表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夜霧の騎士と聖なる銀月  作者: 羽鳥くらら
第2章
75/335

【2-57】交錯する苦しみ

 改めてソフィアの表情をしっかりと見ると、どうも様子が変だということにキリエは気がついた。妙に目が据わっているというか、虚ろな眼差しからは段々と正気が失われていっているように思える。


「キリエ様……、貴方様はリアムの主君であらせられるのですよね?」

「──そう、ですね。彼は僕の側近騎士です」


 ソフィアからの問いに、キリエは若干歯切れ悪く答えた。キリエとしては、リアムを友人もしくは家族と捉えている気持ちのほうが大きいのだが、サリバン邸外の人間に対してはその事実は伏せなければならない。リアムがキリエの側近騎士であることは嘘ではないが、少し悶々としてしまうのは仕方がないだろう。


「キリエ様、身の程をわきまえない申し出である自覚はあるのですが、……私とリアムの間を取り持っていただけないでしょうか?」

「えっ……」

「ソフィア様。……差し出がましいことを申し上げますが、その辺にしておかれたほうがよろしいのではないかと」


 痛ましそうな表情をしたジョセフが言葉を挟んで窘めたが、ソフィアは意味が分からないというように小首を傾げている。耐えきれなくなったように、沈痛な面持ちのキャサリンが幼馴染の両肩に手を置いて撫でた。


「ソフィー。あなた、様子がおかしいですわ。わたくしの言葉があなたを傷つけたというのなら、いくらでも謝ります。でも、お願いですから、リアム様のことはそっとしておいて。リアム様は今、キリエ様のお傍にいることで幸せを感じていらっしゃいます。……あなただって、お腹の子と一緒に幸せにならなくては」

「お腹の……子……」


 ソフィアの視線がキリエから逸れた。──いや、違う。目の焦点が合っていない。そして、呼吸が荒くなった彼女は、肩に置かれていたキャサリンの両手を掴んだ。


「ねぇ、どうして? どうして、私のお腹の中に子どもがいるの? ねぇ? 誰の子ども? 私と誰の子どもなの?」

「い、いた……っ、痛いですわ、離して、ソフィー!」


 キャサリンの手を掴むソフィアの力は相当に強い。爪が食い込んできて痛むのか、キャサリンは幼馴染の手を引きはがそうとするものの、ソフィアは離さなかった。


「ねぇ、どうして? どういうことなの? ねぇ、キャシー!」

「痛い……っ、離して、ソフィー!」

「ちょ、ちょちょ……っ、離してあげてくださいっす!」


 思わず立ち上がりかけたキリエをジョセフが制したとき、エドワードが狼狽えながらも彼女たちの間に入り、キャサリンの手を解放する。料理上手な白い手には爪痕がくっきりと残っており、うっすらと血が滲んでいるところもあった。


「だ、大丈夫っすか、キャシーさん」

「ありがとう、エド。大丈夫ですわ」

「でも、血が……、ケガしちゃってるっすよ」

「平気ですわ。……この子の心の怪我に比べたら、大したことありませんもの」


 そう言ったキャサリンは中腰になり、ソフィアを背中から抱きしめる。また手を掴まれてしまうのではないかと男三人は動揺したが、ソフィアは驚いたように目を瞠ったものの暴れたりはしなかった。


「ソフィー……、あなたは変わってしまったのではなくて、心の傷に苦しんでいる。傷が深すぎて、自分でももう、どうしようもないんですわね」

「……キャシー、私、……私は、」

「しっかりして、ソフィー。あなたのお腹の中では、ランドルフ様との子どもが生きているんですのよ」

「私と、ランドルフの……、どうして、どうして彼の子なのかしら……どうして、彼の子じゃないのかしら……」


 ブツブツと病的に呟き続けるソフィアの言葉を聞いているうちに、キリエは気がついてしまった。

 ソフィアは、身ごもっている子どもに対して愛情を抱いていない。彼女が本当に愛しているのはリアムであり、彼ではなくランドルフとの子どもを身ごもったという事実を受け入れられずにいるのだ。その結果、どうやら精神を病んでいるらしい。


 まだ妊娠したばかりで膨らみはないが、彼女の腹の中には確かに新たな命が宿っているというのに。ソフィアはその小さな命を肯定できずにいる。

 目視できないほど小さな生命に、孤児だった自分が重なって見えてしまい、キリエの胸が重く苦しくなってゆく。


 愛されなかった苦しみは、捨てられてしまった悲しみは、実際に経験しなくては理解できないのだろう。

 恋をしたことがないキリエには、最愛の人と添い遂げられなかったソフィアの苦しみが実感できない。しかし、それと同じように、親から愛されず見離されてしまった苦しみは、ソフィアには分からないのだ。


 キリエには、分かる。彼女の腹の中にいる小さな子どもが背負うことになるかもしれない気持ちが、よく分かる。


「……キリエ様? いかがされましたか、キリエ様」


 黙りこくるキリエの顔色が真っ青になってゆくのを見て、ジョセフが焦ったように声をかけてきた。しかし、それに応える気力は無く、キリエは緩やかに意識を失ってゆく。

 椅子から倒れそうになったキリエを、ジョセフが咄嗟に抱き支えてくれた。


「キリエ様? キリエ様!? エド、すぐに医者を呼んできなさい!」

「は、はいっ」

「キャシー、セシルを呼んできてくれるかな。その後、君はソフィア様を見ているように」

「かしこまりました!」


 ジョセフの指示でバタバタと駆け回る使用人たちを横目に、ソフィアは「どうしてなの?」と呟き続けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ