【2-73】答えを出す前に
「ジェイデン様、我が主が怯えておられるようですので、少々距離を取っていただいてもよろしいでしょうか?」
キリエが自分でも気づかないほどの僅かな指先の動きだけでも、助けを求められていると感じ取ったのか、リアムは静かな声音で言葉を挟んできた。
ジェイデンはふっと笑い、すぐにキリエから身を離す。ほぼ同時に、リアムも微かに漂わせていた殺気を収めた。
「おっと……、怖い怖い。夜霧の騎士を怒らせたら、一瞬にして殺されてしまいそうだ」
「そ、そんな……、リアムはジェイデンを殺したりなんかしませんよ! というか、誰のことも殺したりしません」
「勿論、普段であればそうだろうとも。だが、側近騎士には特権が与えられている。主の命が危険にさらされた場合には、誰であろうとも斬り捨てていい権利だ。──そう、たとえ相手が王家の人間であっても、なのだよ。キリエの命が掛かっていれば、彼は僕であろうとも躊躇いなく斬れる男だ」
「命の危険って……、ジェイデンは僕を殺そうとしたりなんてしないでしょう?」
「勿論。運命を共にしようとしている兄弟の命を狙ったりなんてしないとも。……僕は、ね」
ジェイデンは意味深に笑いながら自分の席に着き、マクシミリアンは深々と溜息をついた。
「嗚呼、ジェイデン様。お願いですから、リアムを挑発するようなことはしないでください。貴方のためであれば、私の命を投げ打つ覚悟は出来ておりますが。流石に、彼とは相打ちにさえなれる自信がありません」
「別にリアムを挑発したわけではないさ。それに、僕がキリエに迫っている姿はなかなか様になっていたんじゃないか?」
「嗚呼、それはもう! 非常に眼福な光景でございましたが! あまりの美しさに、絵に描き留めておきたいほどでしたが! それとこれとは話が違いまして、」
「まぁ、とにかく、キリエ。互いに重いものを背負うことにはなるが、目的を果たすために協力しようじゃないかという話だ」
興奮し始めたマクシミリアンの言葉を遮り、ジェイデンは話を戻す。
「僕が即位したならば、君が望むように貧民への救済政策を推し進めることを約束しよう。それは僕としても目標にしたいものだから、喜んで協力する。その代わり、君にも僕の願いを叶える手助けをしてほしい。国王に即位したら、僕は今以上に自由が無くなってしまう。この国が抱えている謎を解き放つこと、国交断絶している隣国との交流を成立させること、これを達成するための協力をしてほしいんだ」
ジェイデンが語る内容に引っかかる部分は無いし、筋が通っているようにも思える。しかし、キリエは念のためにもう一度、彼の言葉を脳内で反芻した。ちらりとリアムを見ると、彼は穏やかに頷いてくる。ジェイデンの話に乗っても大丈夫だという合図だろう。
キリエとリアムの視線のやり取りを眺めながら、ジェイデンは補足の言葉を発した。
「ちなみに、遅くなってしまったが──先日の演練場ではキリエに少々嫌味な問いかけをしてしまった。あの話を聞けて良かったと考えているから後悔はしていないが、申し訳なかったとは思っているのだよ。すまなかった」
「いいえ、とんでもないです。ジェイデンに他意が無かったことも、誠意をもって僕の話を聞いてくれたことも、分かっています」
「そう言ってもらえると、こちらも有難い。……キリエが王位を目指せない葛藤は、よく理解できた。そして、納得もしている」
次期国王になるのは自分が引き受けるから、代わりに大使として動いてくれ。──それが、ジェイデンの主張だ。
キリエを信用してくれているから、共に国政に挑むこと、互いの願望のために運命を共にすることを提案してくれているのだ。そこまで信頼を寄せてくれているからこそ、キリエもきちんと応えたい。
「ジェイデン。……僕、君に話しておきたいことがあるんです」
「ん? なんだい、改まって」
キリエが何を言おうとしているのか察したのだろう。ハッとしたリアムは、ジョセフを振り向いた。
「ジョセフ、席を外してもらえるだろうか」
「かしこまりました」
「えっ、リアム、僕は別にジョセフに聞かれても、」
「キリエ様。我々だけで共有しておくべき事柄というものもございます。それは決して、ジョセフへの裏切りにはなりません」
「その通りでございます。主君とその側近のみが知る情報というものは、どこにでもございます。キリエ様、いつもお優しいご配慮をありがとうございます。しかしながら、そこまで気を遣っていただかなくとも、この程度のことで我々の忠誠心は変わったりいたしません。どうぞ、ご心配なされませぬよう」
リアムの眼差しから察するものがあったのか、ジョセフは特に不審がることはなく、逆にキリエを安心させるかのように、にこやかに言葉を紡いだ。
「それでは、一度退席させていただきます。またお給仕が必要なときには、すぐにお呼びくださいませ。失礼いたします」
きっちりと一礼したジョセフは、再びキリエへ温かな笑みを向けてから退室して行った。




