【2-38】師弟の手合わせ
◆◆◆
マデリンの茶会の翌日、キリエは自室の机でペンを片手に頭を悩ませていた。御披露目の儀で読み上げる挨拶文を考えているのだが、これがなかなか難しい。
キリエの素直な気持ちをそのまま出せばいい、難しい言葉も飾り立てた言葉もいらない、──そう言い残したリアムは、ずっと横で監視されていても書きづらいだろうからと退室してしまった。
単独文字ではあるが、一応は最後まで書き上げた。しかし、あまりにも単純な内容になってしまい、果たして本当にこれでいいのだろうかと悩んでしまう。紙面をじっと見つめていると、ノックの音が響いた。
「キリエ様、よろしいでしょうか?」
「どうぞ、お入りください」
「失礼いたします」
一礼して入室してきたのは、セシルだ。相変わらずメイド服がよく似合っている彼は、キリエと目が合うと柔和な微笑を浮かべる。
「捗っていらっしゃいますか?」
「えぇと……、最後まで書けたといえば書けたんですけど、全然自信が無くて」
「もう書かれたのですね! とてもお早いじゃないですか。素晴らしいです」
「いえ、書いたといっても、単独文字ですので……」
手にしている紙を見せると、近寄ってきたセシルは文字を目で追いながら笑みを深めた。
「単独文字で丁寧に文章を書く方が難しいんじゃないかな、とボクは思います。単独文字の方が筆圧が強くなるので、手も疲れちゃいますしね。それに、とても素敵な御挨拶文だと思います。キリエ様らしさがいっぱい出ている、とても優しい文章ですね。リアム様もきっと、たくさんお褒めくださるはずです」
「そうでしょうか……、あっ、そうだ。セシル、何か用事があったのではないですか?」
「あっ、そうでした。もし、少しお時間をいただけそうでしたら、ご一緒にいかがでしょうか? ってお誘いに来たんです」
上機嫌に微笑んでいるセシルの笑顔は、とても楽しそうであると同時に、少し悪戯めいたものでもある。何かキリエを驚かせようとしているのかもしれない。
「ちょうど一息つきたかったので、お誘いはとても嬉しいのですが……、何のお誘いでしょう? お茶の時間にはまだ少し早いですよね」
「それは、実際にご覧になるまでは秘密にしておいたほうが、キリエ様のドキドキ感とワクワク感が増すと思いますよ。大丈夫です、お屋敷からは出ませんし、危険は何も無いので、そこはご安心ください」
よく分からないが、セシルがキリエへ不親切な提案をするとは思えない。キリエは笑顔で頷いた。
「セシルがそこまで言うのなら、きっと素敵な驚きが待ち受けているのでしょうね。分かりました。では、詳細は不明なまま、ご一緒させていただきます」
「ありがとうございます! ふふっ、キリエ様が瞳を輝かせていらっしゃる姿が目に浮かぶようです。それでは、参りましょうか」
セシルはキリエの手を取って立ち上がらせ、繋いだ手をそのまま引いてエスコートを始めた。
◇
──セシルの予言通り、キリエは瞳を輝かせていた。
サリバン邸の裏庭が見渡せる廊下の窓越しに眺めているのは、リアムとジョセフの手合わせだ。木剣を手にしている彼らは、真剣な面持ちで素早い打ち合いを重ねている。普段の温厚さが嘘のような気迫を纏っているジョセフにも驚かされるが、師の鮮烈な攻撃に一歩も引けを取らないリアムの動きも凄い。
月夜の人形会とリアムの戦闘時キリエは正気を失っていたし、十年前に助けられたときも野犬を相手にしていたのは一瞬だけだったため、彼が闘っている姿を見るのは実質初めてだ。
「すごい……! すごい迫力ですね、セシル!」
「そうでしょう? 普段のジョセフさんからは想像できませんけど、こうして見ると、リアム様のお師匠さんというのも納得できますよね」
「ええ、本当に。二人とも、いつもの穏やかで優しい姿からは想像もできないですね。でも、とても凛々しくて格好いいです!」
ジョセフの隙を突こうとして繰り出されたリアムの拳は、素早く反応して振られた木剣によって容易く防がれてしまう。その合間にジョセフが蹴り出した脚を、後ろに跳ね飛ぶことでリアムは防いだ。
「……そんなに剣を使わないというか、剣だけではなく随分と手足を使って攻撃をするんですね」
戦闘の様子を見守っているうちに気づいたことをキリエが口に出すと、セシルは楽しそうに手を叩いて頷く。
「さすが、キリエ様! 少し見ただけで、よく気づかれましたね。そうなんです、リアム様は騎士の中では珍しく体術をかなり取り入れた戦い方をなさいます。それは、ジョセフさんからの教えを忠実に守られているんだとか」
「気づいたというか、僕は戦いなどにも疎いので、騎士といえば剣で戦うという絵本の知識しか無かったのですが……、ああいう形は珍しいのですか?」
「はい。キリエ様が今仰っていたように、騎士は基本的に武器や防具を打ち合わせる、いわば型に嵌まった戦い方が基本です。皆が似たような動きをするんです」
セシル曰く、王国騎士は基本的に王城周辺の警備・王族の警護が仕事で、大きな危険は殆ど無いうえに武器も防具も高級で質が良いものを与えられるため、型通りの強さでも十分に対応できるらしい。
実際、今までもそれでどうにかなっているからこそ、ウィスタリア王家は千年近く続いているのだろう。隣国とも休戦協定を結んでいるため、戦争も百年以上起きていないのだ。王家へ仇為さんとする者も殆どいない。ウィスタリア王国は、いたって平和な国だった。
「でも、ジョセフさんは元々傭兵で騎士以上に危険なお仕事も多く、そんなお行儀の良い戦い方だけではいけないと常々お考えだったので、リアム様にもそのように教えられたそうですよ。本当に強くなりたいのであれば、剣ではなく己の手足を鍛え上げなさい、と」
「そして、教わった通り本当に強くなって、最高の騎士になったのですね」
「はい、そう聞いています。最強の傭兵が教え導いた、最高の騎士です」
剣を打ち合わせる合間に手足を繰り出している彼らは、己の隙を見せようとはしないが、その一方で相手の一瞬の隙を掴んでやろうという貪欲さを垣間見せている。
リアムの木剣がジョセフの持つそれを弾き飛ばす──と思われたが、それを防いだジョセフの木剣の先がリアムの喉元に突き付けられた。勝負はついたようだ。
互いに姿勢を正して丁寧に一礼した彼らは、窓辺の見物人に気がついたようで、庭と廊下を繋げている小さな扉から屋内へ入ってきて笑顔を見せた。
「キリエ、見ていたのか」
「はい! セシルが誘ってくださったので、勝手ながら見学させていただきました。リアム、ジョセフ、お疲れ様でした。迫力のある手合わせでしたね」
「恐縮です。しかし、私もだいぶ年を取ってしまいましたので、リアム様の動きについていくのが精一杯になってまいりました。リアム様御自身も、かなりお強くなられましたからね」
「よく言う。俺に勝ちを譲ってくれたことなど、一度も無いくせに」
穏やかな笑顔で語り合う二人の雰囲気はいつも通り優しいもので、先程の鋭さや凛々しさは見られない。しかし、彼らが戦闘態勢に移ったときの強さを目の当たりにした興奮は、キリエの中に確かにある。
「二人とも、とても格好よかったです!」
キリエがはしゃいで笑う姿を見て、その場の三人もまた嬉しそうに目を細めるのだった。




