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夜霧の騎士と聖なる銀月  作者: 羽鳥くらら
第2章
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【2-62】相手を想って身を引いたのに

 ポットやティーカップなどを載せたトレーを持ったまま、エレノアは姿勢よく一礼し、キリエの傍まで歩み寄ってくる。


「お早い御目覚めだったとのことですが、御体調は特に問題ございませんか?」

「はい、大丈夫です。ノアが来てくれたんですね、ありがとうございます。お忙しかったのではないですか?」

「いいえ、ちょうど手が空いておりましたので。──ですが、御話相手が自分では、キリエ様が退屈してしまわれるのではないかと、それが気がかりではあります」


 エレノアは相変わらずの無表情だが、声音には若干の戸惑いが混じっていた。まさか、キリエの話し相手になれと命じられるとは思わなかったのだろう。

 キリエにとっても、彼女がその役目に選ばれたことには驚いたが、それは嬉しい意外性だった。キリエは柔らかく笑い、エレノアを窓際のテーブルへと誘う。


「僕は嬉しいですよ! ノアとゆっくり話してみたいと思っていましたから。ノア、こっちに来てください。カップは二つ持ってきてくれましたか?」

「はい、リアム様に命じられましたので。しかし、自分が同席させていただくなど、やはり畏れ多いですので辞退させていただきたく、」

「駄目ですよ、ノアも一緒にお茶をするんです! 今朝は特別ということで、お願いします」

「……それでは、畏れ多くも本日は御厚意に甘えさせていただきます。ありがとうございます」


 生真面目に礼を述べたエレノアは、キリエの椅子を引いてくれた。キリエが座ると、エレノアは手際よく二人分の茶を注いでから、「失礼いたします」と正面の椅子へ腰を下ろす。

 エレノアは、キャサリンのような華やかな美貌の持ち主ではないが、素朴で小綺麗な顔立ちだ。段々と明るくなってきた朝陽に照らされている彼女の漆黒の髪と瞳は、とても印象的な色合いに感じられる。

 綺麗な人だなと改めて考えつつ、キリエはティーカップを手に取った。


「いただきます、……うん、美味しいです。少し変わった風味のお茶ですね? お茶自体も緑っぽくて……、珍しい色です」

「自分の故郷の名産品です。御口に合うようでしたら、幸いに存じます」

「そうなのですか! ふふっ、ほっとする良い香りですね。味もまろやかで、本当に美味しいです」


 無邪気に喜ぶキリエを前にして、エレノアもほんの僅かにではあるが口元を綻ばせた。頂戴いたしますと堅苦しく言ってからカップに口をつけた彼女は、故郷の味に癒されたのか普段よりも雰囲気が柔らかいように思える。新鮮に感じながらキリエが見つめていると、エレノアもじっと見つめ返してきた。


「──さて、キリエ様はどのような御話を御所望でしょうか? 何か御話になりたいことがございましたら誠心誠意をもって耳を傾けますし、逆にお聞きになりたいことがございましたら口下手なりに懸命に語ろうかと存じます」


 おそらく雑談は得意ではないと思われるエレノアだが、キリエを退屈させないようにしなければならないと頑張ろうとしている姿勢は伝わってくる。


「あの……、差し支えが無ければで構わないのですが、ソフィアはあれから大丈夫だったのか聞いてもいいでしょうか? 僕は途中で意識を失ってしまったようですし、リアムにもなんだか聞きづらくて……」

「キリエ様でも、リアム様へ尋ねづらいことがおありなのですね。キリエ様からの問いであれば、リアム様は何でもお答えになられるかと存じますが」

「……だからこそ、聞きづらいのです。ソフィアはリアムの元婚約者ですし、彼はきっと、彼女のことを本当に想っていたのではないかと感じられて……、傷を抉るようなことをしたくなくて」

「キリエ様はお優しい御方ですね。──承知しました。自分の口からでよろしければ、昨日の様子をお伝えいたします」


 そして、エレノアは昨日キリエが気絶してからのことを語ってくれた。

 エドワードが医者を呼びに雨の中を全力疾走したこと、リアムとランドルフが訪れたこと、リアムはあえて突き放す言葉をかけてソフィアへ冷たい態度を見せたこと、ずっと泣き続けるソフィアをランドルフが連れて帰ったこと、リアムはずっとキリエに付き添っていたこと、医者がやって来てキリエを診察していたこと。

 感情を挟まず淡々と語るエレノアの言葉は、それでもキリエの気持ちを掻き乱した。


「仕方がないこととはいえ、リアムは辛かったでしょうね。……もちろん、ソフィアとランドルフもですが」

「そうですね。──しかし、より辛いのは身を引かれてしまった側のソフィア様のほうかもしれません。自分にも、そういう経験がありましたので」


 エレノアは、そこで視線を窓の外へ投げる。その横顔には、彼女にしては分かりやすい形で憂いが浮かんでいた。


「答えづらかったら、答えていただかなくて大丈夫です。……ノアには、ソフィアの気持ちが分かるのですか?」

「いえ、自分はどちらかというとリアム様の心情に近いものを抱いておりました。相手のことを想い、それが相手の幸せに最適であろうと考え、良かれと思って身を引いたのです」


 エレノアの黒い瞳が、再びキリエをまっすぐに捉える。


「──その結果、自分は、一人の男の心を殺してしまいました」

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