*8* 明日の紙面が楽しみです。
全員で輪になって手を繋ぎ精神統一を終えた頃、ちょうど開演を告げる鐘が鳴らされた。団員達の表情はまだ少し固いものの、その瞳には演じることに魅せられた者達の放つ色がある。
街娘、下級兵士、貴族、老人、聖職者、農民、文官、騎士、乳母、使用人、父親、婚約者、母親――……主人公。
全員無言で頷き合ったのち、それぞれの出番順に舞台の袖へと並び、その先陣をアンナとヴァルトブルク様が切る。二人が舞台袖から表に出た瞬間、弾ける拍手が舞台裏の空気を震わせた。
必死に練習していた挨拶の言葉を述べた二人が戻ってくるのと入れ替わる前に、舞台の背景が深い緑から一転鮮やかな赤に彩られ、その変化と同時に兵士役と民役の子達が飛び出していく。
一番最初の場面は突然始まった戦争に巻き込まれる民や兵士に焦点を合わせ、口々に台詞を重ねて奥行きを出していく手法。さっきの今でだいぶ鬱憤が溜まっているからか、怨嗟と興奮が演技なのか本音なのか判別がつかない。
要するにとても自然で良い感じだ。そしてそんな騒然とした場面から、重苦しい静寂を纏った深紫の背景に変わったところで、主人公役の子が出ていく。
「“嘘よ……お父様とあの人が死んだなんて。だって二人とも言ったのよ? 危ないことなど何もないから、半月後の式の心配をしておいで、と。なのに何故なの? 何故二人は戻らず、こんな紙切れ一枚が届いたの?”」
領地にいた頃から変わらない高く澄んだ声。役者としては背が低めな彼女の強みは、この美しい声だった。怖い思いをしたあとなのに、きちんと出ている。
「“お父様は私をとても可愛がってくれたけれど、幼い頃は時折私が男であればと仰った。でも、それでも良かった。両親が愛してくれていると知っていたから。大好きな幼馴染みのあの人と一緒になれるなら、女で良かったと思っていた”」
彼女の悲しみに震える声に袖で出番を待つ子達も何度も頷いているから、きっと表で観ている観客はもっと引き込まれていてくれるはず。アンナとヴァルトブルク様も耳を澄ませて聞き入っている。
「“ああ、あの赤い旗……ああ、憎い、あの獣の国が。貴様達が我等の国を食らおうとするのなら、座して死を待ってなぞやるものか! この大蛇の牙でその浅ましい喉笛に食らい付き、この身の内に宿る毒で奴等の腸を腐らせてやる!!”」
ここで途端に低めでドスの効いた声に変わる場面は、練習中に彼女が尤も苦心していたところだけど……さっきの恨み辛みはここでも良い感じに作用しているみたい。敵に塩を送るとはこのことだ。
場面が変わる、皆の表情も、覚悟も……なんて格好をつけたところで私がこの場でできる役はもう、後方腕組み待機おじさんしかなかった。
――四時間後。
開演よりさらに大きな拍手の波が沸き起こり、今回は前回よりも観客がカーテンコールを多くアンコールしたため、本来の上映時間である三時間半を少し過ぎてしまった。四度も舞台袖から出ていってお辞儀を繰り返すことになった団員達は、それでもとても誇らしげな表情で。
三度目まではニコニコと後方腕組み待機おじさんの体で見送っていた私も、妹と義弟に引っ張り出されてお辞儀をする列に組み込まれてしまった。その後舞台記者の取材を受け、ようやく自由になれたのはさらに二時間後。
「まぁまぁ……大丈夫ですかベルタ様?」
「お疲れさま。舞台良かったよー。あの主人公役の子だけじゃなくて、皆の演技に迫力があった。まるで本当に恐怖や憎しみを身近に感じてるみたいだった。今日の出来映えなら、オレとアグネス嬢で観に行ったあの劇と遜色ないくらいだ」
「ベルタ嬢、エリオットは普段の言動の七割は冗談だが、こういうことで冗談を言う質ではない。俺も今回の舞台は前回のものに輪をかけて良かったと思う」
「ヴィー、七割は酷い。せいぜい六割ってところでしょ」
「いや、むしろ七割でも譲歩している方だろう。お前の話を信じて酷い目にあった回数は絶対に俺が一番多いぞ」
初日の成功を祝う食事会に繰り出す妹と義弟含む団員達と記者を見送り、人気のなくなった観客席で、やっと余裕のある領主代理の仮面を外して緊張を溶けた。生ける屍になった私に優しい言葉をかけてくれるのは、気心の知れた友人達。
「うふふ……もしも殿方達がうるさいようでしたら、何か表で甘い物でも買って来させましょうか~?」
細分化しよう。優しくて毒舌な友人と、優しくてお調子者の友人と、優しくて生真面目な友人だ。アグネス様の【おこ】に男性陣はピタリと口を閉ざした。
「いえ、大丈夫ですわアグネス様。ちょっと公演前に不審者に襲われた気疲れが今更出たみたいで……」
グラグラ揺れる視界を持て余して苦笑した私に、三人からの深海数千メートル級の圧を感じたのは、致し方ないこと……なのだろうか?




