【2-53】彼女が天使を求めた理由
予想外の言葉を受けて、キリエは戸惑ったように瞬きする。
「えっと……、ジャスミンが何か?」
「ジャスミン様御本人に問題があるというより、ライアン様から目をつけられないようにするためだな。……先程、宰相閣下から話を聞いてきたんだが、ライアン様はジャスミン様にかなりご執心のようだ」
コンラッドから聞いた話をどう伝えるべきか悩んでいるのか、リアムはなかなか核心に迫った話をしようとしない。馬車の揺れに身を任せながら、キリエは気長に相手の言葉を待った。
「──どう遠回りして話せばいいのか分からないから、先に結論だけ言ってしまっていいか?」
「はい、どうぞ」
「一年ほど前のことらしいが、ジャスミン様が……ダリオではない当時の側近騎士に襲われて……、まぁ、未遂だったそうだが、偶然その現場を通りがかって目撃したライアン様が激昂してその騎士を殴殺し、何故かライアン様もそのままジャスミン様に襲い掛かられたそうで……、それもまた通りがかりのマデリン様に目撃されて未遂に終わったそうだが」
「……」
「……キリエ? 大丈夫か?」
「す、すみません。何と言えばいいのか分からなくて……」
「そうだよな。うん、気持ちは分かる。……正直、俺もかなり困惑している」
頷きを返しつつ、キリエは混乱している思考を整理しようと努めた。やけに鼓動が激しい心臓を落ち着けるように、小さな深呼吸をする。
──ジャスミンが騎士に襲われたが、未遂だった。彼女はきっと怖い思いをしただろうけれど、最悪の結果にはならなかったのは不幸中の幸いだった。その現場を見たライアンが怒るのは無理もないし、殺してしまったことは肯定できないがその激しい怒りは理解できる。
だが、分からないのはその先だ。何故、ライアンがジャスミンに襲い掛かったのか。錯乱していたからなのか、否か。
「その事件を更に複雑にさせたのは、後日ジャスミン様が仰った御言葉らしい。騎士に襲われたのは嫌だったが、ライアン様に関しては嫌ではなかった、そのまま受け入れてもよかった──と仰ったらしい」
「それって……?」
「……ジャスミン様は、ご自身のお気持ちがよく分からないそうだ。ジャスミン様の親代わりだったばあやは、育て方を間違えてしまったのではないかと自責の念にかられて、それ以降は妙な言動を繰り返すようになったらしい。そのひとつが、天使だそうだ」
天使。──ジャスミンは、キリエのことを「わたしの天使」と呼ぶ。それに関連することなのかと思い当たったキリエが視線で問いかけると、リアムは頷いた。
「そのばあやは、今は病院で保護されているが、入院に至るまでの間、ジャスミン様へ繰り返し言い含めていたそうだ。月の化身のような天使が現れて、貴女の穢れた心を浄化してくださるでしょう、と」
「月の……化身……」
「キリエの姿は確かに妖精人を連想させやすいが、同時に、銀色に輝く月を思わせる美しさもある。ジャスミン様はきっと、お前を見た瞬間に思ったのだろう。ばあやが予言していた天使だ、と。ジャスミン様はそのばあやに大変懐いていたそうだから、余計に」
天使に会いたかったのと無邪気に言って笑っていたジャスミンを思い出し、キリエの胸は小さく痛む。彼女は一体何を言っているのだろうと思ってはいたが、まさかそんな事情があったとは全く分からなかった。
ジャスミンとライアンの微妙な距離感の裏事情を知ってしまったキリエは、二人に対しての認識を少し改めたくなる自分と、本人から話を聞いてもいないのに偏見を持ちたくない己との間で、気持ちを葛藤させる。
そんなキリエの様子を見守っていたリアムは、柔らかな銀髪を撫でて優しく言った。
「もし、機会があれば、ジャスミン様とも腹を割って話してみればいい。俺から聞いた内容だけでは見えてこないものもあるだろう」
「僕は、君の言葉を疑っているとかそういうわけではなくて、」
「分かっている。だが、御本人から語られる言葉と、宰相閣下や俺を経由したそれとでは印象や真意が変わってくるだろう。キリエがきちんと納得できる形で情報を得て考えをまとめるまでは、今までと変わらず接するようにしたらいい」
「はい……」
「ただし、ライアン様を警戒するためにも、ジャスミン様との仲は今以上に深めないほうがいいだろう。ジャスミン様から屋敷へ来てほしいとお誘いがあるかもしれないが、次期国王選抜が落ち着くまでは控えたほうが安全だ。俄かには信じがたいが、ジャスミン様へ手を出そうとした男を殺害されているのは事実だからな。あらぬ誤解を受けて、キリエの身が危険に晒されることは避けたい」
確かに、キリエの側へジャスミンが寄って来ているとき、ライアンは決まって顰め面をしている。彼が暴漢を殴殺した経緯は曖昧だが、下手に刺激をしないほうが無難だろう。
どちらにせよ、これからはキリエも忙しくなるはずで、ジャスミンよりはジェイデンとの対話を優先したほうがよさそうだという事情もある。水色の姫君とは少し距離を置くことになるだろう。
御披露目の儀から始まり、今日も様々な出来事があった。新しく把握した事実もあった。それらを順に思い出しつつ、キリエはリアムをじっと見つめる。
「……リアム。僕が今日、一番納得できたことをおはなししてもいいですか?」
「ああ、聞こう。どんなことだ?」
「それは、やっぱりリアムは最高の騎士だということです。一騎打ち、とても格好よかったですよ。遠かったですけど、瞬きしないように頑張って観て、君の勇姿をこの目に焼き付けました」
主君からの思わぬ褒め言葉を受け、頬を仄かに紅潮させて一瞬だけ言葉に詰まっていたリアムだが、すぐに咳払いをして反撃してきた。
「俺も、お前の勇姿をこの目に焼き付けた。御披露目の挨拶、とても良かった。特に、紙を手離して賓客を見渡して語っていた姿には、胸が震えたな」
「や、やめてください、照れるじゃないですか!」
「先に俺を照れさせたのは、キリエだろう」
視線を交わして同時に吹き出した二人は、お疲れ様、と互いをねぎらうのだった。




