★16★ 先手。
会場入りをする前の約束通り手を振るため、俺とアグネス嬢はすぐに別の入口から通された出席者達の並ぶ舞台の近くに陣取った。
最初ベルタ嬢とエリオットは最上段に座るマキシム様を仰ぎ見て手を振ったり、他の出席者達と会釈を交わしたり、アンナ嬢達と会話を交わしたりしていたが、やがてこちらの存在に気付いて手を振ってくれる。
アグネス嬢の周囲を警戒しつつ二人で手を振り返した直後、今夜の主役達を讃えるために用意された舞台以外の会場の灯りが落とされ、陛下が式典開催の文言を常と同じく熱のない声で告げた。
年末に執り行われる行事の中でも今夜の式典は、ジスクタシアとリスデンブルクの両国間の友好関係を深めるものでもある。従って後日に控えている王家主催の大舞踏会とはまた違った緊張感があった。
厳かな空気の中で一人また一人と名を呼ばれ、一年間の文化的功績を読み上げられて両国の関係者達の前でカーテシーや礼をとる。そして最上段までの階段を上り、再び礼をとった彼や彼女等は竪琴を模したトロフィーと、陛下方の口から直接お褒めの言葉をかけて頂く栄誉を賜るのだ。
「……皆様、自信に満ちておられて美しいですわね~」
ふと少しだけ離れて前に立つアグネス嬢が、思わずといった風にそう口走った。俺に向けられているのか判断に迷う声音だ。彼女の声に一瞬壇上からそらしていた視線を再び壇上に戻せば、隣国の児童文学者がこちらに向かって深く一礼しているところだった。
彼だけでなく、確かに壇上に立つ出席者達からは内包する自信と喜びが溢れだして見える。
うっとりと壇上を見上げる彼女の肩に少しだけ力がこもったように見え、立ち位置をずらしてその手許をちらりと覗けば、マリアンナ嬢がお守り代わりにと持ってきた五国戦記の原本に微かな皺が寄っていた。
もう一度壇上で光を浴びる出席者達に視線を向ける。功績は充分に足りていた。本来ならアグネス嬢の姿もあちら側にあるべきはずだ。それに考えすぎかもしれないが……今回の彼女の件は何かおかしい。
「――アグネス嬢、もっと前に出て見てきてはどうだ?」
「え? ここからでも充分にベルタ様の姿は見えますけれど……。それにあまりわたしが離れすぎるとホーエンベルク様のお仕事に支障が出ますわ~」
「ああ、警備のことならさっきからしている。危険な気配は周囲にない。だから壇上の出席者達にそれが良く見えるように、もっと前に行ってくれて構わない。選出者の職務怠慢を出席者達にも知ってもらわねば」
彼女の視線は壇上から動いていなかったにもかかわらず、警備の仕事について心配されたことにも驚いた。実際には斜め右背後からおそらく同一人物からの視線を感じてはいるが、観察しているといった風で接近してくる気配は未だない。
こちらの申し出に見上げてくる彼女の細い目が少しだけ開いて、目蓋の下から現れた水色の瞳が暗がりに揺れたが、すぐに「ふふ、そういうことでしたら是非」と。元々微笑んでいるように見える表情をしっかりそれと分かるように笑った。
薄暗がりの会場内を二人でゆっくり舞台に近付くと、背中に感じる視線の持ち主もついてくる気配がする。人の目が多い場所までついて来るからには、身体的に危害を加えるつもりはないのだろう。
ただまだ心理的な危害を加える可能性もある。アグネス嬢と背後の人物の間に収まり距離をはかるが、やはり一定の距離以上は近付いてこない。それに狙いが分からない相手を背後に立たせたままというのは、やはり気になった。
ふと思いたって立ち止まってみる。アグネス嬢はこちらが立ち止まったことに気付かずに、そのまま吸い寄せられるように舞台の方へと引き寄せられていく。背後の気配が少し揺れた。
どちらに焦点を絞るのかはまだ決めていなかったのか――?
しかしそれならそれで好都合かもしれない。一か八か背後を振り返る。
するとこちらが振り返るとは思っていなかったのか、こちらの背を追っていた相手は視線を逸らし損ねて目があった。その視線が逸らされる前に相手の目に視線を合わせて口を開く。
「驚いたな……今年は選出者の漏れが多い年のようだ」




