♗幕間♗解けない魔法。
ベルタ様をフェルディナンド様とわたしで二人占めして、今日で五日目。
前日と同じくベルタ様のスケッチをするフェルディナンド様の横顔は、普段は見せない穏やかさで。彼の少し後方から覗き込んだ画板のベルタ様は、通常女性の顔を描く上では描かない方がいいソバカスをきちんと配されても美しかった。
屋敷内でも自然光が優しく注ぐこの部屋は、少しでも自分を美しく描いてもらうのにうってつけ。けれどこの部屋から一歩でも出てしまえば、後日送られてくる自画像と自分の顔の落差に笑ってしまうことがある。
――でも、あれはわたしの思い違いだったのねぇ。
報酬を受け取って美しく描こうと努めてくれる腕の良い画師と、報酬を必要とせず想い人を描く腕の良い画師を比べてみて、初めて分かった。あれは被写体に対して抱く想いの問題だったのだと。
“美しく描かなければならない”
“美しいと思うから美しく描く”
ベルタ様の絵はきっとこの部屋から持ち出されても魔法が解けず、美しいままに違いない。大見得を切って紹介した手前、大切な友人ががっかりするようなことがなさそうで良かったわ。
――だというのに……。
『“真面目か。でも理想がないんだったら、オレなんかどう?”』
『“あら、フェルディナンド様は私のお相手には勿体無いですわ”』
『“えー、何それ? オレはベルタ先生はイイ女だと思うから言ってるのに”』
『“ふふ、ありがとうございます”』
『“ちぇっ、絶対信じてないやつだ、その返し方”』
不意に昨日の二人のやり取りが思い出されて内心で溜息をつく。休憩を口実にせっかく二人きりにしてさしあげたのに、肝心のフェルディナンド様の悪い癖がまた発揮されて、結局誤魔化してしまったのは勿体なかったわねぇ。
あそこであともう少し踏み込めていたら、多少は次に会う際の意識のされ方にも違いが出たのに!
明日からはまたホーエンベルク様の独壇場になるのに……と、しみじみと意気地のないフェルディナンド様の姿を見つめていると、彼が急に振り返ってわたしを手招いた。
「次、アグネス嬢も入ってよ」
「え……嫌ですわ~」
「何で? 昨日は入ってくれたじゃん」
「何でって、昨日はそういう気分だっただけですもの~。今日はベルタ様も緊張なさっておりませんし」
「そんなことはありません。アグネス様がご一緒して下さる方が心強いです」
「あらあら、ベルタ様にそう言って頂けるのは嬉しいのですけれど、二人分描くとなればフェルディナンド様の負担になりますわ~」
本当はついさっき気付いてしまった理由のせいだ。ここから出て魔法が解ける自分の絵など見たくない。昨日目蓋を頑張って開いたのだって、席を外す言い訳工作のためだったのだから。
「それに残念なのですが、昨日の今日で目蓋が疲れておりますの。そもそもわたしは画集に入りませんし、今日はご容赦下さいませ~」
やんわりと嫌われない程度にそう辞退すると、ベルタ様とフェルディナンド様はお互いに目配せして頷き合った。そこでこの話は終了したものだと思ってホッとしかけたそのとき――。
「画集に載せるって言ってなかったっけ?」
「はいぃ?」
「画集の中に“女性用遊戯盤監修者=アグネス・スペンサー嬢と”って。だから入って欲しいって言ったんだけど」
「……聞いておりませんけど?」
「ごめん、伝言漏れだ。じゃあひとまず、いま言ったから入ってよ。それともし良かったらアグネス嬢一人の立ち絵か、座ってるやつが欲しいんだよねー。目蓋を開けるの疲れるなら閉じてて良いからさ」
フェルディナンド様が顔の前で両手を合わせてウインクするあざとさに呆れ、ベルタ様の方を見たのだけれど……彼女も同じことをしていたので諦めた。
「もぅ、仕様のない方達ですわね~。ではもっとマシに見える格好に着替えて参りますので、しばらくお待ち下さいませ」
「何で? そのままで良いよ」
「せっかくベルタ様の画集にご一緒させて頂けるのに、普段着では見劣りしてしまいますもの~。すぐに用意して参りますので、先にベルタ様を描いて差し上げて下さいませ」
「ん? だからさ、そのままで綺麗に描けるから良いよ?」
こういうとき、素のままで美形な方というのは無神経なもの。こちらがどれだけ周囲に許される程度に見えるよう気を使っているのか、少しも考えてくれはしないのだから。
「己の腕を過信されるのはよろしいですけれど、後悔なさいますわよ~?」
非常に気が進まないものの、おっとりとこちらのやり取りを見つめるベルタ様をお待たせするのも気が引けて、ノロノロと昨日のようにベルタ様のかけている椅子の後ろに回ろうとしたら、不意に彼女が椅子から立ち上がった。
「今日は私が後ろに」
「いいえ、それはいけませんわ~。遊戯盤の考案者はベルタ様ではないですか」
「それこそ“いいえ”です。私は本当に服飾や装飾品の類いには疎いので、実質は案を出しただけ。それでも女性用の遊戯盤に人気が出たのは、アグネス様のお茶会や夜会での丁寧な宣伝のお陰ですから」
そう言ってふわりと柔らかく微笑む彼女からは、我がスペンサー領自慢の紅茶の香りがした。
***
――翌日。
王都から一度領地に出立するわたしの元へ、わざわざ仕事前に見送りのために屋敷までベルタ様が訪ねて来て下さって。次に会えるのはアウローラ様のお誕生日になるだろうというような話を交わし、彼女の馬車を見送った。
それから荷物の積み終わりを自室で待っていたら、屋敷の者がお客が来ているとわたしを呼ぶので応接室に出向けば、そこにはやや寝不足気味なお顔のフェルディナンド様の姿があって。
「はー……アグネス嬢が帰る前に間に合って良かった。これ、見てよ。オレが嘘つきじゃなかったって証拠だからさ」
そう言って得意気な彼に差し出されたのは一枚のスケッチで。
「……まぁ、お上手ですこと?」
「疑問系なの? 今日に間に合わせるのに必死だったから、多少仕上げが粗いのは許してよ。次はもっと丁寧に仕上げるからさー」
「ふふ、そうではなくて、とても嬉しいってことですの~」
いつもお見合いの絵を描いてもらう角度で椅子に座っていたのに、あの部屋を出ても、わたしにかけられた魔法は解けてはいなかった。




