*5* 私に拒否権はないようです。
四月の婚活シーズン、もとい、社交界シーズンが始まってから一ヶ月が経った。現在は五月の一週目だが私は社交に出かけることもなく、妹と義弟が書き上げた脚本を元に、劇団の皆と急ピッチで五国戦記の第二部を製作中だ。
娘を立て続けに婚約させたくないという男親の援護が手厚いおかげで、第一王子の家庭教師という肩書きの私相手に、下心満載で婚約を申し込んでくる貴族男性達をバッサバッサと門前払いしてくれている。
――というか妹の婚約が決まってからこの方、私の手許には今まで頭を悩ませていたうすら寒い恋文すら届かないのだ。裏で父がどんな手を使っているのかは怖いので考えない。
悔しいけれど流石に練習を積まずに大劇団とやりあうのは得策ではない。けれどすでに新聞には広告を載せてもらっているので、前作を見た一部の貴族や商人達から噂となって広がっている。
泣いても笑っても舞台の初演まであと十日ということで、今日は非番を利用して舞台演出家の先生二人と最終確認作業中である。
「ベルタ様、今舞台の上で演じている部分だと、演出の色は暗いのかしら~?」
舞台上で練習をする団員達を眺めそう訊ねてくるアグネス様の言葉に、一瞬台詞の内容から脚本のどのシーンを練習中なのかを割り出す。
「ええ、そうです。最初の見せ場の背景に鮮やかな赤を使いますから、対極に暗めの色を持ってきています」
今回の脚本は、それまで情報を武器に中立国の立場を保っていた主人公の国が、赤い獅子の紋章を持つ国から攻め込まれ、初めての派手な戦争に巻き込まれるシーンから始まる。
主人公は攻め込まれる国の宰相の一人娘。父親と婚約者の戦死を受け、踏みにじられ、蹂躙されようとしている祖国と、愛する者達のために獅子の国への復讐に立ち上がる――……という物語。
だから最初は紋章だけでなく、戦火や血を思わせる鮮やかな赤なのだ。しかし問題は元は男性で考えていたキャラクターの性別変更。当初予定していた男性キャラクターなら衣装の幅は前作と同様で良かったものの、男装の麗人という設定だとどうしても美しいドレス姿が期待される。
そしてこの暗い色合いのシーンに使うドレスの色が、先に製作してもらっているドレスのどの色を合わせるかで意見が割れているのだ。ちなみにドレスの出番は作中に二回ほどしかない。
それなのに十着以上も製作されている。そんなコスパが最悪でも許されるのは、フェルディナンド家の助力あってのことだ。
「確か背景に濃い紫を持ってくるんだよねー? なら、やっぱり対比としてあの淡い白に近いくらいの紫のドレスじゃない? 背景から浮くから浮世離れして見える。女性としての主人公が出る最後のシーンの印象付けには良いと思うよ」
「ありですわね~。あのドレスなら見せ場の割に形はシンプルで済みますし、夜会にも重宝するでしょうから、舞台を見た女性客からの注文も入ると思いますわ~」
「それは一理ありますが、薄い紫だと広告にした際に目立たないのでは?」
「その辺は絵の具の中に少量の銀粉を混ぜれば、光の加減で良い感じに映えるよ。ドレスにはそうなることも考えて最初から銀糸を混ぜてあるし、広告の絵を裏切ったりしないんじゃないー?」
「先見の明が素晴らしいですわ、フェルディナンド様。その口調ならすでに広告の絵も完成されていたりしますか?」
「ふふふ、勿論。オレは最初からあのドレスを推すつもりでいたからねー。むしろあのドレスの絵と、男装した後の一枚しか描いてないよ」
推したいものしか描かないとか……彼の中の芸術家魂は健在のようだ。最近は美術監督や営業代表者として忙しくしていたから、本人もうっかり失念しているのかと心配していたので嬉しい。
教え子の好きな画家の彼に絵以外の仕事を頼むのは、実は少しだけ後ろめたかったりする。本当なら彼はゲームの原作通り領地が暇なときは旅をしながら絵を描く芸術家なのだ。
そのためにせめて少しでも絵を描く仕事を多くしてもらおうということで――。
「フェルディナンド様。ちょっとしたお願いしてみたい試みがあるのですが、お聞き頂けますか?」
「あら何かしら~、ベルタ様のことですから楽しいことでしょうけれど」
「だね。良いよ、ベルタ先生のことだから何か面白いことだろうし言ってみて」
「ふふ、ありがとうございます。前回の物も含め今後の舞台の広告を収録して、数量限定のフェルディナンド様の画集を作りたいな、と。フェルディナンド様の本質は画家ですもの。それにアウローラ様が是非欲しいと仰っておいでなので」
「ふむふむ。それでしたらついでに広告の方は枚数をわざと少なくして、公演が終わった後に価値を引き上げて売りに出しません~? 真にこの作品の追っかけなら必ず買いますわ~」
おっと、私よりもさらにえげつない商法を考えるとは流石アグネス様だ。良家のお嬢様なのに商魂逞しい。実際に商人になったとしても、彼女なら上手くやっていけそうな気すらする。
「それは素晴らしい案ですね。一考の余地ありです」
「お褒めに与り光栄至極ですわ~」
そんな風に私達が盛り上がっていると、フェルディナンド様は急に黙って大きな溜息をついて、その場でしゃがみ込んでしまった。しかも顔を覆ってさらに深い溜息をつく。
しまった……芸術家はお金の話を極端にすると機嫌を損ねる人もいるのだったっけ? 芸術はもっと純粋な目で見ないといけなかった。慌てて謝ろうと彼の前に膝をつけば、フェルディナンド様は顔を覆っている手の隙間から翡翠の瞳でこちらを見つめてくる。
「あーもー、ベルタ先生はさー、いちいちこっちの嬉しくなるようなことを前フリなく言うよね。心臓に悪いよ」
「……へ?」
「いいよ、面白そうだし。やろうよ。その代わりさ……画集の中にベルタ先生の絵も入れさせてくれる?」
見た目の中性的な美しさを裏切る男らしい仕草で頭を掻く彼の動きに合わせ、前髪のガラスビーズが弾む。今日は薄い黄色に水色の配色でこの時期特有のポヤポヤした気候にぴったり――……って、そうじゃない!!
「いえいえいえ……私みたいな冴えない者よりも、原作者のアンナを描かれた方が購買者が増えるかと思いますが?」
「ベルタ先生を描かせてくれなきゃ画集の出版は引き受けられないなー」
「えええ?」
何その謎思考。どういう理屈のどういう拷問の一種なのだそれはと叫びたい衝動にかられたものの、背後からポンと優しく肩を叩かれて。ギギギっと我ながら音がしそうなほどぎこちなく振り返った先には、優しげな糸目のご尊顔。
「良いではありませんか、ベルタ様。きっとわたしのように、貴女に憧れる子女の購買者が増えますわ~」
彼女から発される有無を言わせぬ圧を前に、私はハイかイエス以外の答えを持つ勇気はなかった。




