【2-66】始動に向けて
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──朝食後、食器などが片付けられて綺麗になった食卓へ、リアムはどこからか持ってきた沢山の書類を積み上げた。全て開かれた状態にはなっているが、元々は封筒に入れられていた紙だと思われる。
「これは……、手紙ですか?」
「そうだ。王城に届いていた、キリエ宛の公務の依頼書だな」
「公務……、こんなに……」
目を丸くするキリエの隣へ腰を下ろし、リアムは丁寧に説明を始めた。
「公務は公務だが、全てを受ける必要はない。──本来、公務は国王陛下もしくは宰相閣下の采配によって、ある程度先の予定まで決めることになっている。大体は視察や招待なんかが多いが、基本的に半年後以降の依頼しかできないことになっているし、それを受けるかどうか、受けたとしても王家のどなたが担当されるかは国王陛下もしくは宰相閣下に決定権がある。依頼側は、王族のどなたへお願いしたいかという希望を出すことも許されていない」
「そうなのですか? でも、この手紙はどれも僕宛になっているようですが……?」
依頼書はどれも上位文字で綴られているが、キリエも簡単な文章なら読めるようになっており、自分の名前がどう書かれるのかは完全に把握している。書類を見比べて首を傾げるキリエへ、リアムはさらに説明を続けた。
「次期国王選抜期間中の公務は、特殊なんだ。この期間中は、逆に通常の公務は受けられない。次期国王選抜前に決まっていた公務も白紙に戻される。そして、次期国王選抜期間中は、次期国王候補のどなたかを指名して公務を依頼することが出来るんだ。時期も、希望が通るかどうかは別にして、直近の依頼でもいいと認められている。そして、公務が成立した際には、依頼側は支持や援助を約束する場合が多い」
「それって……」
「そう、ここで有力貴族からの依頼を多く取れた候補者が、より優位に立てるという図式になるというわけだ。そして、当然ながら、有力貴族たちはそれなりに見返りを期待している。次期国王候補とその母親や側近がもつ権力と、有力貴族の財力とが、互いを支え合う……と綺麗な言い方をするものでもないが、そういうことだ。表立って支援を依頼したり申し出たりするといやらしさが出るが、公務を通じて親交を深めた流れでそうなったという話であれば問題無い──と、有力貴族は思っているらしい。俺から見れば、どっちにしろ汚い金の流れが見えてしまうように思えるんだが」
ある程度は覚悟していたものの、やはり次期国王選抜の裏側では金と権力と野望が渦巻いている。決して綺麗な世界ではないだろうと思ってはいたものの、実際に巻き込まれると嫌気がさしてきてしまう。
うんざりして引き気味の表情を浮かべるキリエへ同意するかのように、リアムは苦笑した。
「まぁ、幸か不幸か、俺たち──キリエ陣営には、駆け引きするだけの財力も権力も無い。だから、舞い込んでくる依頼は慈善活動団体の視察なんかだな。これは、我々の広報活動と非常に相性のいい公務だ」
「そうか、僕たちは教会や孤児院を訪れて広報活動をしようと計画していましたものね」
「その通り。流石に全ての公務を受けることは出来ないが、精力的に公務をこなすことによって、まずはキリエ王子は公務に熱心に取り組む御方だという印象を与えられる。そして、その公務先は慈善活動団体に絞る。金銭的な支援を期待できない相手からの公務を受け、逆に寄付金を残してゆく王子は、庶民から見れば英雄的な存在になるだろう。キリエの人柄も、人々に良い印象を与えるはずだ。加えて、寄付金が齎す恩恵は一時的なものとはいえ、訪問先の孤児の生活費の足しにもなる。──これらの相乗効果により、教会票を獲得できる確率も上がる」
話の途中で、セシルが茶を淹れて持って来てくれた。彼は会話を邪魔することなく静かに会釈だけをしてカップを置き、すっと立ち去る。キリエは視線でありがとうと伝え、花のような香りがする温かい茶を一口飲んだ。
その間にも、リアムは話を進めてゆく。
「公務を受けるという形をとることで、こちらから訪問先を探す手間が省けるし、相手にとっても有難みが増す。だから、出来れば多くの公務依頼が欲しいと思っていたんだが、それは御披露目の儀で発表されるキリエの挨拶次第だった。結果的に、受けきれないほどの公務依頼が来ている。よくやったな、キリエ。お前の頑張りは、きちんと実を結んでいっている」
「そんな、僕は何も……、っていうか、君は御披露目の儀なんかただの自己紹介だから気にするなって言ってませんでしたか!? そ、そんなに大事な挨拶だったなら、もっとちゃんと準備をするべきだったのでは……!?」
今更ながら慌てふためくキリエの頭を撫で、リアムは喉奥で低く笑った。
「ほら、キリエはすぐに緊張してしまうだろう? あれは、自然体のキリエが考えた素直な挨拶文だったからこそ、人々の心に届いたんだ。それに、御披露目の儀での堂々とした清廉な姿も良かった。各地の代表や書記はあの場で見たことを口頭でも広めるからな、キリエの素晴らしい姿は各地で噂になっているはずだ」
「や、やめてください、恥ずかしいです……!」
「良いことじゃないか。恥ずかしがる必要はないだろう?」
そう言うリアムは、実に楽しそうな笑みを口元に刻んでいる。おそらく、新衣装の一件の仕返しとでも思っているのだろう。
キリエは頬を赤くしつつ、少々拗ねた表情を見せた。
「と、とにかく、これからは一生懸命に公務に励んでいくということですね?」
「ああ、そうだ。いよいよ、本格的に次期国王選抜の渦中へ飛び込むことになる。──キリエ」
不意に、リアムが表情を改める。キリエも、彼と同じように表情を引き締めた。
「これから、屋敷を離れることも多くなるだろう。外出先で俺から離れないように、くれぐれも注意してくれ。……俺はもう、大切なものを失いたくないし、手離したくもない」
「リアム……」
気丈に振る舞っていても、明るい笑顔を見せていても、昨日の今日で傷を塞げるはずがない。ソフィアを突き放した痛みは、まだ彼の中に残っているはずだ。キリエは、リアムの肩をそっと撫でた。
「僕は、君の傍にいます。大丈夫です。……大丈夫ですよ」
落ち着かせるように大丈夫と繰り返すキリエの声を、リアムは瞳を伏せてじっと聞いているのだった。




