*10* 名誉で迷惑な手紙。
師走にはまだ早いものの、十一月もあと残り一週間を切ったとある夕方。
今年は自身の運気が攫われたり、不名誉な舞台の題材にされたりとろくなことがなかったから、年末に行われる大舞踏会には出席しないとマキシム様に話をつけたところ、意外にもあっさり受諾されたのでここ最近の帰宅は早い。
でも早く帰れたら帰れたで新しい教材を作るか、カフェでアグネス様とまったりしたりするので、時間が貴重なことにかわりはなかった。勿論一人ではなくガンガルという護衛つきではあるけれど。
「ん~、ベルタ様、何だかこの頃少し精悍な顔つきになられました?」
「え……そう、ですか?」
アグネス様に指摘されて頬を撫でるまでもなく、実際に頬と言わず全身がここ最近のマキシム様との鍛練で少し引き締まっている。ちょっとだけ筋肉もついたかもしれない。
とはいえいずれ本職になる騎士見習いの彼等や、元から武芸の才覚のあるマキシム様とは違い、私の武術の腕前は所詮“ご令嬢としては強い”くらい……だと思う。
「ええ、こう、頬がシュッとしたというか、お綺麗になられましたわ~。何か美容に良いことでもなさっていらっしゃるのかしら~? たとえば……恋とか」
「ふふ、アグネス様ったら、急にどこから出てきたのですかその発想は」
「女性は恋をすると美しくなると言いますもの~。ガンガルちゃんはベルタ様の秘密、何か知らない?」
突然話を振られたガンガルは、慌てて口に運びかけていたクリームとジャムをてんこ盛りにしたスコーンをお皿に戻し、一瞬こちらに視線を寄越してから、小さく首を横に振った。うむ、それで良い。
「ガンガルちゃんは相変わらず人見知りさんね。でもお口が固いのは美徳だわ~」
「ですってガンガル。これからも私のために固いお口でいて頂戴ね?」
そんな風にアグネス様と微笑みを交わし、私のまだ手をつけていないジャムとスコーンを横に滑らせると、彼の表情がパッと明るくなった。愛い奴め。
「私のことよりアグネス様の方こそ婚約者探しの方の進捗は如何なのですか?」
「あら、打ち返されてしまいましたわね~。でも絶好調なら今頃こうして王都におりませんわ~」
「ということは、アグネス様の審査がお厳しいのですね。親友との時間を長く楽しみたい私にとっては良いことですわ」
「うふふふふ、実はわたしも困ったことにそうですの。だから良いお相手が見つからないのかしら~?」
フェルディナンド様は来年の春頃に出版する画集第一弾の準備で多忙らしく、この頃あまり会えていないので、アグネス様もこういう話に飢えているのだろう。
実際フェルディナンド様とアグネス様はこの手の話で良く盛り上がるけど、私はずっと聞く方に徹している。恋バナを聞く分には楽しいのだ。聞く分には。
「ベルタ様、今日はアンナ様がこちらに次の舞台の原稿を持って遊びに来られるのでしたわね? そろそろ到着されている頃ではありません?」
「あら、もうこんな時間だったのですね。楽しくてつい話し込んでしまいました。お屋敷までお送りさせて頂きますわ」
ちょっと慌てつつ三人で席を立ち、スペンサーのお屋敷に彼女を送り届けるために馬車に乗り込んだあとも、会話が途切れることは一度もなかった。
――――そして、帰宅後。
「ジスクタシア・リスデンブルク王国友好芸術文化賞?」
「そう! そこにわたし達の名前が選出されたの!」
「ええと……観客投票で激励賞をもらった演劇部門でヴァルトブルク様が、舞台演出部門でフェルディナンド様が、今年から採用枠の新進気鋭女性作家部門でアンナが、教育文化発展部門で……私が?」
「そうよ! 年末の王都で開かれる公式パーティー中でも、わたし達、上から三指に入るパーティーに招かれたのよお姉さま!! それにこれは他薦でしか入れない賞なの。お姉さまが領地で始めた試みがついにここまで大きな波を作ったのよ。わたし達の発信したことに多くの人が賛同してくれた証拠だわ!」
アグネス様を送り届けてから帰宅したばかりなのに、同じく領地から戻ってきたばかりのアンナにより、ただいまの挨拶を交わして自室に紅茶を用意してもらった直後に始まったマシンガントーク。ちなみにリスデンブルクはアンナ達がよく公演でお呼ばれしている隣国の名だ。
本当なら帰ってきてすぐに聞きたかったのは、義弟がうちの領地を気に入ってくれたかどうかなのだけど……あまりにも熱が入っているせいで止められない。
興奮した状態の妹の話から多くは分からないものの、世界規模ではないにしても前世で言うところのア○デミー賞や、ピュー○ッツァー賞や、グ○ミー賞みたいなものを足して割ったような賞なのだと思う。
うーん……言われてみれば毎年年末の新聞にそんなのが載っていた気もする。妹には悪いけど、あまり興味がなかったから割と読み流していたんだよね……。
考えてみたら国としての“文化”があるのだから、この手の祭典があってもおかしくはない。元が育成系ゲームなのだから特に。そしてそこにノミネートされたのが本当なのだとしたら確かに凄いことだ。
けれどそれが我が身にかかるとなれば、あまりの物事の大きさにちょっと頭がついていかない。何せ前世ではしがない塾講師。輝かしいことなど何一つない人生だったから、突然そんなことを言われても混乱する方が先である。
「ねぇ……どうしたの、お姉さま。嬉しくないの? 普通ならここはもっと一緒になって盛り上がるところだと思うわ」
「え、あ、違うわ。ただあんまり大きなお話だったから、少しまだ信じられなくて。手紙も届いていないもの」
「なんだ、そうだったのね。でも変ね? 領地にいたわたしのところに届いたんだから、王都にいたお姉さまのところにも招待状が来ていたと思うのだけど。ほら、こういう封筒よ」
ホッとした様子から一転、そう言ったアンナが部屋着のポケットから取り出したのは、一見何の変哲もなさそうな真っ白の封筒だった。
それこそ本当にさして重要なものが入っているとは思えないような、開封するなら絶対に後回しにするような……どこかで見たよう……な?
チラリと書き物机の上を見れば、作りかけの教材の下敷きになっている封筒の端が見えた。私の視線が机の方に向いたことで全てを察した妹の表情がチベスナになる。ここはポジディブに珍しい表情が引き出せたと思っておこう。
「ああー……知らない宛先からだったから、重要性が低そうだと思って開封を後回しにしていたみたい、ね?」
チベスナ顔でこちらを見つめる妹の視線から逃れるため、教材を崩さないように下敷きになっていた封筒を救出したら、消印は二週間も前だった。アンナからの無言の圧を背に受けながら封を切る。取り出した便箋を開いて中身を確認したところ、どうやらアンナの言うようにかなり名誉な賞のようだ。
便箋にはよく一緒に行動する私達を一つのグループとして扱っているのか、名前が一斉に記載されている。けれどその中に一人だけ名前が足りない。
「アグネス様の名前がないわ」
思わず便箋から顔を上げ口をついて出た私の言葉に、アンナが気まずそうに眉根を寄せる。その表情に最初の嬉しそうな面影はなかった。