*16* 開き直って行こう。
自力で見張りに残された誘拐犯五人を各個撃破し、拉致された隠れ家から荷馬車を奪い、恐らく暗殺者と思われる子供を連れてアイルビーバックした二日後、私は城に向けて馬車に揺られていた。
何ということはない。逃げ隠れしても攫われるなら、もういっそ登城してしまおうと開き直ったのだ。
それに私が無事な姿で闊歩する様を見せつけることで、多少のことでは奇人と名高いエステルハージ家の長女を黙らせられないと、一定の貴族達に圧力をかけることもできる。
最悪私が死ぬことで教え子のルートや、家族の人生が変わってしまう可能性もあるかもしれない。帰って来た日に薄汚れた私を無言で抱き締めてくれた父の力強い腕と、泣きすぎて両目と鼻の頭を真っ赤にしたアンナを見て、そう思った。
妙なことかもしれないけれど、モブの私が攫われたことで、この世界がゲームのシナリオだけで成り立っているわけではないと……そんな当たり前なのに、当たり前ではないことに気付いたのだ。
私というキャラクターが死んだらゲームオーバーなのではなくて。私という個人が死んだら、家族や、教え子や、同僚や、領民や……色々な人が悲しんでくれる。それって結構責任重大だ。
――そんなことを考えていたら、馬車がゆっくりと停車した。
攫われた日からすっかり心配性になった馭者に見送られながら、王城に続く石畳の道を歩く。するといくらもしないうちに、視線の先、城の通用門前に立つ人物がこちらに向かって手を振っていた。
僅かな気恥ずかしさと懐かしさを胸に足早に近付いて行くと――。
「……おはよう、ベルタ嬢。今朝も時間ぴったりの登城だな」
「おはようございます、ホーエンベルク様。またここで待って頂くことになってしまって恐縮ですわ」
「前にも言ったと思うが、貴方が気にすることはない。本来ならこちらが屋敷まで迎えに行かなければならないくらいだ」
「いいえ。前にも申し上げましたが、ホーエンベルク様がここに立って下さっているだけでも、この職場に味方がいる安心感がありますもの」
久し振りのやり取りに微笑み合い、どちらともなく歩き出す。向かう先は図書室。城内を歩く私の姿を見て数人のメイド達が顔を背けた。考えてみれば敵は彼女達の父親になるのだろう。顔を背けたメイドは要注意だ。
誰もいない廊下でホーエンベルク様が、周囲を気にしつつ「彼の容態はどうだ?」と訊ねてきた。
「ええ、もうだいぶ熱も下がりましたし、お医者様のお話では、もう少ししたら熱で混濁している意識もはっきりするだろうとのことでしたわ。その節は本当に助かりました」
その節とは連れ帰った暗殺者の彼の意識がない間に、熱があるのは承知の上で先に不衛生さをどうにかしようと、ホーエンベルク様の手を借りて入浴の手伝いをしてもらったことだ。
ちなみにヒゲと髪の手入れはフェルディナンド様が担当してくれ、手当ては私が……と思っていたら、アグネス様まで『久々の共同作業ですわ~』と、痛々しい傷跡を残す彼を前に嫌な顔一つせず手伝ってくれた。良い友人達に恵まれている。
「それは……良かった、な」
「無理をなさらないで下さい。愚かなことをしている自覚はあるのです」
「いや、そんなことはない。貴方の判断は人として正しいことだ。愚かなのは……何年経っても国境線の戦場を忘れられない俺の方だ」
自身が子爵から伯爵になった武功を立てた戦場のことを指しているのだろう。一瞬翳った彼の横顔に胸が痛む。
前世も今世も戦場とは無縁の生活をしていた身では、どう言葉をかけたところで軽くなってしまう。本来は穏やかだろうこの人に寄り添える言葉を持たないことが、悔しかった。
十年ほど国境線付近で戦闘を繰り広げ、近頃ようやく相手側に停戦和睦と言う名の従属をさせた、灰髪に紫の瞳を持つ異民族。その際に捕まって奴隷へと身分を落とされた者達も多かったと聞く。それがあの暗殺者の正体だった。
「俺が彼のような立場の者達を作ったというのにな」
「ホーエンベルク様のせいではありません。仮に貴男にその責があると言うのなら、この国で平和に暮らす私達の責でもあります」
精一杯の偽りのない言葉でそう返せば、ホーエンベルク様が「貴方は本当に……」と言葉を探すように口ごもる。
だから続きを待とうと立ち止まりかけたのに、そこへ「ようやく来たかベルタ!」「兄さん、少しは空気を読んで下さい!」という二人の王子の声と足音が割り込んでしまったせいで、続く彼の言葉は「就業時間だ」になってしまった。




