★7★ 机上のそれは。
ヴァルトブルク殿からその情報を聞かされたときは、これで彼女を貶める存在の顔を見られると思ったが……舞台上で件の脚本家の姿を見たときに、それよりも事態が面倒な方向に舵を切ってしまったことに内心焦った。
それほどあの日の舞台上に立っていた青年は、彼女を目の敵にするランベルク公に似た仄暗い雰囲気を纏っていたのだ。
けれど文官の職場でも人目につきにくい部署に配属されていたヴァルトブルク殿も、城にあがることのないアグネス嬢も、王室絵師として登城してないかと声をかけられても興味を持たないエリオットも。
三人ともに誰もランベルク公爵を間近に見たことがないせいか、動揺したのは俺とベルタ嬢だけだった。
劇の内容は前回に引き続いて“彼女”が本性を隠して二人の教え子を手玉に取り、貴族社会の中でその地位をさらに高めていき、やがて上級貴族の参加する社交会に出入りするまでになる。
そこでさらに自身と歳の近い二人の貴族を毒牙にかけ、彼等を使ってのしあがっていく……という、体裁的には立身出世を感じさせる物語にはなっていたが、不穏な最後を予兆させる部分がいくつか目についた。
新たに加わった男二人の下敷きは考えるまでもなく、俺とエリオットだろう。次回作にはヴァルトブルク殿やアグネス嬢も起用するつもりだろうか。だとしたら、彼女を取り巻く人間関係にまで徐々に被害は広がるのだろう。
周囲の人間を傷付けて彼女にかかわることを躊躇わせ、やがて彼女を孤立させていく筋書きは、ランベルク公の好みそうな嫌な手だ。
けれど彼女は件の劇を鑑賞し終えたあと、面白かったと笑ってエリオットを呆れさせ、ヴァルトブルク殿に脚本のどこが優れていたかをあげて発破をかけ、アグネス嬢を楽しませた。
そうしておきながら、俺には“何も言わないで”とでも言いたげな視線を寄越した。その日はいつものカフェに立ち寄って劇の感想を話し合い、ヴァルトブルク殿の公演が一週間後に始まるまでの準備について語り合って別れたが――。
彼女の視線の判読が正しいと証明されたのはその翌日。毎朝待ち合わせをしている城門前で顔を合わせてすぐに、彼女から『昨日は何も仰らずにいて下さって、ありがとうございました』と微笑まれた。
『アグネス様やフェルディナンド様や義弟には、余計なことで心労を与えたくないのです。ホーエンベルク様はこちら側の方なので、申し訳ありませんがお付き合い頂ければと思います』
無闇に政治の気配が渦巻く場所に、そういったものと無関係で親しい人物を巻き込まない分別がある女性だ。好ましくはあるが、それは簡単に心を許してはくれないということと同義でもある。
恐らくこちらが護ろうとすればするほど、彼女は一歩下がってしまうだろう。距離感を図るのが難しい猫のようだ。
「――……もっと簡単に頼ってくれれば良いものを」
深夜の自室に虚しく漏れた独り言は、調べ物の書類の上に零れて流れた。机の上にはエステルハージ殿がガンガルを使って探らせた、例の薬の密売組織の名前が記載された書類が広げられている。
かなり詳細に纏められた書類の端々には、緊急性の順に走り書きがされており、彼の仕事能力の高さに舌を巻いた。
今あの人がいるのは、文官職の中でもかなり上の部署である。その職務を毎日こなしながらこの量の情報を纏められる能力とは……。
いったい彼がどれだけ娘達との時間を過ごすために、今まで息を潜めて中級文官の末席に名を連ねていたのかと思うと背筋が寒くなる。王城内ではまるで娘の出世で引き上げられたように語られているが、エステルハージ殿はその気になれば易々と今の地位に上がれていた。
それこそもう一つ家格が高ければ、今はランベルク公が筆頭のような形である陛下のお側仕えの文官として侍れるくらいだ。
「あの親にして、あの娘あり――か」
しかし微妙に苦々しい気分でそう漏らしてめくった書類の隙間から、何か小さなものが転がり出て机の下に落ちた。拾い上げようと身を屈めて摘まみ上げたそれは、遊戯盤の“間者”の駒。今日マキシム様がアウローラ嬢にしてやられた際に、癇癪を起こして投げたものが傍にいた俺の服に紛れ込んだのだろう。
「ああ……そうか。フランツ様達には話しておくべきだな」
あの二人も伯父であるランベルク公を疑い中枢に近い地位だというのに、いつの間にか彼女の感覚が移ってうっかり子供扱いをしてしまった。
彼女の知らぬことではあるものの、彼女が誘拐されたときにはそれなりに頭角を見せた王子達だ。政の頭数に入れておいて悪くはない。
「そんなことも思い付かないとは……俺も随分甘くなったな」
思わず自嘲気味に漏れた苦笑と共に拾い上げた駒は、明日も国の縮図であるあの遊戯盤の上に、彼女が子供と評する教え子達の手によって、まだ拙い権謀術数を纏い立つだろう。




