*9* 家庭教師とは?(困惑)
授業合間の三十分休憩を自分の身長より少し高い長柄の鍛練用の棍と、騎士団の新人がよく身に付けている練習着を装備して過ごすようになって早四日。
一日一戦、のちお風呂。いったいいつ私は家庭教師からジムトレーナーになったのか。多少最近実戦向けの鍛練を怠っていた身とはいえ誠に遺憾である。
「マキシム様……昨日よりも見学者が増えてませんか?」
「その方が気分が盛り上がるだろう。心配するな。お前がうるさいから、ここでの鍛練は他言しないように言ってあるぞ。それに長柄を使う者は身近にいないし、良い見取り稽古になる」
「あら、それはこの四日で私に二敗したことへの言い訳ですか?」
「ち、違う! あれはちょっと油断しただけだ! 大体あとの二戦は引き分けだっただろう!」
「そうですね。でもそこまでムキにならずともよろしいのですよ? 最初に手合わせする前にも申し上げましたが、剣と棍では相性が悪いのは道理です」
練習用とはいえ石突きのついている棍で鍛練場の床をコツコツとやると、彼は真剣な顔で頷いた。この王子の性質を考えれば意外でも何でもないことだけれど、マキシム様は武術を学ぶ上ではとても授業態度がいい。
たまには座学でこの授業態度の良さを発揮してはくれまいか、小僧よ。
視線を周囲にサッと巡らせれば、他にも数名の若い騎士見習いが頷いている。本当にどうしてこうなった。こっちは奇襲が専門で、正面からの武術師範ができるほど武術達者じゃないというのに……。
「正規の騎士の構えは正面と真横からの攻撃には強いですが、行儀の良い型な分、足元の……特に下からの掬い上げと払いに弱い。けれど脚を狙われることにばかり気を取られると今度は上半身が――……と、これはこちらの皆さんもご存じですね」
つい打ち合う前に短い説明を始めてしまった。家庭教師の性か。こんなことは貴族の娘相手に言われなくても上官に教わっているはずだ。畑違いの授業はよそう。そう思って言葉を切ったのに、マキシム様からは「続けてくれ」の声がかかる。私は溜息を一つ、渋々頷く。
西洋の鎧は日本のものとは違い分厚く刃は通らない。しかしその分外から与えられる衝撃に弱い。いかに甲冑が頑丈とはいえども、所詮中身は柔い人間だ。それと西洋と東洋では、甲冑文化の違いでそもそも槍の概念すら違う。
西洋で槍といえば馬上で使うランスか、集団で蹲って突進してくる敵を待つパイクと呼ばれる長大な槍が主流。どちらも人間を刺し貫く目的よりも、馬上から叩き落としたり、相手が突っ込んでくる速度を利用して自滅を誘う系だ。分かりやすく言えば個々の能力はあまり関係ない。
「下を気にすれば上半身が手薄になる。そのときに視線は前を向いてはいません。自然、下を向くはずです。そうなるとどうなるか、分かりますね? 何度も言いますが、長柄は剣の攻撃範囲よりも圧倒的に広いです」
その点東洋だと〝槍働き〟という言葉があるように、個人対個人の戦いに特化している場合も多い。東洋で槍と呼ばれるものは手槍と呼ばれる短槍か、背丈を越える通常の直ぐ槍、笹葉、十文字などなど、種類は多岐に及ぶ。絶対的に言えるのは人そのものを貫き殺すためのものだ。
父が幼い頃の私に棒術を勧めたのは、刃がついたものを持たせるのが怖かったこともあるだろうが、武装した野党を相手にすることなどを視野に入れてのことだったと思う。槍術だと刃が飛ぶと不利だけど、その点、棒術なら安心だ。この歳で父の教えのヤバさを改めて感じる。
第一この国の周辺ではかなり珍しい棒術の使い手を食客に招き、娘の指南役を任せる時点でかなりの変人だ。感じ的に流れの修行僧っぽかったっけ。
「ええと……それでは少し手荒な説明になるので、マキシム様がお相手だと、私が不敬罪に問われます。どなたか頑健な方で協力しても良いよという方がおられましたら、冑を被ってこちらにいらして下さい」
正面で「わたしがやる」と言うお馬鹿な第一王子を無視して視線を巡らせると、一人二人と手を挙げてくれる。可哀想だけれどその中から犠牲者を決めた私は相手を手招いて、鍛練場の端のスペースに移動した。
私と相手を中心に円形に見学者が並ぶ。最初の構えはどちらも正面。棍を身体の前で真っ直ぐ立てた私は、相手に「どうぞ、打ち込んでいらして?」と悪役顔を利用して、やや挑発的に微笑む。
まだ歳若い騎士見習いはその言葉にムッとしたのか、思った通りの素直な軌道で突っ込んできてくれた。相手の構えは中段。勢いからして上段から打ち込む気か。
円を描いて払うより真っ直ぐに立てた棍を手の中で滑らせ、斜め下に。間合いに見習いの爪先。足元からの掬い上げに反応した見習いの模擬剣が、咄嗟に棍を捌こうとするも、残念甘い。
棍を素早く手の中で手繰り寄せて軌道を上部へ。胸に一撃入れた後の――。
「そこっ!!」
加減して放った棍での打突が閉ざされたヘルムの中央を捉え、ガインッと鈍い音と重みを腕に伝える。
自身の突っ込んできた勢いに、打突の衝撃を加算された騎士見習いの身体が後ろに大きく仰け反り……二、三歩たたらを踏んで、後ろから駆け寄ってきた同僚達の腕の中に倒れた。よしよし、ファインプレー。
ビュンッと棍を回転させて元の位置に構え直し、女に弾き飛ばされたことに動揺する見習い達の意識を集めようと、鍛練場の床に石突きを強めに打ち付けた。
「――……以上が長柄を使った敵と対峙する際の注意点です。お付き合い下さった勇敢な彼に感謝を。ご傾聴ありがとうございました」
静まり返ったこの場で嬉しそうなのはマキシム様だけだ。ただここで充分に脅しておけば、普段こちらに嫌な顔を向けてくる扱いも、多少マシになるだろうという打算もあってのことだった。
「見事だベルタ。次はわたしとやろう!」
「駄目ですよマキシム様、三十分休憩の約束でしょう?」
「次の授業後には休憩をしないで良いから」
「もう皆さんの鍛練のお邪魔になってしまいます」
我儘を言い出したマキシム様を言い含めようとしていたそのときだ。
「いえ、次は俺と手合わせを!」
「いやエステルハージ嬢、私と是非!」
急にワッと取り囲まれて嬉しくないモテ期を味わう羽目になり、思惑が大外れしたことに思わず小さく舌打ちをしてしまった。本当は叫びたい。“私は家庭教師だっつってんでしょう!?”と。




