★17★ 牽制。
突然振り返って投げかけたこちらの問いかけに、相手は微かに考え込む素振りを見せたものの「……妥当だと思いますよ」と答えた。自身に向けられた言葉ではないと素知らぬふりもできただろうに、相手はそうしなかった。
薄暗がりの中に浮かび上がる銀色の柊を模したコサージュ。今夜の式典関係者である証を胸に飾ったその顔は、初めて遠目に見たあの日と同じく、やはりどことなくランベルク公を彷彿とさせる。
薄暗がりで歳が分かりにくいものの、そこまで歳が違うようにも見えないことから、ほぼ同年代だろう。外観から読み取れる情報は残念ながらそれだけだ。
ただどこまでも似ていないのはその瞳か。こちらを探るように見つめるアイスブルーの瞳には、覇気どころか生気すら感じられない。ガラス玉のような瞳だ。一瞬だけ背後のアグネス嬢を視線で追った以外に動きらしい動きもない。
「俺はそうは思えないが」
「……何故?」
「俺の友人もそうだが、君もあちら側に立っていない」
先手を取るのが得意な性分というわけではないが、せっかくだ。少し牽制する程度のことはしておいて損はない。こちら言葉に一度瞬きをした彼は、気怠そうに溜息をついて口を開いた。
「失礼。以前どこかでお会いしましたか?」
「ああ。舞台を観に行った」
「そうでしたか……それはありがとうございます」
薄い唇が少しもそう思っていない言葉を紡ぐ様は、ランベルク公の若い時分を想像させた。再びついと動いた彼の視線が壇上を彷徨う。その場から動く素振りも見られないので、こちらも視線を壇上に向けた。
そこには名を呼ばれ、はにかみながらホールに向かって一礼する年若い戯曲家の姿。隣国から呼ばれた劇団のうちの一つが、嬉しそうに彼へと拍手を贈っている。少年の歳をいくつかすぎた戯曲家は、仲間の拍手に背を押されるように階段を上がっていく。
「……君の知り合いか?」
「いいえ。まったく知らない方です。そもそもこの国にボクの知り合いなど一人もおりません」
「一人も」
「ええ、一人も」
感情のない瞳にそれが嘘だと知っていると投げかけても、その表情は憎らしいほど動かない。流石に脚本家だけあって心理戦は向こうが上手だ。アグネス嬢を先に舞台の方へやっておいて良かったといったところか。
「だが君は彼や彼女等と舞台に立っていた」
「色々な劇団を渡っているだけですから、どこに所属しているというわけでもないのですよ。それに舞台の端に立っていた程度のボクが、あの場所に呼ばれるはずがない」
視線を壇上からこちらに戻した彼は、そう言ってまた気怠げに溜息をついた。苛立ちや焦燥、敵意や殺意のようなものは感じられない。単にそのままを言葉にしているといった様子だ。
「それは乞われて雇われたとしてもか?」
「“乞われて”」
初めて見せた感情の揺らぎはまさかのオウム返し。けれどその瞳に宿ったのは侮蔑と呼ぶのに相応しい色だ。少なくとも雇い主と彼の仲が良好ではないことが窺い知れる。情報量としては乏しいものの、いまは“親しくはない”ということが分かればそれでいい。
「ああそうだ。端役として出ていなかったのにあの場に立っていたのなら、才能は本物だということだろう」
「面白い発想ですが、流れの雇われなど所詮裏方のようなものですよ。もういいでしょうか? 雇われの身とはいえ、現在世話になっている劇団の団員達が名を呼ばれるところを見届けたいので」
「そうか、引き留めてしまってすまない。お互い今夜を楽しもう」
「はい……それでは」
「またそちらの舞台を観に行かせて頂こう」
再び感情のない声でそう言った彼はアグネス嬢のいる舞台の方へは向かおうとせず、人がまばらなホール中央へと歩いていく。その後ろ姿を見送る背後で、またも大きな拍手が沸き上がる。
振り返ればそこにはあのライバル劇団の役者と舞台演出家、それに正規の看板脚本家が笑顔で一礼とカーテシーをとる姿が見えた。光が落ちる舞台から離れた暗がりの彼がどんな表情をしているのか、この位置からでは窺い知れない。
そろそろエリオット達の名が呼ばれる頃だろう。アグネス嬢の背に近付いて手許をちらりと覗いてみたが、お守り代わりの原本に、もう皺は寄っていなかった。