*7* 初めての演者役には荷が重い。
侵入者は案の定衣装が沢山かけられたラックの前に立っていた。しかし問題はこちらに背中を向けていなかったことだ。侵入者は、私を待っていた。
俯き気味な相手の顔は、照明の薄暗いここでは見えづらい。咄嗟にホウキの柄を握りしめて距離を測る。ここまでの道は一本。勢い込んでギリギリの間合いまで近付く前で良かった。
「申し訳ありませんが……ここは関係者以外は立ち入り禁止です。公演を観に来られたのなら、表から入場して下さると嬉しいのだけれど」
よく分からない相手に背中を見せて逃げるのは下策。話しかけつつジリジリと後ろに下がると、当然相手は無言で一歩こちらに近付く。何故かこの緊張感に憶えがある気がして――。
「……渡りガラス」
気付けばそう呟いていた。フェルディナンド様に誘われた仮面舞踏会、全身真っ黒な衣装に身を包んだ、冗談の通じなさそうな渡りガラス。私は飛んで火に入った虫だったらしい。
こちらの呟きが聞こえたのか、男がまた一歩こちらに踏む出す……と、言うよりも摺り足だ。明らかにカタギのお仕事をしている感じはない。明らかに前回も今回も私が叫べない場所を狙っている。
「私を拐うつもりなのかしら?」
浅はかで無駄な時間稼ぎ。そう思ったのだろう相手は懐に手を入れる。殺すつもりだという無言の意思表示を受けて……嘗めんなと。
「大変、靴が足りないわ!!!」
相手の予想を裏切って思いっきり叫んでやった。ここが楽屋だというのは旗色が悪いが、普通のご令嬢のように簡単になど拐われてやるものか。突然叫ぶと思わなかったのだろう。物騒な侵入者は一気にこちらへと駆け寄――る膝の高さにホウキをぶん投げる!
真横に投げられたホウキを避けようとした男が片足を上げたところで、避けきれなかったもう片足がホウキの柄にひっかかって態勢を崩した。
――……好機到来!
近くにあった鏡台から香水瓶を手に取って男めがけてぶちまけたら、完全には背を向けない格好で壁を伝って用水路のザリガニバック!
すぐに態勢を立て直したものの目に香水が入ったのか、闇雲に怒れる男がこちらに手を伸ばすのと、背後から「靴が足りないって本当ですかっ!?」という団員の声はほぼ同時。
一本道の通路で逃げ場を失くした男と私が対峙する場面に駆けつけた数名の団員は、香水の臭いを全身からさせる男の異様さに気付き、狭い通路を横一列に塞ぐ。目の痛みと形勢逆転に相手が戸惑っている間に、団員達は一斉に飛びかかって侵入者を取り押さえた。見たか、我が領地の結束力を!
「ベルタお嬢様、お怪我はありませんか?」
「ええ、大丈夫よ。それよりもこの人は武器を持っているようなの。懐から取り上げてから、その辺りを警邏している騎士団の方をお連れして」
少ない指示で察してくれた彼等はあっという間に役割分担をし、怪しげな薬瓶とナイフを取り上げられた侵入者は、街を警邏中だった騎士団の兵士に引き渡され、後日詳しい状況を聞きに来るということで裏口からひっそり退場した。
けれどその時にはほとんどの団員達が準備の手を止めて、不安そうに私の周囲に集まってきていた。当然だ。この中で彼等や彼女等が頼るのは、領主代行の私しかいない。
――開演まで残り十分。
せっかく高まっていた団員達の士気は、いまや見る影もなく下がっている。このままでは舞台公演初日は悲惨な演技になってしまう。
考えろ、ベルタ。この落ちきったお通夜の雰囲気は、前世で生徒が入試前最後の全国模試の紙を持ってきた時にも味わった。志望校の合格判定はD。
まぁ、あれは生徒の息抜きのゲーム時間が、勉強時間より長かったのが問題ではあるけれど……あの時のピンチを巻き返せたのだから、今回だってどうにかなる。
「お姉さま……!」
「義姉上が、ご無事で良かった。でも、まさかここまでするとは……」
抱きついて震えるアンナの背中を撫でてやりながら、固い表情の義弟の言葉に「どうして?」と微笑み返す。すると信じられないものでも見るかのような皆の視線が一斉に私に集中した。この緊張感……なかなか演者の立場は大変そうだ。
「こんなに小さなこの劇団をそこまで憎んでくれるだなんて、光栄なことではないの。あちらは私達を恐れている。今日はきっと下剋上には持って来いの公演初日になるわ。そうでしょう?」
唇に微笑みをのせ、小首を傾げて周囲の皆の目を一人ずつ見つめていく。
――開演まで残り五分。
皆の瞳に闘志の光が灯る。




