*6* おやおやおや?
落ち着かないほど豪奢な椅子に腰かけ見下ろす先。
パラパラとキャンディーの包みをほどいたような服に身を包んだご婦人達や、黒は黒でも独特なぬめりのある光沢のものから光を吸収してしまう硬質なものまで、様々な黒に身を包んだ殿方達の姿がある。
端から端まで扇状になっている広い劇場は、観客動員数から内装に至るまで裏通りの小劇場とは比べものにならない。今夜ここで舞踏会が行われると言われても、きっと信じてしまうことだろう。
しかし今日ここにいる理由は当然観劇のためだ。演目はライバル劇団の前回公演の続編。流石は国内一と名高い大手劇団。収容人数が凄い。これでは始まる前から気が滅入る。
――だが、それはあくまで一人で何の情報もないままに鑑賞する場合のこと。
一昨日隣国から帰ったヴァルトブルク様が持ち帰ってくれた、耳寄りな情報を仲間達と確認するためであれば何ら恐るるに足らず……は、言い過ぎか。
何にしても観劇中にお喋りをしても他の観客の邪魔にならないよう、遊戯盤の売り上げで二階のお高いボックス席の半券を購入したのだ。授業料としてはかなりな出費になってしまったものの致し方ない。
「早く座って座って、もう始まるから。あ、でもそっか。席順どうするー?」
「公演中の会話のしやすさを考えるなら、ヴァルトブルク様、わたし、ベルタ様、フェルディナンド様、ホーエンベルク様の順が妥当だと思いますわ~」
ライバル劇団の舞台を観に来るのは、控えめに言っても地獄。それにもかかわらず、半券をもぎった団員達にこちらの正体がバレても物怖じしない頼れる友人二人は、ここでもさっさと席順を決めてくれた。
生徒の希望校見学についていくのが苦手だったから、前世で塾講師や家庭教師をやっていた頃に、この二人の引率上手さと度胸を習得したかったな。
特に塾だとあの仕事は交通費は出るけど特別手当ては出ないし、誰も受かるか分からない学校の見学を教え子と行きたがる同僚がいなかったので、毎回くじ引き合戦をしていた。
私は普通に親戚枠みたいな気分で行ったけど……教え子と一緒にドキドキしただけだったっけ。頼りなかったな、当時の私。
「手際よく決めて下さってありがとうございます。私はその順番で構いません。あとのお二人はどうでしょうか?」
「え、あ、はい、だ、大丈夫です……義姉さん」
こちらの問いに俯いてモジモジとそう答えるヴァルトブルク様。席順を決めるだけだというのに、いきなり可愛いな義弟よ。長期公演にアンナを連れて行かなかった寂しさが顔を出したのか?
家にも弟分がいるけれど、タイプが違うとまた別の可愛さがある。思わずこっちまで照れながら「そ、そう。良かったわ、ヨーゼフ」と答えた。
「はは、二人揃って初々しいなー。ヴィーはどう? その並びで良い?」
「ああ、俺もその席順で構わない」
「それでは決まりですわね~。ほらほら、そろそろ明かりが落ちますわ~」
そんな感じでパタパタと席順通りに並び直した私達が席についた直後、公演開始を報せる鐘が劇場内に鳴り響き、壁に設置されたランプの明かりが落とされ、周囲は闇に包まれた。
サワサワと聞こえる階下の観客達の声は、ゆっくりと開いた緞帳の内側にある舞台へとパッと明かりが投げかけられた瞬間、聞こえなくなる。王都一の舞台の始まりは、想像していたよりもずっと静かだった。
舞台の真ん中には書き物机と、地味な服装の女性。けれどその女性は地味な服装など霞むほどに美しい。
むしろわざとそんな格好をして人を欺こうとする狡猾な人物なのだろうと、観るものに感じさせる。女優は前作と同じ人が続演するようだ。彼女は書き物机の上から二通の手紙を手に取ると、それを掲げた。
「“ふふ、ふふふ……あはははは!! ああ、愚かで可愛い男達だこと。どちらも少しずつ褒めてあげただけで、こうも簡単に私にお熱になるだなんて”」
自分をモデルにしていると思われる登場人物にこういう台詞を言われると、無性に恥ずかしくなるのは何でなのか。居たたまれない感満載の始まり方に早速頭痛がしてきた。
けれど両側から生暖かい視線を向けられるのを肌に感じながらも、悔しいことに脚本の面白さに意識は舞台へと没頭していって……いつしか私も息を潜め、ただの観客の一人になる。
――――……そして二時間半後。
劇場内は観客からの拍手と喝采で覆われた。私も席についたまま魔法にかけられたように拍手をし、舞台の上で横一列に並んだ団員達が笑みを浮かべ、一斉に例をしてカーテンコールに応えていた。
しかし両側から拍手をする手を同時に片方ずつ握られ、はたと正気に戻った私の耳に、薄暗がりの中から「ね、義姉さん、舞台の上、い、一番舞台脇に近い、あの人です」と、やや興奮した様子の義弟の声が届く。
彼の声を聞いて舞台の端に視線をやれば、そこにはほとんど腰を曲げず、観客達に愛想を振り撒く素振りを見せない青年が一人、無感動そうに立っていた。この距離と舞台照明の問題から確信は持てない。
持てないけれど……その青年の佇まいはどこか、あのミドルの姿に似ていた。




