▶幕間◀無声の誓い。
新参者の彼視点です(*´ω`*)
※国名が似ていてややこしかったので変更しました。
この四肢が自由になるのは、リベルカ人を“獣”と呼ぶ仮面の男が持ってくる仕事のときだけだった。戦に勝てば敗けた方を隷属させる。それは俺の知らないくらい昔から、ずっとやってきたことだったらしい。
檻の中に閉じ込められる生活は九歳の頃からだ。戦闘が激しくなってきた国境線沿いにあった村から、親と逃げる途中にはぐれて攫われた。檻の中には同じように連れてこられた同族ばかり。
親とはそれきり会っていない。きっと死んだのだろう。最初の頃にはあった悲しさと怒りは徐々に擦りきれていって、だんだん真っ黒に塗り潰されていった。もともとリベルカ人は血の気の多い民族だ。貴族が持ち込む裏の仕事を憶えるのに、そう時間はかからなかった。
仕事があればこの四肢が自由になる。仕事が成功すれば、その回数と報酬で檻の外で暮らせると教えられてきたから、同じ檻の中にいた奴等とは毎回仕事を請ける権利を争った。勝たなければ仕事があっても出られない。
一人ずつ争う奴等が減っていくことが、仕事の失敗を意味しているのか、自由を得たのかも分からないのに、毎回肉を取り合う獣のように争う。そんな生活も気付けば七年目になっていた。
――だから、あの夜も。
渡りガラスの仮面をつけて、翡翠色の鳥の仮面をつけた見るからに弱い女を殺せばどれだけ自由に近付けるのか、そんなことを考えていた。
それなのに狼の仮面をつけた男に邪魔をされ、翡翠鳥の女は攫われた。短い四肢の自由時間。殴られ連れ戻された檻の中で、次の仕事を待った。
それから幾つかの仕事をこなした頃、また同じ仮面の男が、また同じ女を攫ってくるようにと仕事を依頼を持ち込んだから、その仕事を取れるように同じ檻の連中を殴って勝ち抜いたのに――。
次に会ったあの夜の翡翠鳥女は、少し見ない間にこちらを殺そうと牙を剥く狼女になっていた。二度目の失敗のツケは大きく、檻の中で待ち構えていた連中はさらに手酷く殴り付けてきた。
少し前まで、俺の世界はそういうもので。失敗の原因を作った翡翠鳥女が憎くて憎くて、世界で一番殺してやりたい存在になった。
――でも。
「ガンガルはリンゴジャムが好きなのね。あとで厨房に追加で作ってもらえるように頼んでおくわ」
自由になった両手を使って甘いパン粥を一匙口に入れたら、そう言ってベッド脇の椅子に座っていた翡翠鳥女が笑った。
朝と夜が十四回ずつ通りすぎるくらい名前を呼ばれたのに、まだ慣れない。親とはぐれてからずっと呼ばれなかった名前は、もうすっかり自分のものではなくなってしまったみたいだ。
「他に好きなものはあるかしら? 消化に良いものなら応相談よ」
「……リンゴより、ナシのジャムが好きだ。あれは喉にいい」
「そうなのね。それならガンガルは声が良いから、次にナシが手に入ればジャムにしてもらいましょうか」
高すぎず、低すぎない、心地良い声。歌うことが好きなリベルカ人に聞かせたら、十人中八人は好ましいと答える声の持ち主だ。
けれどベルタはリベルカ人の女と比べて不美人だ。でもそれを言ったことがあの夜ベルタを攫った狼男にバレた日は、殺されるかと思った。
あいつはベルタを俺の命の恩人だと言ったが、元はベルタを攫って始末し損ねたのせいで殺されるところだったのだから、信じなかった。どうせこの国の人間には分からないと思ってリベルカ語で罵れば、全部をそれ以上にキツい言葉で罵り返されて驚いた。
リベルカ訛りが懐かしいというより、それだけこちらの言葉を理解しているジスクタシア人に罵られることが恐ろしかったと言った方が正しい。
その上で『次に彼女に向かって汚い言葉を吐けば、その首が胴から離れる覚悟をしろ』と脅された。あの殺気は駄目だ。逆らえば殺されると本能が叫んでいた。ベルタの番かと思ったけど、そうでもないらしい。変な男だ。
あの狼男もそうだが、この屋敷の人間はベルタを除けば全員怖い。特に当主と妹と執事が。
ベルタは、俺の命の恩人。
『ホーエンベルク様が大袈裟に仰っただけよ。貴方のことをあそこから連れ出すのなんて馬のお産の手伝いより楽だったし、領地のお祭りで食べる為に潰した子牛より、貴方の方が軽かったわ』
助けてくれた夜の話を聞いたらそんな風に笑ったけど、あの男は下らない嘘をついたりしないと思う。
――だから。
「早く体調を戻して、お嬢のために働く。俺を使ってお嬢を殺そうとした男の顔は見ていないけど、声と匂いで分かる。絶対、役に立つ」
「あのねガンガル? そのお嬢っていうのは……ちょっと違う職業と誤解されそうだから、普通に名前で呼んで欲しいわ」
「そんなことしたら、執事と当主に殺される。お嬢の妹も怖い」
「んー、それは困るわね。でもそれならアンナは何て呼ぶつもりなの?」
「妹様」
「成程、そうきたか……」
「諦めろお嬢」
また俺のことを大鷹と呼んで、四肢の自由をくれた主の名をこの唇が紡ぐことはないけれど。大鷹は生涯の主を一度決めたら何があっても絶対に裏切らない。




