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夜霧の騎士と聖なる銀月  作者: 羽鳥くらら
第2章
76/335

【2-58】雨垂れの想い

 ◇



「──なるほど。それは心配だな」


 馬車で隣り合って座るランドルフへ、リアムは静かに気遣いの言葉を掛けた。


 現在、二人はサリバン邸を目指している。

 ──エレノアが馬を飛ばして王城前へやって来たと伝令兵から聞いたとき、リアムは心臓が止まるかと思った。しかし、キリエの身に何かが起こったというわけではなく、ソフィアがサリバン邸を訪れたがどうにも様子がおかしいという知らせだった。

 招集を受けていた会議も終盤だったため、リアムは離席させてもらい、念のために王国騎士団の詰所へ立ち寄ってランドルフに声を掛け、共にサリバン邸を目指しているところだ。


 ランドルフ曰く、ソフィアは入院していたらしい。それも、身体ではなく精神の病を主に扱っている病院に。彼女がサリバン邸へ現れたということは、おそらくは密かに脱走したのだろう。

 妊娠が発覚してから徐々に心を病んでいったソフィアは、普段はおとなしいものの不意に奇怪な言動を繰り返し始めるそうだ。


「……ソフィアは、僕と結婚したくなかったんです。それは分かっていたから、彼女の気持ちが追いつくまで待っていたつもりだったんですけど……、まだ、足りなかったのかもしれません」


 秋雨が空気を冷やしているせいもあるのか、ランドルフの顔色はいつにも増して酷い。リアムは後輩騎士の膝を叩き、励ますように言った。


「ソフィアは昔から頑固だった。自分が納得できないことには徹底的に抗おうとする女だったよ。……そんな彼女が、五年も俺の前には姿ひとつ現さず、三年前にはお前との結婚を選んだ。ソフィアは、ランドルフを選んだんだ」

「でも……」

「初めて子どもを授かって、色々と不安になっているだけだろう。妊婦は体の負担が大きいそうだから、精神が乱れやすいとも聞く。きっと、じきに落ち着くだろう」


 ソフィアの妊娠を知った際には多少なりとも衝撃を受けたとはいえ、リアムとしては彼女のことはもう割り切っているつもりだ。彼女が何を思ってサリバン邸を訪れたのかは分からないが、どうであろうとランドルフの元へ返すつもりであるし、その結果、幸せになってほしいとも願う。


「ソフィアは、確かに意思の強い女性です。頑固なところもある。……でも、同時に家族思いの優しい女性でもあります。親を喜ばせたり安心させたりするために、自分の気持ちを曲げてでも結婚や出産を決意したのではないかと……、そう、思います」


 青白い顔でぼそぼそとつぶやくランドルフの膝を再度叩き、リアムは喝を入れた。


「しっかりしろ、ランドルフ。父親になるんだろう? ……経緯はどうであれ、お前とソフィアだって家族なんだ。互いに支えあっていくべきではないのか? 今は、お前がソフィアを支えてばかりかもしれないが、彼女がお前の支えになる日もいつかきっと訪れる」

「……、……はい」


 ランドルフが覇気のない返事をして、馬車内を重い沈黙が満たしてゆく。車窓を伝う雨だれを眺めて溜息を零したリアムは、違う話題を振った。


「ところで。──あれから、マデリン様はお変わりないか?」

「それが……、」

「ん? すまない、ちょっと待ってくれ」


 何事か語り始めたランドルフの声を、リアムは遮った。そして、馬車の内側から扉を大きく三度叩く。雨音の中でもその合図が聞こえたのか、トーマスはすぐに道端へ馬車を止めた。

 停車するやいなや、リアムはドアを開けて大きな呼び声を上げる。


「エド! エドワード!」


 そう、エドワードの姿が見えたため、リアムは馬車を止めさせたのだった。エドワードは、この雨の中、傘もささずに全力で駆けていたのだ。何か不測の事態に陥ったのかもしれないと、リアムの勘が働いたのである。

 俊足の青年は主の呼び声に反応し、凄まじい勢いで駆け戻ってきた。ずぶ濡れの半泣き顔で、エドワードはリアムの両肩を掴んで揺さぶってくる。


「リアム様ぁ! キリエ様が! キリエ様が……ッ」

「どうした!? 何があった!?」

「突然、青いお顔で気を失ってしまわれて……っ、それで、オレ、オレはお医者さんを呼んで来いって、ジョセフさんが……!」

「……ッ、分かった。エド、引き止めて悪かった。急いで医者を呼んできてくれ。俺もすぐに屋敷へ行く」

「はいっ」


 エドワードが駆け出して行くと同時に、リアムは馬車の中へ戻りながら御者へ指示を飛ばした。


「トーマス! 全力で飛ばしてくれ!」

「承知しました!」


 馬車の扉が閉まるや否や、トーマスは馬たちへ強めに鞭を当てる。馬たちも緊迫した気配を感じ取ったのか、御者の指示通り勢いよく駆け出した。

 先程までとは大違いに、激しく揺れる馬車の中、リアムの顔色はランドルフ以上に蒼白になっているのだった。

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