アソコの宿題
想像ができない。そんなこと思ったこともないし恥ずかしい。ましてや自分の、なんて。
「これは最後の宿題となります」
小川教授がやんわりと微笑んだ。
「このクラスは夏のクラスで社会学の院生ゼミ、と言っても社会人学生が多いから平均年齢は30歳くらいかしら。卒業単位の必要な学部生も含め、十人前後でささやかだけども濃い時間を過ごしてきたわね」
いつもよりもリラックスした形で授業が終わりを迎えようとしていた。小川教授は新米の女性だがイギリスの前衛的な大学で学んできたらしく、「芸術と映像の中の社会学」を専門にしていた。この授業はタイトルこそ「映像と社会学」とあるが夏休み中ということもあり、先生も普段の学期よりもっとマニアックな内容をカバーしていたようだった。
「映像の中の性というテーマではアフリカの女子割礼のドキュメンタリーを見ました。ニューギニアの未成年の男子が成人になる儀式として他人の精子を使うことについても観ましたね。何度も言いましたが、このクラスでは良い悪いと自分の価値観だけで決め付けるのではなく、それぞれの文化や社会の背景からくるその価値を考察することを目的としてきました」
「もちろん、どこの社会も文化も、背景と価値があるように、私たちにもありますから。私たちの感情も私たちの社会背景から創造されています」
「そこで宿題は簡単に二つあります。イギリスで講師をしていたときには学部生がよく課題として出される宿題だったんだけど」
先生はホワイトボードに書き出した。
「まず、自分の性器を自分で見て下さい。その感想が一つ」
教室が一瞬ざわついた。へ? とポカンと口を開けるもの、眉間に皺を寄せるもの、鼻でフンと笑う反応がうかがえた。
先生は続ける。
「二つ目は、その感想に対し、どうしてそう思うのかを社会学者の意見を引用文献としていれて理論付けすること」
「社会学者なんてわかんねえよ」
とっさに哲学を専攻している院生一年目の健が言った。
「そうね、社会学者じゃなくても構わないわよ。性器でも性でも関連することを理論付けしている学術はいくらでもあるからね。哲学者なんて腐るほどいるでしょう。私も学びたいし。なんでもとにかく学問に繋がる引用を必ず入れて私に教えてちょうだい」
それだったら結構見つかりやすそうだ、と私は思った。
「みんな、テレビとか雑誌のメディアが言っていることよりも、自分の親類、友達、自分自身が経験したことや思うことを意見に反映して欲しいの。メディアに影響されることも自然なことかもしれないし、その意見を比較するのもちろんいいのだけど、それを結果付けるのは避けて欲しいの。新しい意見や発見があればそれはそれで素晴らしいしね」
「たとえば?」
先生の締めの言葉に健が言った。
「先生言ってたじゃん。以前フィールドワークで、ある男性教授がフンドシ祭りの参加者をインタビューしたら、高そうなスーツとピカピカの機材とで大勢で行っても相手にしてもらえなかった、って。取材する側も血と汗を流している真剣みや凄みを見せて初めて対等と感じてもらい本音が引き出せるって。俺たちもさ、体張るんだからさ、先生の経験も聞かせてよ」
私は健の生意気な態度にニヤけてしまい、小川教授と目が合った。小川教授はこんな学生こそが好奇心を刺激され面白いと以前私に言っていた。
「まあ、体張るって言ったってさ、この宿題は自分のを見るだけだし、相手との力関係もそうないところの話でしょう」
フランスからの留学生のオリビエが言った。
「だからちょっと論点が違うと思うけどね。まあそれでも先生の意見は聞けたら面白いかも」
いつも冷静で鋭い分析力を見せるオリビエは軽く笑いながら話した。小川教授はうーん、と斜め上を見つめ話した。
「そうね、たとえばね、私は自分の女性器を見て、これって生き物なのかしら、生き物と表現していいのかどうか、と疑ったわ」
少し笑う生徒の声が聞こえた。
「なんか心臓みたいに動く場所でもあるでしょう。子供を生むときだってかなり動くでしょう。体の一部だから当たり前なんだろうけど動く臓器と思って考えると、ちょっと昔のホラー映画に出てくるね、急にアメーバの形で人を覆って殺す宇宙生命体のようなものを感じたのよ」
私は小さいころにそのようなB級映画を夜中のテレビで見た気がした。そういえばこういうの最近夜中にやらない。小川教授が言う性器とアメーバの接点があまりに違い過ぎるからか、この手のことをあまり考えたことがなかったからか、てボーっとしてしまい実感がわかなかった。
ミキの視点
性器かあ。 自分の体のことだけども、自分のことを理解したいのは当然だけども、見るなんて初めてだ。 そんなこと思ったこともないし考えたこともない。 アメリカでは女性学や社会学の授業でこういった宿題が出る、というのをどこかの雑誌で読んだことはあったがまさか日本でもやるとは。 自分が行うことになるとはなあ。 それに女性のを見るのって難しい。男子のほうがまだ見やすいだろうに。男子はただ掴めばいいんだろうけど女子は鏡を2つ使って反射したりなんだりと難しそう。人に見せる訳じゃないけど。 自分だけのためのことなのになぜか恥ずかしい。不安と緊張、そして少し楽しみな気分がまざる。
外は雨だ。雨の降っている外の雑音と自分の頭の中の困惑状態が妙に合い、なぜかスムーズにさっきの状況がリフレインされる。
帰りのバスでこの宿題の意味や意義を考えていると途中からオリビエが乗ってきた。 私に気づき前に座った。
「僕、今から新宿のバーにバイトに行くんだ。ミキも遊びに来るか」
「いいよ、どうせ男にばっかり目が言って私一人ぽっちになっちゃうんだから」
オリビエは笑った。オリビエが男性と関係を持つというのは以前ゲイ映画を観た時に映画館でばったり会ったことでわかってしまった。小川ゼミでは前衛的な映画やイベントがあると生徒たちがこぞって情報を共有し、遊ぶ場所も時間も自然と共有するようになった。
「焼きもちやかれちゃ困るから、ジーナも誘おうか。そうだ、さっきの宿題もさ、自分の見られないならジーナの見ればいいんじゃないの」
そういいながらウインクしてきた。
「ジーナを見るような状況にならないし、あんたと一緒にしないで」
「あはは。おもしれー」
「バーカ」
日本の若者言葉をスラスラ言うオリビエは頭も良いが映画オタクで既に自主制作の映画を国際映画祭でいくつも出品していた。全部短編ではあるが小さい賞も時々取っていて才能と好奇心に溢れている。 フランス人だけどもチュニジア人とのハーフであり、中近東の血も入っているし黒人の先祖もいるようだった。オリビエとは良く話した。
「別にジーナだって良い子だしあの子も前衛ダンスとかやってて背景が面白いから色々と話をしたいのは事実なんだよね。もちろん宿題は自分でどうにかするけど」
「じゃあ一応、後でメール入れるよ」
オリビエはバスを降りて外から私に両手で手を振った。結構何でも話し合える仲になっていた。オリビエと話すと素直な自分でいられるといつも思った。ゲイだから、私にとっては彼を「魅力的な人間だと思うこと」が許される精一杯の感情だということもわかっていた。この感情を実感する度に胃に隙間が空いていくような感覚をいつも感じた。臓器のこの感覚がこの感情を忘れさせてくれないようだった。
オリビエの視点
バスを降りて思わず走ってしまった。健との待ち合わせに遅れてしまう。哲学専攻の健はニーチェにサルトル、ボーボワール、グラムシ、ハイデガーと流行のものからクラシカルなものまで色々と思想を探求していた。健と知的な議論をするのが僕は楽しみだった。
新宿の大きな公園近くにあるカフェに入ると奥には布がところどころに切れたベージュのコーデュロイのソファがあり、焦げ茶のランプシェードの下で焦げ茶のカップを持って足を組んだちょっと猫背の健がこっちを見てニヤケている。
「ごめんごめん。今バスでミキと会ったよ。なんか宿題に困ってたみたいだったね」
バックを肩から下ろし、ソファに少し腰を降ろした。健が言った。
「ミキは結構やるときはやる、って子だからレポート結果が楽しみだよね」
どういう意味だよ、と笑った。もう一口コーヒーを飲み込み健が続けた。
「まあフーコーとか読むと結構さ、性の話ばっかりというかそれしかないの? って感あるけどさ、どうなの、先生も言ってたけどやっぱり実践って違うよね。メディアとか本ばかりの理論もつまらないじゃん」
「オリビエなんか何回も自分の見てるし、自分以外の男性のも、もう、細かく研究済みだろ。俺も自分のそんなしっかり見たことないからちゃんと向き合わなきゃいかんね」
「そうだな、今ミキにもジーナの見れば、って言ってやったとこだよ」
健の言葉に少し話を反らし気味に言ってみた。するとムキになった表情をして健が返した。
「ちがうよ、俺が聞きたいのはさ、他の男の性器を見ると実際どんなことを思うのかなって。理論化されないさ、率直な感慨深い印象ってあるのかね」
僕が男を好きだと知ってるのに。こんな個人的な質問をぶつけることに対し、差別とかぜんぜん頭をよぎっていない健のまっすぐな姿勢に反応し、心臓の周りが暖まってきた。哲学を読み漁っている健にはもう差別もクソもないのだろう。
「まあ、そりゃあ実践したら違うだろうけどさ、結局体の一部でしょ。特別なことはないよ」
僕はわざとしらけ気味にも言ってみた。
「まあ臓器といえばそうだけど。こういうものを使って他の臓器と接触させて何が面白いんだかねえ。あ、誤解しないでよ、男同士がどうの、じゃなくてさ。生殖というか人間の生殖器と性交の必要性を時々考えちゃうんでね。同性だったら生殖というのは意味がないから遊びになるのか、それとも真の愛の表現のみになる、ってことなのかさ、色々考えて見るわけよ」
「そりゃあ後者でしょ」
誤解すんなよ、というちょっとイラっとした感じで言ってやった。
「まあ男女のほうが遊びですることに向かってるかな。なんてね」
ちょっと耳を疑った。健は同性のほうが純愛と言ってるのだろうか。
「結局マジョリティーが一番何でも正当化させる力を持ってるじゃん。在日だって同じなんだよ。男社会がやっぱり強いからさ、日本人より差別されてても在日の間では女を最低な扱いをしてる男ってめちゃくちゃいるんだよね。結局一つの文化の中の上のやつらがその中の実権を握っていて、権利を遊びに使おうが結局自由ってことなのかな」
健はこの小川ゼミでは在日韓国人とカミングアウトしていた。常に色々な意見を持っていて素直に何でも話し、説明もうまかった。韓国系特有のラテン気質も強く、感情をむきだしにする部分があり、僕はそこに魅了されていた。
「今日ゼミでも言ったけどさ、良く在日を題材に作品とか作る人いるけど、取材する側が偉そうと思われたらもうそこでだめだよね。オリビエも作品いろいろ撮ってるけどその辺どうなの。結構大変か」
僕はソファの端に腰を降ろしていたが、深く腰を降ろしなおして言い返した。
「まあ僕も結局はアフリカ系フランス人だからね。相手が白人の場合は下に見られているんじゃないか、とか、相手がアフリカ系だったら結構優遇されているのかな、なんて思うことは実際あるよ。見かけで偉そうとかじゃなくて、やっぱり人種だったりマナーだったり色々と測られているところはあるよね」
僕は同じマイノリティーという似たもの同士のような感覚で健に話した。こんなことは誰にでも話す内容ではない。健が鼻でかるく笑って言った。
「まあ結局エリート黒人は違うよな。フランスのトップ大学に奨学金で卒業だろ。それも黒人だから選ばれた奨学金だっけ」
「・・・え。お前なにがいいたいの」
急に健が嫌味を言ってきて先ほどのフツフツと盛り上がった感情が怒りの向きへ方向転換をしそうになってきた。
「いやあ、事実を言ってるだけだよ。アメリカだと八分の一だっけ、黒人の定義があってさ、親の祖母の代に黒人と言える人種がいれば黒人だけがもらえる奨学金ももらえるんだよな。フランスはどうかしらんけどさ、映画の賞だってマイノリティーだから取れた賞だろ。ゲイ映画祭とかそういうのじゃなかったっけ。俺も在日映画祭に出したことはあるけど賞取れなかったからやっかみだよ、ただの」
健は目をコーヒーに向けた。自分の立場を皮肉って言っているようだった。いろいろ勉強して挑戦をしているがなかなか目に見えるような結果に繋がらず苦しんでいるようであるのも伺えた。僕は軽くため息をついた。
「健な、差別する側、される側って言っても多種多様でさ。僕もフランス人だから持ち上げられることも多いし、そんな欧米中心主義が無意識的に蔓延っている国ってわかってて日本に来たからさ、そこにもいやらしさはあるし。僕もいつどこで他の人間を無意識的に差別してるのか正直わかんないところもあるよ。昔の日本の作家みたいにやりきれなさに酔って自殺するようなことはアホだと思うし。そんな自殺を考えるエネルギーがあるなら短編映画の一つでも作ってなんか意味あることしたいしね。お前もやさぐれてないでさ、哲学ばっかり暗いところで読みふけてないで挑戦し続けなよ。僕もサポートできることはするよ」
健が目を大きくして言った。
「オリビエ、お前すげえな。「やさぐれる」って言葉どこで覚えたんだ」
「まあ、いろいろ本読むし」
二人で笑った。日本語、韓国語、フランス語のおかしな表現や発音の話をここぞとした。真剣な話をすればするほど話の脱線に価値が見出せた。
健の気持ちも僕は痛いほどわかった。健と話すときはいつも内臓がキューと締め付けられる気持ちになった。このはらわたが刺激されるのがくすぐったいような、心地よいような、危険なような、官能的なような、そんな感覚を覚えた。
健の視点
濃いコーヒーの味のせいでカフェインが効いているのか色々な論点が次々と頭をよぎる。そういえば今日のゼミもおもしろかったな。
「先生のあの感想、面白いよな。聞けて良かったよ、あの女性器アメーバが人を襲うってやつ」
「さすが小川だよな」
オリビエも結構面白がっていたようだった。
俺が小川教授を結構クラスでしつこく質問したりするから生徒によっては誤解され、先生をいじめているように思われるのだがオリビエは始めから俺の意図をわかってくれていた。
「なんか文化によってさ、性差っていうのを儀式で祝ったりするけどさ、祝えば祝うほど差が強調されてどうでも良い感も薄れてさ、違いが目立ってくるよね。そうなると性差ってなくなっていかないんじゃないかなあ」
オリビエが反論した。
「いや、儀式とかお祝いって認識づけして、受け入れますってことだからさ、曖昧にするほうが存在感を勝手に消されていつのまにかいなくなった、ってなるんじゃないの」
オリビエはなかなか考えていた。やっぱりお互い差別される側に立つ経験を持つと考えも違う。
「日本にもさ、熱海にエロ博物館があってさ。今もたぶんあるんだけど、あれも昔は熱海は新婚旅行に良く使われていたから新婚夫婦の子作り応援としてあった施設だと思うんだよね。どでかいペニスとかって、アジアとか南米の儀式には良く使われているし、それを見て今はコントの道具にしか見えなくても前はそれなりに刺激になってなんかうまく使えちゃったんだろうな」
「健、お前なに感慨深くなってんだよ」
「いやさ、宿題に何を書こうか考えてんだよ。どの哲学者の引用を使おうかな、とか。まあ哲学者はいらない気もするな。エロ博物館の創立者とかのインタビュー、どっかにないかな」
オリビエと笑った。哲学書を読めば読むほど思ったのは、性差というのは実践が絡めばもっと新しい発見ができるものなのではないか、ということだった。同性と経験のあるオリビエの話を色々と聞くことができればヨーロッパ人の理論付けや日本の昔からの文化にも何かリンクできるものがあるのかも、と思った。
「オリビエ、よかったら家に寄らないか。酒もあるし、もっと話そうよ」
この機会に、と軽く言った風にみせて思い切って言って見た。オリビエの眼光が一瞬鋭くなり、すぐに伏目がちになった。
「ああ、いいよ。健の家ってなんか怪しそうで面白そう」
目を合わせてそれじゃ、と腰を上げた。これでやっとオリビエと深い友達になれるかと思った。家の本を色々と見せびらかしたい。ヨーロッパ人の人種の深い話とかもしてみたい。コーヒーが少し余った。そういえばコーヒーを飲み干さなかったの久しぶりだ。
ミキの視点
「今日は用事が出来たからバーには行かないよ。でもジーナはバーに行くらしいからミキも行ってみたら。ジーナは最近落ち込んでるから話し相手になってあげるだけでもかなり喜ぶと思うよ」
オリビエからメールが来た。ジーナは大学では芸術を専攻していて、舞台にも出る俳優でダンサーだ。私がスピーチのクラスの単位が必要で仕方なく取ったクラスでダントツにうまいプレゼンをして目立っていた子だ。そのクラスの女性の教授とデキているという噂もあった。日本の舞踏が好きでフランスから留学していて、趣味でシバリを勉強している、と言っていた。シバリとは日本のSM文化と言われ、パートナーを縛ることを芸術用語のようにカタカナで言っているだけなんだが、これまたシバリ留学というのもあり、ドイツなどからも多く人が学びにきていてジーナはこの人たちを日本語と英語で案内するバイトもしている。私もアメリカにいたころはバイト禁止の留学生だったのだが奨学金生活でお小遣いもほしかったので、友人のサポートで毎週末にダンスクラブの入り口受付でキャッシャーのバイトをさせてもらったことがある。このクラブは女性しか入れないところで、メインはレズビアンの方々だった。特に深くかかわる友人はできなかったが様々な女性を見てきたのでジーナとも話が出来るかな、と少しは思っていた。オリビエの働くバーは、カフェのようなところで、コーヒー一杯でも入れる場所だった。入りやすそうだしちょっと行って見ることにした。
「ミキ、こっち座って」
店に入るとテンションをあげた様子でこっちにすぐ気づいてくれた。
「もう最悪よ、観光客は。シバリは素晴らしいとかいいながら日本人の子が軽いと思ってすぐ声かけてさ。女の子をもっと大事にして欲しいよね、ほんと」
ジーナは既に安めの赤ワインを二杯飲んでいた。
「ミキとちゃんと話したことないわよね。色々話を聞かせて。オリビエは同じフランス人だから良く話すんだけどミキとは話しやすいって言ってたわよ」
「そうそう、オリビエって正義感もあるし、皮肉屋だし、面白いよね」
「そうなのよ、ゲイだけどそんな女っぽさもないし、マッチョだけど女性にもセクシーさが伝わるのよね」
「うん、あれでゲイじゃなかったら絶対女ともいっぱい付き合えてるよね」
私はうんうん、と自分で納得した。ジーナは不思議そうに私の顔を覗いた。
「ミキ、しらなかった? オリビエは女性とも付き合うわよ」
「え。そうなの?」
「そうよ、一度に男女と付き合うわけではなくて、魅力的だと思った人と付き合うって感じみたいね。だから何年も独り身のときもあるし。もててるけど相手はかなり選んでるわね。ゲイって別の男としか恋愛しない、って意味じゃなくてそっちもアリ、って意味ね」
そうか。じゃあ私は選ばれてないってことか。
「あ、そういう人もいるんだね。オリビエはそうだったんだ。」
私は気を取り直した。
「ところでジーナは落ち込んでるって聞いたけど。最近はどうしてるの」
ジーナは、ハア、とため息をついて言った。
「もう芸術って勉強してるけど結局感性って終わりがないからどこで線を引いたらいいかわからなくなっちゃって」
「宿題かなにかで煮詰まってるのね」
「違うわよ、恋愛よ。今、すっごいセクシーなゲイの男がいて、日本人なんだけどね、そいつもシバリを勉強していて新宿のSMショップの店員なんだけどね。それでモデルもやってて背も凄く高いのよ。生意気でさ、良く喧嘩売られるんだけどね。そいつを負かしたいと思っていたらだんだんと苦しむ顔を見たいな、夜の顔を見たいな、それがセクシーな表情だよな、って思ってきちゃって」
「へえ」
「縛ったら凄く良いんじゃないかって思ってきたのよ。でもゲイだから私にアプローチされても絶対断られるでしょ」
「いや、そんなことないよ」
私もおもわず真剣に意見を言った。
「SMって恋愛も関係のない芸術って思う人が多い、って聞いたことあるよ。恋愛抜きの縛りをやらせて、って言ってみたらどうかな」
「ああ、なるほど。恋愛の枠を外してアプローチしてみたらいいのか。ちょっとやってみようかな。ミキありがとう」
ジーナは清清しい顔でそういい、携帯をいじり店を出て行った。私は少し高めの赤ワインを頼み、一杯飲み干しゆっくりと席を立った。
オリビエの視点
健の部屋は洋風なのに和風の提灯のようなイケアで買ったであろうランプシェードの薄暗い光が差し込む畳の部屋だった。アパートで三部屋あった。結構広い。
「これ、大家さんの実家らしくてさ、大家さんはでかい洋風の家に住んでて、この家も広いけど古いからって家賃も安いんだ」
健はリーディングスペースという場所を作っていた。そこには本棚が前後左右においてあり、古本屋で買ってまだ開けていない袋が散乱していた。真ん中に一人がけの古いソファもあった。
「今日のカフェのソファ、かっこよかったよな。ああいう感じのソファを探してるんだよ」
「これもぴったりだよ、結構」
健は僕に少しはにかんだ。自分も言った後に心臓の周りがくすぐったくなった。
「ほら、これ見たことあるか」
健がニューヨークの写真家のロバート・メープルソープの写真集を持ってきた。
「かっこつけたアートの学生は一度コレにはまるんだよな」
「かっこつけたゲイもそんな感じだよ」
一緒に笑いながら中をみた。レザーを身に着けたマッチョな白人男や黒人男が白黒の写真集に良く合っている。ライダースジャケットのメープルソープ自身が肛門にムチを突っ込んだセルフポートレートも衝撃的だ。
「コレって芸術?」
二人で笑いながらもふ~んと関心しながらページを進める。ページを進めながらも写真集独特の厚めの用紙が一枚一枚めくられる度、パタ、パタ、という音がする。ああ、今はこの音しかしない空間にいることに気づいた。健がこの動きをじっと見ている。本に囲まれながらも多少ガランとした空間に二人でいることに意識が行ってしまい、衝撃的な写真が次々と出てくるのに写真集の中身が頭に入って来なくなった。
健が無表情で斜め上を見つめだした。そして写真集をめくってる僕の横でバタンと仰向けになった。
「あー、疲れた。小川ゼミは面白かったな。またこういう授業あるかなあ。初めて勉強って面白いと思えたよ」
僕も写真集をポイと投げ、仰向けに寝て腕を組み天井を見ることにした。
「ああ、でも哲学のゼミって面白そうじゃん。変わった生徒もいるんじゃないの」
「変にマルクスとかウェーバーとかほざいてるヤツばっかだよ」
「ほざいてる、ってなに?」
「ほざくって知らなかったか。う~ん、クソみたいに言ってやがる、ってこと」
健は良くクソという表現をした。それが健らしくて愛着がわき僕も時々使う。健が手を広げ仰向けに寝ている右手が僕の肩の近くにあった。
「健さ、これ、どんな感じがする?」
そういって無造作に広げられた手の指をチョコンと触った。
「ハハ。どんな感じって触んなよ、って感じかな」
「そっか。ごめん」
少し空気がピリっとした気がした。
「ああ、そういう意味じゃなくて。別にいいんだけど。俺、今禁欲中だから」
いいんだけど禁欲中とは……同性愛も受け入れる、僕とそういうコトをしてもOK、だけど今はだめ、ってことか。
「き、禁欲中って……」
「趣味の一つね。哲学の実践行為としてやってんの。性欲を掻き立てられても我慢が出来れば宗教とか色んな理論を覆すことが出来るじゃん。自慰行為が悪、とかね。 俺がそれを経験して、証明して、堂々と話して、そのあとの性行為の意味づけを楽しもうと思って」
「え、どういう意味?」
「まあ、変な趣味ってことさ」
「なんだよそれ」
笑いが止まらなかった。やっぱり健は僕が選んだ変なやつだ。 「俺はね、自分で自分を実験するのよ。自分がギニピッグ(モルモット)なわけ。それで色々とさ、あーでもない、こーでもない、と理論を考察するわけ。まあ変人だよな」
「死ぬまでさ、あと何十年って想像つかないほどあるだろ。それまで一体どんな趣味でどんな人と出会って魅了されるかわからないじゃん。俺はしがない在日として生まれてさ、自分に関係する可能性ゼロみたいなどっかの欧州の哲学読んじゃってさ、んで時間を無駄にしてさ、ニートになったって生きていくのが試練だからさ。ゲイでもヘテロでもレズでもSMでもそんな次元じゃないってことのような気がしてさ」
なんか健から哀愁が漂ってきた。
「ま、とりあえず小川の宿題ふつーにやるし」
健のつぶやきを感慨深く聞くと、俺は急に寝ながら仰向けのままパンツを脱ぎたくなった。
「大したもんじゃないけどさ、宿題に書いても書かなくてもいいからまあ見てみる?」
衝動的にやってしまった。実は自分のには多少自信があったからかもしれない。
「おまえ……俺は見せないけどいいか。絶対欧米人には負けるから」
そんなのはどうでもいい。
「お前なに、ピアスか、それ」
亀頭の先にひっかけているピアスが薄暗い明かりにも光った。
「学部生のときに友達とノリでピアスいれたんだよ。それも大学のクラブ活動費があまって、記念に残ることをしよう、ってみんなで刺青だったりピアスを入れたんだよ」
「さすがヨーロッパ人はやることすげえな」
健は笑った。左側にチョコンと横たわった僕の臓器が涼しい空気を感じてきた。僕はパンツとズボンを仰向けのままずりあげた。
「あ、ありがとうな。欧州人の初めてみたなあ。なんかアジア人じゃない、歴史を感じるなあ。 食生活なのか、植民地的な先祖の力なのか、運動量なのか、とかさあ」
「なんだよそれ。そういう違いもあるかもしんないけどただのチンコだよ」
この日は結構笑った。やっぱり脱線した時の話が一番面白い。健のも見たかったが一生のどこかで見れたらラッキーということにしよう。小川の宿題に健はなんて書くんだろうか。僕の感想は「希望を持たせる臓器」でどうだろう。本当は健に是非知って欲しい韓国の映画監督の言葉を引用したいのだが。感受性が高い健にはどう取られるかわからないしな。引用は小津安二郎の昔のインタビューからでも探してくるか。
健の視点
すっげー臓器だ。欧州ってやつは歴史が深いな。それにピアスも付いてちゃあ負けるな。勝ち負けじゃないけど。まったくアレを見て性欲は刺激されなかったな。手を触れられた時はかなりドキっとしたけど。俺、男もいけるのかな。あんな男前と経験できるのは今だけなんだろうか。でもやっぱ怖いよな。触るだけで精一杯だな。俺は自分のをいいモンだと思ったことがないからオリビエのを見て、自分が自分のアソコを蔑んでみていることがわかった気がしたな。自信がないというより政治的な社会的な意味をアソコにも反映して生きてきた気がするんだよな。
「あまり全部話してもつまらないよな」
オリビエに言ってみた。
「なんだよ、健、せっかく家にまできたんだから話したいこと話そうよ」
「まあ色々と自分のこと発見できた気がするよ、オリビエのを見て。小川も良い宿題出したとは思うけど、自分のを見ただけじゃだめだな。宿題の感想全然違ってくるよ」
オリビエはそうかな、と首をかしげていた。
俺の宿題の感想は「自分自身の戦いへの目覚め」にしたらどうか、子供っぽすぎるか。 自分で自分を見下す情けない自分に気づいたことを言いたいがそこまで共有することはないからもうちょっと軽めの答えを日本人のクラスメートのために考えておこう。引用はラカンだとありがちな白人男の理論になっちゃうからサイード、クリスティバ、まあマイノリティーの誰かのを使おう。
ミキの視点
「ミキ、SMショップのモデルと話してきたわよ」
小川ゼミの宿題の日にキャンパスでジーナと再会した。ジーナは興奮気味に話しかけてきた。
「あいつに、ちょっと縛らせてくれないかな、練習もしたいし、日本人の男性を縛ったことがなくて。とかなんとか言ってみたのよ。そしたら……」
「そしたら?」
「説得しなきゃだめだって思ったのに結構すんなり、いいよ、って受け入れられたから私拍子抜けしちゃって」
「えー。なんだ、割と好かれてるんじゃないの」
「まあ下向いて嬉しそうではなかったけど。今度うちに来ることになってね。縛りの上限を教えてもらいたい、って言ったら前に何度か経験したことがあるらしくて。私はすんごく嬉しいよ、ミキ。応援ありがとう。 今からコーヒーでも飲まない?」
ジーナはとても嬉しそうだった。
「行きたいけど、私、もう少ししたらでゼミが始まるのよ。宿題はできてないけど好きな授業だったから一応出席しようと思って」
「宿題って?」
「それがね……」
ジーナに説明した。
「なんだ、あなた自分の見られなかったの」
「うん、だって見方がわからないし、大きな長い鏡の上に跨れとか言ってる人もいたんだけどね、鏡は壁掛けのしかないし、携帯で写真を撮ることも考えたけどそれもなんか怪しいことしてるみたいだし」
「なんだ、じゃあ、あたしの見せるからその感想かけばいいじゃない」
私は目と口を大きく開けて足を止めた。
「今からトイレ行こう」
「え、なに」
ジーナは説明しだした。
「ぜんぜん個人的に取らないでね。私はアートのクラスでもう何度も裸にペンキを塗るとか、性器に水をつけて魚拓じゃなくて人拓っていうのかしら、それをやってるし。 こういうの芸術として出しているアーティストもたくさんいてね、私たちも良く宿題に出されるのよ。もう他人に見せまくりだから関係ないのよ」
驚きながらも笑った。ジーナもきっと親切心で私が気を使わないように大げさに言ってくれているんだろう。 でも思ってなかった進展なだけに正直この機会は逃さないほうがいい気もした。
「ほら、行くわよ」
私は連れて行かれるままにトイレではなく美術室に入った。奥の端にあるビロードのカーテンの中にジーナが入って行き、下を向いてゴソゴソし始めた。カーテンが動き、隙間から光が差していた。赤毛のジーナの髪が光りとてもキレイだった。
ジーナが手招きをし、私もカーテンに入っていった。
私は少ししゃがんだが逆光で何も見えなかった。
「携帯の明かりつけてもいいかな」
うなずくジーナの腰の下に明かりを灯した。股を少し開いたジーナからは甘いボディークリームの匂いがした。最近流行っているブランドのジャスミンの香りだ。携帯を股にいれ、その上をそおっと覗いてみた。
「えー。こうなってんの?」
ジーナは色素が薄いから特に肌色も白くうすピンクだった。 キレイと言いたかったが実際はものすごくグロテスクだった。 ジーナだから、ということはない。女性はこういうものなのか、という単に性差の驚きのようなものがあった。
「なんか・・・猿だと男女の差が激しいのは人類学の授業で習ったけど。大きさとか色とか。人間って、えー、グロテスク」
「ちょっとあんたせっかく見せてるのに何言ってんの」
冗談ぽく怒りながらジーナはパンツを履きだした。
「ごめんね、感謝よ、本当に。ただ女性がこういうものって知らなかったから」
「ミキだってそうなのよ。それは自分なんだから」
「そうだよね、だから宿題なんだよね」
良かったら、とジーナが言った。
「結構こういうリアライゼーションっていう、実感させるワークショップってあって面白いよ。自分を見たり、男の格好をしたり、男の下着を履いてみたり、ドレスを着てみたり。コスプレみたいなものだけどね。ボンデージもそういうものだよ。SMのコスプレ」
「ありがとう。そうだね、知らない世界いっぱいあるんだね」
私はこの急な展開に衝撃を受けながらも少し考え込んでしまった。こういう部分が生殖に関係するのか、なんでピンポイントでここにしなきゃいけなかったんだろうか。股間じゃないところで生殖する虫もいたよね、確か。なんでわざわざ股間か。
色々考えても答えが出ないので健に哲学ではどういった説明で正当化されているのか聞いてみることにした。そして宿題の感想に「ピカソの芸術」と書いてみようと思った。生殖の根源を追及するには引用は聖書からにしたらどうだろう。