♚幕間♚異物。
妹が見初められ王家に十八歳で王妃として輿入れを果たした日から、元来一族に根強くあった野心の芽は一気に発芽し、みるみる枝葉を繁らせた。元を辿れば同じ血筋に繋がるのだから、野心を持つなと言う方が無理な話だ。
七歳下の妹と私の間に情などと呼べるものはなかったが、それは公爵家という階級の生まれにとって特段珍しいことではない。両親からしてそうであったのだ。一族であろうと駒は駒。そこに血の繋がりなど関係ない。
当然婚姻などは所詮家名の釣り合いだ。たとえ妻に娶った女との相性が悪かろうとも、互いに肌の温かさなど外に囲った愛人に求めればいい。幸い同じ考えの妻を娶ることもできていたおかげで、次に欲しいものを定めるのは簡単だった。
そもそも、まだ王子であった頃の陛下が妹を気に入ることなど分かりきっていた。この国の王家には数代に一人、おかしな者が輩出される。問題はそのおかしな者の方が総じて能力が高いことにあるが、大抵は若くして精神を患って死ぬ。そのときを待てばいい。愚かな父母はそう言った。
だが私の考えは違った。煩わしいものが付随する王座になど興味はない。欲しいのは純粋な権力だけだ。玉座に座らず国を手中に納める。それが私が妹を王子であった頃の陛下の前に連れ出した理由だ。
頃よく父母も死に、ランベルクの家督は私のものとなり、野心の強い一族の人間を嫌っていた愚かな妹は最初私の命令に抵抗した。
顔立ち以外はさして褒める部分のないような娘のくせに不愉快な女だ。しかし当時その苛烈な性格を敬遠され、理解者の一人も周囲におらず荒んだ王子を前にして、妹は次第に絆された。
妹はこちらの狙いを見抜いていたが、策の通りに駒として働くより他に王子の隣にいられる可能性を見つけられず、最終的に私の思うままに動いた。策が成就するまでの二年。その二年で妹に王子への余計な進言をする道を全て塞いだ。
少しずつ心と身体を病みながら、それでも“愛”とやらに縛られ、王子の傍を離れようとしない妹は滑稽で。そうして王子が王位を継承して陛下となった頃――、
『“お兄様、子供ができたの。わたくしが一族とお兄様の有用性をこれまで以上にあの人に言い含めるわ。だからお願い……この子とあの人には何もしないで”』
――と。必死にそう懇願する瞳が絶望に揺れる様は鬱陶しかった。駒の分際で何を馬鹿なと思いつつ、その場では『“勿論。お前は一族の誇りだ”』と評して。苦悶に歪んだ妹の顔に思わず笑った。
一番愉快だったのは、子供が産まれようが陛下の興味の対象は妹にしかなかったことだ。彼は一度たりとも息子を膝に抱き上げることはなかった。まだ父性を持つに未熟だったのか、それとも王家の血に時々混じる性質通り、極狭い範囲の者にのみ異質な愛を向ける質だったのだろう。
二人目の出産をしても統治能力に長けておきながら人の心を理解できぬ夫に、妹の心は次第に逃げ場をなくして――ついに壊れた。呆気ない最後。思っていた通り腑抜けた陛下はそれからしばらく一切の職務が手につかなくなり、妹が必死に繋ぎ止めた臣下達も遠ざけるようになる。
国中が妹の死で喪に服している間に私は表面上は献身的に義兄として、臣下として陛下を支えた。しかし妹に懐柔されていたはずの陛下は、結局のところ妹にしか懐かぬ男で。こちらの献策に無条件に頷く傀儡にはならなかった。
だが幸いにも妹の産んだ子供のうち、第一王子には陛下と同じ気質があった。歴史的に見てもおかしな血が続いて現れることは珍しい。間違いなく第一王子は使い勝手の良い駒になる。第二王子は駄目だ。根が妹に似ている。
マキシムは気性が荒く癇癪持ちな子供だが、幼い頃に伯父として世話を焼いてやれば多少は懐くだろうと。陛下は子供に興味がない。面倒は全て生前妹が頼るように言った文官の臣下任せだった。
けれど文官達にあの気性の激しさは御せない。案の定マキシムが癇癪を発揮するようになると、文官達は第一王子の周囲からいなくなった。第二王子の方は何を考えているのか分からぬ不気味さを敬遠され、誰から献策されたのか、蛮族との戦で戦功をあげた男を家庭教師につけられた。
私は情をかけられることのない哀れな第一王子に肩入れをするふりをし、飼い殺しの準備を始めるために、第二王子の有能さをマキシムの前で慰める風を装って語り、無能な家庭教師を雇用し続けた。
第二王子との学力の差は順調に開き、人間不審と反抗期に入ったマキシムに手を焼き出した頃、私が職務のために他国へ出ている隙をついて、元第一王子の世話役だった文官達が余計な献策を陛下にしたのだ。
――帰国したときには、すでに邪魔な存在が第一王子の傍にいた。
最初のうちこそ田舎領地出身の女家庭教師に、気性の激しいマキシムを御せるはずがないとたかをくくっていたが、あの小娘は早々にマキシムの気性を見抜き制御してみせた。気に食わない。
しかも第二王子とあの成り上がりの世話役、普段は他家とのかかわりを厭うフェルディナンド家の若造を手懐けただけでなく、以前世話をしていたコーゼル侯爵家の娘を第二王子の婚約者にまですえた。
暗殺と拐かしの手を逃れ、未だに始末できない。加えて何故か最近では一部の騎士見習いまでもが目障りな小娘に懐いている。徐々に広がる発言力と発信力は無視できる範疇をとうに越えた。
「さて、あの小娘……どう始末をつけてやるべきか……」
人を貶め蹴落とす策はいくら練っても飽きない。ばら蒔いた策が根を張り、花を咲かせ、実を結ぶ。その瞬間は何度見ても甘美なものだ。
「小娘自身に効かぬなら、他を突いてみるのも手だな」
手許にある脚本を暖炉の中に放り投げ、それが燃え尽きる様を眺めた。偶然あの小娘の情報収集をしていたときに手に入れた手駒は、目眩まし程度の策に重宝する。こちらに対しての憎しみを報酬と天秤にかけて従える強かさも悪くない。
「……スペンサー家の令嬢か」
無能ではないだろうが、あの小娘の取り巻きの中ではもっとも価値の低い娘であるのは間違いない。信頼を得る。疑心を煽る。似て非なるものだが、人の心を操るという点に関してはどちらも同じことだ。
「操ることに長けているのが自分だけだと思わないことだな、小娘」
――正しそうな者に憧れる者の心理を、人は“劣等感”と呼ぶ。




