*21* 気心知れた友人達と<2>
――翌日。
前日にフェルディナンド様お手製のイヤリングをつけてくるようにとの指定を受けたので、それに合うちょっとだけ可愛らしいドレスを着てスペンサー家にお呼ばれした。
アグネス様の評価と違い、庭に力を入れたスペンサー家の屋敷は可愛らしく、前世で世界的に有名だったコーギーとお婆さんの庭を彷彿とさせるところだった。
案内されたお見合いの絵を描いてもらう専用のお部屋は、窓から庭を一望できる角部屋で。開け放ったバルコニーから夏草と花の香りが流れ込むこの一室が、彼女の自慢なのも頷けた。
そんな素敵な一室で用意された紅茶を飲んだり談笑を交えながら、私一人の立ち絵や、アグネス様とのツーショットを描いてもらうこと二時間。
「ねぇ、お二人さん。わたし少々目蓋を持ち上げることに疲れたので、そろそろ一度休憩を挟みませんか~?」
私の後ろで椅子の背もたれに身体を預けていたアグネス様が、のんびりとした声でそう告げたことで、さっき部屋に用意されていた紅茶を飲み切ってしまったことを思い出した。
「被写体が疲れたら良い絵が描けないから休憩は賛成だけど、目蓋を持ち上げるのに疲れるとか、アグネス嬢は相変わらず斬新だなー」
「でも確かに少し疲れましたね」
「ほら、ね? この辺で一度しっかりした休憩を挟んだ方が、きっと良いものができますわ~。ということで、紅茶のお代わりとお茶菓子を用意してもらえるように手配して参りますから、ちょっと席を外します~」
そう言うやササッと椅子から離れたアグネス様は、軽やかにドレスを翻して部屋から出ていってしまった。残された私達はその素早さと、廊下から聞こえてくる彼女の鼻歌にどちらともなく顔を見合わせ、クスリと笑う。
「あれは眠かったって言うよりも、きっとお喋りがしたくなったんだと思うね」
「ですね。でも、私もそろそろ二人とお喋りしたかったから嬉しいですわ」
「お嬢様方は暢気だなー。こっちは良い絵を描こうと思ってスケッチを量産してるっていうのに」
「ふふ、ごめんなさい」
「いーよ、冗談。だけどお茶が来るまでの間、ベルタ先生の絵だけもう数枚くらい描いていい? 楽に座ってくれてていいから」
「はい、勿論ですわ」
「ありがと。じゃあついでにちょっと砕けた感じの表情が欲しいから、お喋りしながら描くねー」
画板越しに聞こえるフェルディナンド様の間延びした声に笑うと、彼も画板から半分だけ覗く美しい顔を綻ばせた。
一瞬話題を探しているのか、シャシャッ、と紙の上を走る木炭の音だけが室内に響く。けれどすぐに画板の向こうで翡翠色の瞳が笑みの形に細められ、彼が口を開いた。
「ベルタ先生に質問なんだけど、結婚願望とかってある方?」
「うっ……結婚願望ですか。アウローラ様とお約束したのもありますが、今はまだ私自身も結婚についてフワフワした考えしかなくて」
「ふーん? だったら仮にどんなときなら結婚しようとか思うの?」
「ええと……」
「まさかの未来予想図なし?」
「……うふふ?」
「ま、いいや。じゃあさ、相手に求める理想はどんな感じなの」
「それなら答えられます。きちんと仕事をして、労働の対価に得た収入を家庭に入れる人ですわ」
「待った。それは割と普通のことだって、普通からずれた一族出身のオレでも言うわ。流石にもう少し夢を語ろう。背が高い方がいいとか、腕節が強いとか、アグネス嬢みたいに顔がいいってのもありだと思うよー」
確かこのやり取りは前にもしたな。そしてまったく同じ答えをもらった記憶がある。教え子や妹と違って、私はほとんど成長していないらしい。ここにアグネス様がいたら笑われてしまうところだ。
「お、思いやりがある人?」
「やけに抽象的だし疑問系ときたね。それならー……たとえばミステル座の中でなら誰が男前だとか、ベルタ先生が拾ってきた番犬クンとかは? あの子は顔立ちが異国風で絵になるよね」
ちなみに番犬クンとはガンガルのことだけれど、これは彼のことを嘲っての渾名ではなく、ベッドから起き上がれるようになった彼が屋敷の中でどこに行くにも私についてくるからだ。
妹に加えて弟ができたみたいで可愛い。アンナが何くれとなくお姉さん風を吹かせていて、餌付けというのか、毎日劇場の帰りにジャムをお土産に買ってきてはガンガルに食べさせている。
最初のトゲトゲした空気が日に日に丸っこくなっていく姿は、屋敷の使用人達にも伝播し、父も政敵の話を聞き出す際に褒美と称してブランデー入りのチョコを与えたりしていた。我が家の人間は基本的に一度懐に入れてしまえば甘やかすタイプなのだ。
「流石に妹より歳下の子をそういう対象としては見られませんわ」
「真面目か。でも理想がないんだったら、オレなんかどう?」
「あら、フェルディナンド様は私のお相手には勿体無いですわ」
「えー、何それ? オレはベルタ先生はイイ女だと思うから言ってるのに」
半分だけ覗いた彼の表情はこちらをからかうように微笑みを浮かべ、木炭を走らせる手の動きは少しも止まらない。彼の目に私は今どんな表情を浮かべて映っているのだろうか?
「ふふ、ありがとうございます」
「ちぇっ、絶対信じてないやつだ、その返し方」
言いながら、チシャ猫のように目を眇める彼を見て思う。きっと今の私は友人とのお喋りに満足して、楽しげに笑っているのだろうと。




