*3* 助か……った、か?
「ああ、ランベルク公もご一緒でしたか。気付くのが遅れて申し訳ありません」
そんな白々しい言葉と共に現れた人物の姿に、緊張と怒りで強張っていた身体から少しだけ力が抜けた。案の定というべきか、ホーエンベルク様は彼の苦手とする相手らしくあからさまに苦い表情になる。
「……ホーエンベルク殿か。貴殿は何故このような場所に? まだ王子達の授業時間ではないのか」
「ええ。ですので、そのことでベルタ嬢をお連れしたい」
「何か問題でもあったか。貴殿の指導力に期待しての人事。途中で入り込んだ女家庭教師に頼る事態など、本来あってはならぬのではないか?」
「彼女の雇用には陛下も受諾印を捺されました。よもや一番陛下のお立場に添う立場のランベルク公からそのような言葉を聞くとは……」
「貴殿も多少国境線で蛮族相手の戦で功績を挙げただけの田舎者の立場で、随分と大きな口を叩くようになったものだな」
「はは、これは手厳しい。しかし残念ながら当時我が家には私の他には弟しかおりませんでしたので。手柄を立てるには多少荒事に手を出さざるを得なかったまでのこと。他に手があればそちらを使ったでしょう」
ひぇ……怖っ。この真冬の日本海に吹き荒れる暴風のような空気に一般人を巻き込まないで欲しい。この二人元から世間話をするような仲でないのは明らかだけれど、私の誘拐騒ぎを抜きにしても何かしら含むところがありそうに見える。
でなければ序列に厳しい軍隊生活を送ったホーエンベルク様の性格からして、ここまで分かりやすく相手を煽ったりしないだろう。
「あの、ホーエンベルク様……わざわざ私を呼びに来て下さったということは、授業中にマキシム様が癇癪でも起こされたのですか?」
いつの間にか私とミドルの間に割り込み、凄みのある微笑みを浮かべるホーエンベルク様の服の裾を引っ張って恐る恐る声をかけると、彼は幾分か威圧感を抑えてこちらを振り返ってくれた。
「いや、まだそこまでは。だがそうなる前に貴方を呼びに来た方が得策だろうと思ったまでだ。城内に貴方がいるのなら、マキシム様の休憩時間の管理はそちらに任せた方がいい」
「そういうことでしたのね。でしたらすぐにでもお二人の元へ参りましょう」
「助かる。ランベルク公、話の途中で御前を去る非礼をお許し下さい。では」
ホーエンベルク様はそう言うと騎士形式の礼をとり、ミドルの返事を待たずに私の背をそっと押して歩くように促す。背後からミドルの刺すような視線を感じたものの、振り返って確認してみる気にもなれず。
ホーエンベルク様と連れだって図書室へと続く廊下を、少しの間無言で歩いていると、不意に隣を歩いていた彼が「迎えが遅れてすまなかった」と口を開いたので、思わずそちらを窺う。
「あの方と話して嫌な思いをしただろう?」
「いいえ。ホーエンベルク様がすぐいらして下さったので、実質はほんの少ししか二人きりになりませんでしたわ。ありがとうございました」
「そうか。ただ礼なら君の父上に言うといい」
「父に、ですか?」
「ああ。本当は授業中に遠眼鏡を持ったエステルハージ殿が図書室にやってきて、貴方を連れ戻すように頼まれた。俺は半信半疑でこちらに向かっただけだ」
うむ……仕事中に何をやっているのだろう、我が父は。
確かもう文官職としては結構偉い部署にいたはずなのではなかったっけ? 遠眼鏡で娘の姿を探してたって……これ、絶対にアンナに言ったらドン引きされる案件だわ。お礼も言うけどあとで注意しておかなければ。
「そ、そうだったのですね。けれど実際に来て下さったのは貴男です。ですから、やはり一番最初のお礼はホーエンベルク様に」
私の言葉に彼が苦笑して「ありがとう」と言うから、何だかお礼の言い合いのような形になってしまった。
「あの、ですけれど……大丈夫なのですか?」
「うん、何がだ?」
「ランベルク公はマキシム様達の――、」
「伯父だな。しかしあの方には少し俺も含むものがある。高位だというだけでは素直に頭を下げる気になれない相手だ」
「それはリベルカ人の――ガンガル達の一族に関わることについてですか?」
「貴方は聡いな。その通りだ。ランベルク公は戦場で捕らえて王都に送還した彼等を、いち早く奴隷階級に堕とすべきだと進言した。俺が戦場から出した彼等を赦すよう求めた嘆願書を握り潰して……な」
「そんな……」
「いつか公には、あのときのお返しをしてやりたいものだよ」
当時を思い出すように暗く笑った彼の横顔にかける言葉が見つからず、また短い沈黙が落ちた。そうこうするうちに図書室の方へと曲がった廊下の先では、すでにメンコを手にしたマキシム様が待ち受けていて。
「遅いぞベルタ。久しぶりにこれで勝負しろ。ほら、早く鍛練場に行くぞ!」
「先生、ベルタさん……兄上を図書室に留めておけず、すみません」
そう申し訳なさそうに溜息をつく弟と、それを無視して先に鍛練場に向かって歩き出した兄の背中。凸凹だけれど仲の良い兄弟の姿に、私達は小さく笑い合った。