*5* 逆転授業と約束と。
二週間前に我が家の優秀な弟分が嗅ぎつけてくれた情報は、もう元のゲームシナリオとは無縁となった今、私が挑むには手に余りすぎる案件だった。
ガンガルが嗅ぎつけた臭いは恐らく非合法の麻薬。ランベルク公爵は何らかの形でその臭いを纏うような繋がりを持っていると思う。それもガンガル達の同族を利用した非人道的な行為で。
ガンガルから聞き出せるだけ聞き出した情報を精査して伝えると、父は『成程、大きなおねだりだ。そうだなぁ、本業の片手間で良ければどうにかしよう。場合によってはホーエンベルク殿にも手伝ってもらおう』と言った。
領地経営を任されていたとはいえ、私ができることは自領の内政だけ。貴族間の腹の探り合いは、ずっと城で働いている父の本分。独りよがりの正義感だけで手を出せば大火傷では済まされない。
父と話した翌日ホーエンベルク様にもガンガルの話を伝えたところ、非常に良い笑みで『こんなに身近に公を追い詰められる情報があるとはありがたい。是非その時がくれば協力させてもらおう』と、心強い返事を頂いた。
勿論彼の甥である王子二人にはそんなことは教えられないけれど、彼等は聡明だ。必要がなければたとえ伯父であろうとも、ランベルク公爵に自ら近付くような真似はしないだろう。
いつもは教えを説く方だけど、自身の力量を見極めて最適解を求めるなら、専門畑に丸投げだってする。力量を過信して固執するのは愚かなこと。自分にできることを日々消化することが大切なのだ。
何にせよ、これで一つ公爵に対して大きな手札を手に入れたことは間違いない。問題はあの嫌みなミドルが、この手札を切らせてくれるようなポカをするかどうかだけれど。それはそのときがこないと分からないので保留だ。
――……ということで。
非番の日に訪ねたコーゼル家の温室。その一角に設けられた勉強の場を利用して行われる授業は、以前までとは逆転している。
「それでは今日の授業はここまでに致しますわ、先生。次回も課題を作ってお持ちしますから、しっかり復習なさって下さいませ」
頬をほんのりと上気させたアウローラは、可愛らしくそう言ってノートを閉じた。私の手許には今日の授業で彼女が出してくれた問題と、前回もらった課題の採点を終えた教材がある。
「はい。アウローラ様、ありがとうございます。本日も大変ためになる授業内容でしたわ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。参考に貸して下さったノートも、とてもしっかり要点をまとめられていて、アウローラ様が王城でどれだけ真剣に授業を受けられているか分かります」
これは何もお世辞ではなく、秘密主義の王族のマナーや、公のパーティーなどで社交を任される王族の女性らしく、周辺国との外交問題なども教わっている教え子の授業は新鮮で面白い。それに人に教えることによって、自らの予習復習になるのは有名な話だ。
こちらの言葉に嬉しそうに微笑む教え子を見ていたら、最近マキシム様に追い付かれそうになっているメンコの腕前の焦りも薄れる。
あちらもこの子くらい勉強に熱心になってくれればいいものを……とは、思うまい。座っていられる時間が長くなっているだけでもかなりな成長なのだから。
――と、ふと一瞬遠くに思いを馳せていた私の横顔を、教え子がジッと見つめていることに気付く。話を聞こうと視線をそちらに向ければ、教え子はいそいそと椅子に座り直した。
「あの、先生、そろそろ隣国からミステル座の皆様がお戻りになられると耳にしましたが、本当でしょうか?」
先ほどまでの淑女らしさをどこかに追いやり、やや前のめりに訊ねられた内容にそのことかと苦笑する。何というか……順調に脳の一部がオタクな方向に占拠されていっているな。
「はい、本当ですわ。良くご存じですね」
「わぁ、やっぱり! 遊戯盤投資の会員特典情報なのですけど、先生の口から教えてもらわないと信じられなくて!」
「ふふ、ヴァルトブルク様に頂いた帰国の報せを綴った手紙の消印からだと、あと二日ほどで帰国すると思います。あちらでとても刺激を受けたそうで、帰国後はすぐに一作新しい公演をされるそうです」
「五国戦記の三期ですか!?」
「い……いえ、あの、五国戦記の三期はもう少しかかるかと。妹にも領地での仕事がありますので。申し訳ありません」
「そう、ですか……そうですよね……」
直前までの勢いが嘘のようにガッカリする教え子の姿に、本来感じないでいいはずの罪悪感が芽生える。もう漫画だと効果音で【シューン】とか入りそうだ。この子の中でどれだけの大きさを占めてしまっているのだろうか、あの物語は。
「え、ええと、ですがヴァルトブルク様の単発新作も面白いと約束しますわ。次の物語の主役は義賊だそうです。向こうの劇団で剣舞の稽古もしたようですよ?」
「剣舞!」
「そう、剣舞です。きっと素晴らしい公演になりますわ」
思わず公演前の題材を若干ネタバレしてしまったが、許して欲しい義弟よ。第二王子の婚約者からこのネタバレを聞ける人種などほぼ皆無だから。
「わたくし、剣舞のある劇はまだ観たことがないのです」
そう言ってほわりとはにかむ教え子の表情にホッとしつつ、今度は別の心配ごとが頭をもたげる。それというのも、義弟の手紙が届くのとほぼ同時にミステル座のライバルであるあの劇団が、私を題材にしたとしか思えないあの劇の第二部公演予定を発表したからだ。
まだ内容は伏せられているものの、恐らく今回も何かしらこちらの心境を波立たせることだろう。それを考えると気が重い。けれど――。
「楽しみですね、先生。今度は絶対にご一緒しましょうね」
本当に嬉しそうに笑う教え子を前にしてしまえば、笑って「勿論ですわ」と頷いてしまうのだ。




