはずだ。
今日は貴重な非番であり、お昼過ぎからは屋敷にアウローラとアグネス様とマリアンナ様を招いて、アンナと一緒にもてなす約束もしていた。第二王子の婚約者で元教え子である彼女とも円満な関係を保っている。
にもかかわらずそれを少しも加味していない、寝耳に水なクビを申し付ける書状。まったくもって意味不明だ。
王のお膝元であり得ないとは思いつつ、騙りを疑ってじっくり届いた封筒の封蝋と便箋の透かしを確認するが、以前王城から来た使者に攫われたときに見たものと同じである。これが偽造品なら作った者達は死罪だろう。
どうしたものかと悩んでいると隣で食器の触れ合う音がして、便箋から視線をそちらに向けると、そこには紅茶をカップの縁ギリギリまで淹れてしまい、テーブルに置くことができずに困っているガンガルがいた。
「お、お嬢、紅茶が、入り、ました」
「ええ、ガンガル……私が受け取るから動かないでね?」
並々の紅茶をそっと揺らさないように受け取っていると、頭に上りかけていた血がゆっくりと下がっていくのを感じる。行儀が悪いものの、テーブルまで無事に着地させることは難しいだろうと感じ、ティーカップに唇を寄せて恐る恐る一口飲む……と。
「ん、何かしら……梨の香りと、味がする?」
鼻を抜ける爽やかな香りとエグ味の中に仄かに甘い梨の風味。直後にエグ味に塗り潰される味覚。斬新な飲み心地だ。総合評価としては“飲めなくもない”くらい。けれどガンガルはパッと顔を輝かせて「そう。梨ジャム、喉に良い」と頷いた。
おうおうおーう……褒めて欲しそうにしちゃって、可愛いじゃないの。
しかも数ある彼のジャムコレクションの中でも、梨ジャムは特別大切にしていた気がする。時間にしてたった数分だろうけれど、ガンガルは私が考えごとをしている間に自室に戻り、梨ジャムを持ってきてくれたのだろう。
肝心の紅茶がエグいのは離れている間に蒸らし時間が過ぎてしまったからで。カップに溢れんばかりに並々入っているのは、紅茶を淹れてからジャムを沈めたせいだと推測される。
――うん、これは総合評価を変えるべきだろうな。
「ありがとうガンガル。とても美味しいわ。きっと喉の痛みもすぐ治まるわね」
「じゃあ、もう一杯淹れる!」
それはできれば遠慮したい。が、眩い笑顔の圧が私の舌が否と言うのをよしとしなかった。
「そ……そうね、頂くわ。あとね、紅茶を飲んだらガンガルにお願いがあるのだけれど。誰かにこのあと何かお仕事を頼まれたりしている?」
紅茶のお代わりを取り付けたガンガルは、嬉しそうに「ない。庭は明日頼まれてる」と答えてくれた。その答えに内心手を叩いて喜びつつ、表面上はしっかりと淑女の微笑みを心がけて、ティースプーンに山盛り細かい茶葉を掬う手を止めるように合図する。
「待って、ガンガル。今度は私と一緒に淹れてみましょう。それからね、紅茶を飲んだら護衛を頼みたいのだけれど……お願いできるかしら?」
「良いよ。でもお嬢、お昼過ぎからお茶会、違った?」
「まぁ、私の予定を憶えてくれているのね。嬉しいわ。でもそれまでには戻るから大丈夫よ。お城にほんの少しだけ用事があるの。ホーエンベルク様にお話したいことができたのよ」
「うん、分かった。オレ、ちゃんとお嬢、お城まで連れてく」
目的地が城と聞いても心強い返事を返してくれるガンガルに、私も微笑み返して。若干不安を感じる手紙のことはほんの一瞬だけ視界からおいやり、梨ジャムに合いそうな大きな茶葉の缶を用意しながら、二杯目の紅茶の準備に取りかかった。




