【2-42】落ち着く声音
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サリバン邸の裏手にある森は、郊外にあるため訪れる人は少ないが、鬱蒼としているということもなく、晴れた日に散歩をするには最適の場所だった。
アーサーには、バスケットを抱えたキリエが前方に乗り、後ろに乗ったリアムが手綱を持ちつつ支えてくれている。アーサーの歩行はいたって穏やかで、揺れもさほど大きくはない。高い視点からの風景を、キリエは無邪気に楽しんでいた。
「すごいですね……! 馬の上から見る景色って、こんなに高かったでしたっけ?」
「十年前と比べたら、キリエも大きくなっているからな。座高が伸びた分、視点も高くなっているんだろう」
「そっか、そうですよね。ふふっ、風が気持ちいいです」
秋風に揺れている銀髪を見下ろしながら、リアムは安堵したように微笑む。そんな側近の表情が見えているわけではないが、彼が安心したらしい気配が伝わってきて、キリエは苦笑した。
「心配をかけてばかりで、すみません。リアムとアーサーのおかげで、だいぶ落ち着きました」
「謝らなくていい。気分転換になったのなら、良かった。自然の中で吸う空気と動物の温もりは、癒しを与えてくれるものだからな。また、こうして連れて来よう」
「ありがとうございます」
他に通行人が誰もいないからか、屋敷の外ではあるがリアムの口調は砕けたものだ。キリエをリラックスさせる目的があるため、あえてそうしているのかもしれない。
赤や黄に色づいた木々の葉がそよいでいるのを眺めているうちに、キリエの全身を包んでいたような緊張感は消えてゆく。それでも、どうしても不安は掻き消せない。
明日、キリエが次期国王候補であるという事実が公になる。そして、読み上げる挨拶文によって、キリエが次期国王を目指しているわけではないことも、豊かな人だけではなく貧しい人にとっても優しい国になってほしいと願っていることも、明らかになるのだ。
それによって、きっと、誰が敵となり、誰が味方となるのかも、見えてくるようになるはずだ。──キリエは、それが怖かった。
「俺もまだまだ力不足だな」
「えっ?」
唐突な言葉の内容に驚き、キリエは思わず振り向く。リアムに落胆している様子はなく、表情はいたって穏やかだ。優しい微笑を見せたリアムは、片手でキリエの頭を撫でてから手綱を握り直した。
「ほら、危ないからちゃんと前を向いていろ」
「は、はい……、でも、あの、力不足とは?」
「こんなに傍にいても、俺ではキリエの不安を拭ってやることが出来ない。その力不足を嘆いただけだ」
「それは違います! 僕は、君が傍にいてくれることを、本当に心強く思っています」
無意識にまた振り向いてしまったキリエの髪を撫でて前を向くように促し、リアムは静かに言う。
「それは分かっている。……だが、キリエが抱えている不安を完全に拭い去ることは出来ない。それが悔しいんだ」
「それは、──それは、リアムのせいではありません。僕の心の弱さの問題です」
「キリエは、弱くない。自分が持っている強さを、まだよく分かっていないだけだ。……大丈夫だ、キリエ。お前は日々成長している。明日のことも無事に乗り越えて、自分の強さにしていけるはずだ」
リアムが発する柔らかな中低音の声が、心地良い。彼の言葉を受け止めるキリエの胸の内に巣食う不安は、だいぶ小さくなっていた。
「キリエの挨拶文は、転記されたものがルースの街角にも掲示される。その内容はマルティヌス教会の皆にも伝わるだろう」
「ええ、そうですね」
「約束通りキリエが頑張っていると知ったら、エステルもきっと喜ぶはずだ。……頑張ろう、キリエ」
「はい、頑張ります。……見ていてくださいね、リアム」
「ああ。お前の勇姿をこの目に焼き付けておこう」
冗談めかした言葉にも聞こえるが、それはリアムの本心でもある。それを分かっているからこそ、キリエは「はい」としっかり返事をするのだった。




