【2-45】投げられた白手袋
「僕は、孤児でした。だからこそ、貧しい人々の現状を知っています。僕自身がずっと経験してきたことなので、痛いほどよく分かっています。……でも、その苦しみは、豊かな暮らしを送っている人たちにはなかなか共感してもらえないことなのだと、それも理解しています。貧しい者たちの言葉は、豊かな人たちへ届かない。届ける機会すら、無いに等しい。──でも、僕ならば、伝えられるかもしれません。ウィスタリア王国の貧富の差がどれほど大きいものか、それを次期国王陛下へ伝えられる機会を、神様からいただけたのです。僕は、この好機を、神に感謝しています」
大広間に集う一同は、キリエの言葉へ真剣に耳を傾けていた。後方にいる賓客には声が届いていないだろうが、彼らが必死に聞き取ろうとしている様子は窺える。
孤児上がりの王子が何を言っているんだ、と馬鹿にしているような者は誰一人いなかった。ある者は感銘を受けながら、ある者は戸惑いながら、ある者は神妙な面持ちで、反応は様々ではあるが、小馬鹿にしている人間は誰もいない。キリエは内心で、そのことに感謝をした。
「育てられないからと捨てられてしまう子どもが、満腹を知らないまま飢えて死んでしまう子どもが、沢山います。皆さんの目に入らない場所で、それは実際に起きているのです。それが、ウィスタリア王国の現状です。豊かな人も少なくないでしょう。『普通の暮らし』を送れる人も多いでしょう。けれど、どうしようもなく苦しい日々の中にいる貧困層も決して少なくはないのだと、この貧富の差を縮めるために出来ることがあるはずだと、僕はそれを訴えていきたいと思います」
原稿に綴られているのは、後はもう結びの挨拶だけだ。キリエは紙をリアムへと差し出す。一瞬だけ驚きの表情を浮かべた夜霧の騎士だが、静かに原稿を受け取った。
キリエは、賓客ひとりひとりを見つめるかのようにゆっくりと人々を見渡し、結びの言葉を口にする。
「貧富の差が完全に無くなるとは思っていませんし、それを目標として掲げるつもりもありません。ですが、この国は、もっと国民に優しくなれるはずです。幸福と生命をもっと沢山の人々が手にすることが出来る、優しい王国になってほしい。そのために僕は陰で尽力したい。それが、僕──キリエ=フォン=ウィスタリアの願いです。どうぞ、よろしくお願いいたします。……ご清聴いただき、ありがとうございました」
キリエが丁寧に一礼すると、先陣を切って誰かが手を打ち鳴らし、それがすぐさま伝染して、割れんばかりの拍手が大広間を埋め尽くした。キリエの名を連呼する声の合間に、妖精人だ、神の遣いだ、聖人の生まれ変わりだ、などと称する声も上がる。声を発しているのは、主に地方の街からの使者たちだった。逆に、有力貴族と思われる賓客は複雑な表情を見せている。
雑多な声たちは、誰かの「銀月の君!」という一声を受けて次第に統率されていき、「聖なる銀月の君、キリエ様!」という唱和へ変わっていった。キリエが戸惑うほどの支持の声は、コンラッドが制止するまで続いていた。
◇
次期国王候補たちと各側近は同時に退場し、控室へと戻る。全員が入室したところで、椅子に座るより先に文句を言いたいとばかりに、腰に両手を当てたマデリンがキリエを睨みつけてきた。
「どういうつもりかしら? 貴方、一体何を企んでおいでですの?」
「企む……?」
「国王になるつもりはない、けれども国の方向性を変えられるように努力したい、……そんな耳障りの良い言葉を並べているけれど、結局は貴方もこのウィスタリア王国の頂点を狙っているのでしょう?」
「それは違います。僕は話が下手なので上手く伝わらなかったかもしれませんが、決してそんなつもりではなくて、」
「言い訳は結構。……やはり、貴方とは決着をつけておく必要がありそうね」
不穏な気配を察したのか、なんだかんだ面倒見のいいジェイデンが二人の間へ割って入ってくる。
「マデリン、変に事を荒立てるのはやめるのだよ。キリエはどう見てもただの平和主義者で、国王の座を狙っているとは到底思えない」
「うるさいですわね! 日和見主義者は黙って引っ込んでなさいな!」
苛立った様子でジェイデンを押し退けたマデリンは、何故か左手に嵌めていた白手袋を外し、キリエの足元へ投げ捨ててきた。キリエは首を傾げつつ、腰を屈めて手を伸ばす。
「マデリン、手袋が落ちましたよ?」
「キリエ様! なりません!」
「えっ?」
リアムが慌てて制止の声を発したが、時すでに遅し。キリエは白手袋を拾ってしまっていた。周囲の空気が冷え込んでゆくのを不思議に思いながら、キリエはマデリンへと白手袋を差し出す。マデリンは、不敵な笑みを浮かべてそれを受け取った。
「……キリエ、貴方、ワタクシからの決闘の申し込みを受けましたわね」
「決闘? 何の話ですか?」
「あら、何も知らずに受けて立ったんですの? 無知な人間の無謀さって素晴らしいですわね」
皮肉めいた口調で嗤うマデリンの意図が、キリエには全く分からない。困惑していると、リアムが苦々しく言った。
「キリエ様。手袋の片方を相手へ投げつけるのは決闘の申し込み、それを拾う行為は決闘を受ける意思表示とされているのです」
「え、……えぇっ!?」
キリエは声を震わせ、一気に蒼ざめた。




