【2-68】リアムとエドワード
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「はぁ……、緊張しました。やっぱりまだ、王子扱いをされるのには慣れませんね」
孤児院での授業見学および職員との対談、寄付金の受け渡しを終えて馬車へと戻ったキリエは、苦笑と共に溜息を零す。
「お疲れ様、キリエ。連日の公務は疲れただろう。やはり、三日連続は詰め込みすぎだったな」
「いいえ、僕は大丈夫です。でも、ずっと付き添ってくれているリアムや、御者をしてくれているエドは大変だろうなと心配しています」
連日の公務で遠出しているとはいえ、訪問先は馬車で日帰り可能な場所ばかりだ。確かにキリエも疲れてはいるが、補佐をしてくれている彼らのほうが疲弊が大きいであろう。そう憂慮するキリエに対し、リアムはやわらかく笑いかけた。
「俺たちこそ、大丈夫だ。俺としては多少忙しいくらいのほうが心身ともに調子がいいし、エドも飛び回るように働けるほうが嬉しいらしいから元気いっぱいだ」
「リアムは勿論ですが、エドも随分と働き者ですよね。いえ、サリバン邸のみんなは全員が働き者ですごいなぁと思っているのですが、エドは特にその傾向が強い気がして」
いつも元気な笑顔で駆け回っているエドワードは、仕事を申し付けられると本当に嬉しそうにしている。他の使用人たちも気持ちよく仕事を引き受けてこなしているが、働くことに喜びを見出している点に関しては、エドワードは特出していた。
「エドは……、おそらく買われたことに恩義を感じてくれているんだと思う。俺の自己満足なんだから気にしなくていいと言っているんだが、その点に関してだけはどうにも頑固なんだよな……」
「──買われた?」
「ああ。五年前、俺がエドを使用人として買い上げたんだ」
あまりにも予想外のことで、キリエは口をぽかんと開けて絶句する。
三年前、人身売買を禁止する法律が定められたため、現在は奴隷等の人間を売買することは禁じられている。しかし、それまでは当たり前のように人身売買が行われていた。五年前の話であれば、リアムがエドワードを使用人として買っていても違法行為ではないのだが、彼らしい行動とも思えない。
ある程度まで育った孤児や、借金を返す代わりとして貸主へ差し出された人間などが売買の対象になっており、悪趣味な貴族が愛玩もしくは虐待目的で買うことが多かったそうだ。
リアムがそういった目的でエドワードを買ったとは思えないが、そもそも彼が人身売買に手を出していたというのが衝撃的事実である。
驚いているキリエに対し、リアムは苦々しく微笑んだ。
「成り行きでそうなっただけで、変な意味はない。──エドはもともと孤児院にいたらしいんだが、あいつの足の速さに目を付けた盗賊団が買ったんだそうだ」
「そんな……、エドが盗賊団に……?」
「ああ。だが、エドはあの通りお人好しで悪事を好まないし、物覚えも悪く頭の回転も遅い。確かに足は速いが、盗賊向きじゃないんだ。思うように盗みを働けないエドは盗賊団に大損をさせてしまったらしくてな、どこかの貴族の家から宝を持ってこい、さもなくば殺してやると団員たちに脅されて、サリバン家に忍び込んできた。といっても、いまの屋敷ではなく、没落した当時の……、前の家だったが」
没落当時の出来事を語るのは辛いのではないかと心配になったキリエだが、リアムは意外にも穏やかな表情で言葉を紡いでゆく。
「当時の俺は本当に無気力で自暴自棄に近い状態だったから、エドの侵入に気づいたときにも、好きにすればいいと思って見逃そうとした。だけど、あいつはわざわざ俺とジョセフの前に姿を見せて、自分が盗賊団の一員であることを明かした上に、泣きながら謝罪してきた。そんな盗賊に出会ったのは初めてだからな、流石に驚いて事情を訊くと、命が危ない状態だというのが分かった。……何も盗めなければ殺されてしまうと分かっていても、それでも曲がったことは出来ない、エドはそういう奴なんだ」
盗賊に殺されなかったとしても、侵入したことを白状したことで殺される可能性もあったし、侵入罪を犯した罪人として投獄されてしまってもおかしくはなかったのだ。それでも、まっすぐで正直な心を決して曇らせなかったエドワードの行動に、キリエは感銘を受けた。
「俺はエドと共に盗賊団のアジトへ行き、彼らが納得する額でエドを買った。その後、コンラッド殿経由で通報し、その盗賊団を捕らえてもらった。そのときに活躍したのがダリオだったそうで、その功績があったからこそ彼はジャスミン様の側近の後任になれたらしい」
「盗賊団を捕まえるのは、リアムでも出来たのでは? 君の実力があれば、十分だったような……」
彼一人で月夜の人形会を退けた件を思い出したキリエが尋ねると、リアムは小さく首を振る。
「いや、当時の俺にはそういった大きな仕事に携わる資格が無かった。宰相閣下は俺の手柄にしたらどうだと勧めてくれたが、そんな風に目立つことをしたら王都の人々から何を言われるか分かったものではない。当時はまだソフィアとの婚約が正式に破棄できていないときだったから、先方の家に余計な迷惑をかけたくもなかった」
「話には聞いていましたが……、君は本当に大変な思いをしてきたのですね」
「仕方ない。それだけの理由が、サリバン家にはあった。サリバン家の人間は俺だけになってしまったんだから、非難が俺へ集中するのは仕方がない。今は落ち着いてきたとはいえ、俺がキリエの側近になっているのを気に入らないと思っている者も少なくはないはずだ」
「そんな、」
「いいんだ、それは仕方がない。キリエに迷惑がかからないかだけが心配だ」
「迷惑なんかじゃありません。むしろ、逆ですよ。君が傍にいてくれなかったら、僕は何もできない弱虫です。ただの孤児を君が頑張って王子に仕立て上げてくれたのだということが伝わるように、僕はもっと頑張りますね!」
任せてほしいと言わんばかりに胸を叩いているキリエを見て、リアムは癒されたように笑う。自嘲めいた笑みは消え、ほっとしたように穏やかな顔だ。しかし、そんな表情ながらも彼は少し切ない声音で言った。
「今の俺は、キリエの手助けが出来れば嬉しいと、そこに自分の幸せを重ねて動いている。──だが、当時の、……エドを買い取ったときの俺は、自分が赦されたくて『良いこと』をしたかっただけなのかもしれない」
「え……?」
「盗賊団が捕まって、エドを買うために使った費用も返ってきたんだが、俺はそれを受け取らなかった。盗賊の被害に遭った人への救済の足しに少しでもなれば、と辞退したんだ。エドのことも、解放するつもりだった。だが、あいつは、自分を買うために大金を使わせたのだから一生働いて尽くすと言って、俺の傍で懸命に働いてくれている。給料も受け取ろうとしないから、小遣いという名目で無理やりにわずかな金を渡してはいるんだが……、俺が変に偽善的なことをせず、素直に返金を受けていたならば、エドはもっと自由に生きられたのかもしれない。俺が赦されたいばかりに誤った選択をしたせいで、あいつは、」
「リアム」
キリエがリアムの手に触れると、彼はハッとしたように口を噤む。リアムの指先は微かに震えていたが、それはすぐに収まった。彼が落ち着いたのを確認して、キリエは手を離す。
「リアムの優しさがエドを救ったのだと、僕はそう思います。そして、エドも心からそう感じているのだろうとも思います。……だって、エドは毎日とても幸せそうです。リアムの側で働くことで、彼は彼なりに生き甲斐を感じているのではないでしょうか」
「……そうだろうか」
「はい、きっと。だから、エドを買って助けてあげたことを、リアム自身が偽善だと切り捨てないでほしいな……、と僕は思います。今の二人はもう、買った買われたというだけの関係ではないでしょう?」
「ああ。あいつは……、いや、あいつだけではないが。我が家に集う皆のことは、大切な家族だと思っている。彼らが望んでくれる限り、俺の命が続く限り、共に生きていきたい存在だ。──もちろん、キリエに対しても。畏れ多いことかもしれないが、俺はお前のことを、主であり友であると同時に、大事な家族だと思っている」
その想いは、キリエと全く同じものだ。同等の心を重ね合わせている喜びを噛みしめて、キリエは「僕も同じ気持ちです」と満面に笑みを浮かべた。




