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*9* これもある意味元鞘?


 開け放した窓の外は六月の日差しが降り注ぎ、木々の葉の色の鮮やかさと芝の香りが鼻腔をくすぐる。


 そんな外の景色に気を取られていたら、くんっと服の裾を引っ張られて。振り向けばそこには眉間に可愛らしい皺を刻んだ教え子が立っていた。


「先生、またよそ見していたわ。フェルディナンド様と二人で視線をこっちに下さいって言ったのに」


「あぁ、ごめんなさい。でもジッとして絵に描かれるのはどうしても苦手で……」 


「大丈夫だってベルタ先生、絵のモデルは慣れだから。というわけでもう一回視線下にしてて良いからこっち向いてー」


「フェルディナンド様はこう仰いますけれど、わたくしはもっと視線がこちらに欲しいです、先生」


 デッサン用の木炭を手にした二人にせがまれ、苦笑しつつポニーのぬいぐるみを抱いて向き直る。こちらが折れた姿に納得したのか、満面の笑みを浮かべて画板に向かい猛然とデッサンを始める教え子。


 その隣でフェルディナンド様は教え子の手許と私の間に視線を走らせ、時々教え子の描くデッサンに影を入れたりしている。


 こちらと視線が合うと、彼は柔らかく微笑む。ガラスビーズに彩られているからか元から顔がいいからかは不明だけど、キラキラしい。そんな彼に微笑み返すのはなかなかに勇気のいることだ。


 私の手を離れてフェルディナンド様に家庭教師を任せてからは、やはりというか主に芸術面に特化しているようで、自分の目で成長過程を見ていないから推測だけど、たぶんダンスと絵画は上級の中まで達したと思う。


 鬼気迫る木炭さばきに驚いたのも以前までのようなこの環境に戻って三日目まで。以降はただただこの才能が前衛的なピカソではなく、印象派のモネ方向に伸びてくれることを祈った。


 単に好みの問題だけれど、凡人の私が理解して褒めてあげられるのは断然後者だ。ピカソも後生の絵は前衛的なものばかりだが、子供の頃のデッサンは恐ろしく精緻な模写型だったらしい。天才と呼ばれる人種の振れ幅が怖い。

 

 五国戦記の二期公演初日から三週間。


 あの事件の翌日の新聞記事は思っていた通り公演内容を絶賛するもので、先に公演されていたライバル劇団のものより性別年齢を選ばず評判が良かった。戦記ものの強みである。


 今回もあと一ヶ月はやること間違いなしのロングランコース。お世話になっている記者によれば、今年の国内演劇優秀賞作品にノミネートも狙えるとか何とか。


 ちなみに小さな劇場の収容人数問題はある一件で物理的に解決してしまった。簡単に説明すればややお高い中規模劇場の次の公演が決まっておらず、今後の興業収入を見越して空いていたそこにお引っ越ししたのだ。


 ――と、ここまでなら輝かしい成り上がり物語なのだが……現在私がいるのは王城ではなく、以前までよく訪れていたコーゼル家の王都にあるお屋敷。別にマキシム様の家庭教師から解放されて雇い直されたわけではない。


 一番の問題である初日に捕らえた不審者の行方が分からないのだ。あの日の公演後に口を滑らせて三人から吊し上げられたあと、ホーエンベルク様は即行で王城に引き返し、警邏中の騎士に引き渡した不審者との面会を申し出てくれた。


 しかし彼が何度引き渡した騎士達の名乗った所属部隊の隊長や隊員に説明しても、その時間帯に劇場の周辺を警邏していた隊員もいなければ、捕縛された不審者情報もないと言う。


 彼が翌日劇場に訪れて教えてくれたその内容に、私や妹は勿論のこと、劇団の皆とヴァルトブルク様も戸惑い、正体不明の敵の恐怖に震えた。中規模劇場を借りたのは、周辺に警備員を配置しても物々しく見えないようにとの意味合いもある。


 まぁ……そのおかげで王子達が日にちをずらしてお忍びが出来たのだけれど。


 とはいえあの日の騎士団の隊員達の服装は、正規のものと見分けがつかなかった。国の威信を司る騎士団の制服の模倣はご法度だ。それを知っていて行うには、国で一、二を争う劇団であろうともリスキーすぎる。


 なので最初のライバル劇団の線が薄れ、背後にある貴族の線が大きくなった。共同体なのか個人なのかは分からないが、騎士団の人間に嘘をつかせることの出来る地位の可能性も考えられる。


 そこで王家に近いせいで怨みをかってしまったのなら、一度私を王城から引き離し、第一王子とも第二王子とも距離を取らせようということになったのだ。意外なことにコーゼル侯爵も快く受け入れてくれたので、こうしてお世話になっている。


 アグネス様は三日に一度の頻度でマリアンナ様を連れて遊びに来るのに、一緒に授業をしようと提案したら『今は数学と歴史が専攻ですのよ~』とやんわりお断りされてしまった。寂しい。


 教え子を含めマキシム様とフランツ様にも事情をぼかして話したものの、あのマキシム様から何の文句も出なかったところを考えると、敏い子供達は何かを察しているのかもしれない。


 二人の王子に授業をつけるホーエンベルク様の負担は大きいだろうに、この間に六度ほど姿を見せてくれた彼の口からは、こちらを労る言葉しか聞いたことがない。皆に迷惑をかけている現状が心苦しい――……けど。


「先生、少しだけ笑ってみて下さいませんか? わたくし、先生の笑ったところを額に納めたいの」


「うんうん、オレも同感ー。今度の画集に欲しいからさ、練習だと思って」


 気落ちしていることを察した二人がかけてくれる言葉と、以前までの生活を思わせる懐かしい空間に、少しだけ時間が過去に戻ったような気がした。途中の小休止を挟んでモデルをすること三時間半。


 部屋の時計を見たアウローラが「時間切れですわ……」と溜息をつきながら、すっかりちびた木炭を手放し、濡らした布で指先を拭った。つられて私とフェルディナンド様もそちらを見やれば、すでに時計は二時を指している。


「え、あっ……もうこんな時間! アウローラ様、お早くお召し替えになって登城の準備をしないと、フランツ様とのお茶会に間に合いませんわ」


「げ、本当だ。三人もいるんだから誰かもっと早く気付こうよー。でないとヴィーが城から馬車で迎えに来てオレが怒られるじゃん」


「だって先生ともっと一緒にいたくて……」


 せっかくフェルディナンド様のおかげで大人びていた教え子は、ここしばらくでまた元の甘えん坊に戻ってしまった。だけどそれを嬉しいと感じてしまう自分がいるのもまた確かで悩ましい。


「アウローラ様。私は明日も参りますから、早くベルでメイドを呼んであげて下さい。きっと皆ドアの前でヒヤヒヤしながら待っておりますわ」


「オレだけの時はそんな我儘言わなかった……こともないか。ベルタ先生のことを独り占めしてるのは誰だーって、オレにしつこく聞いてきたもんね」


「フェルディナンド様、それは秘密だと約束しましたのに!」


「えー? そうだったっけ?」


 そんな軽口を叩き合いながらパタパタと片付けに追われる夏の午後は、今日も嵐の前触れもなく穏やかに通りすぎていく。

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