【2-36】元婚約者
◇
無機質な使用人たちに見送られながら玄関外へ出ると、サリバン家の馬車が停められており、傍らにはエドワードが立っていた。
「キリエ様、リアム様、おかえりなさいませ!」
美しい笑顔と綺麗な姿勢での一礼で出迎えるエドワードに、周囲のメイドたちは仄かに頬を染めている。これまでずっと人形のような印象だった彼女たちだが、絶世の美男には心を動かされたようだ。普段の言動を押し込めた完全仕事仕様のエドワードは、何の欠点もない爽やかな美青年にしか見えないので、彼女たちがときめくのも無理はない。
「エド、俺たちが乗り込んだらすぐに出発してくれ。行先は家で大丈夫だ」
「かしこまりましたぁ!」
エドワードの好印象を残したまま立ち去るべきだと考えたのか、リアムは口早に指示をした。それを知ってか知らずか、エドワードは元気な返事だけを残してさっさと御者台へ向かって駆けてゆく。相変わらずの俊足だ。
リアムは馬車の扉を開け、キリエへと手を差し出した。
「どうぞ、キリエ様」
「ありがとうございます」
リアムの手を借りて、キリエは馬車へと乗り込む。静かに扉を閉めたリアムは、早足で反対側へと回り、さっさと乗車した。二人が乗り込んだのを確認したエドワードは、言いつけ通りすぐに馬たちへ発車指示を出す。マデリンの屋敷の敷地を抜けたところで、キリエとリアムは同時に深い溜息をついた。
「お疲れさま、キリエ。しんどかっただろう?」
「いえ、僕は大丈夫です。……それより、」
リアムの方が辛そうに見えた、とそのまま伝えることは憚られ、キリエは一度唇を噤む。彼とランドルフの間に何があるのか気になるが、そこまで不躾に踏み込んでよいものか。少し悩んだ末、キリエは別の言葉を口にした。
「──それより、助けてくださってありがとうございました。……そして、ごめんなさい。君に恥ずかしい思いをさせてしまったことが、悔しくてなりません。もっと常識やテーブルマナーを身につけるようにしなくては、駄目ですね」
「いや、とんでもない。それに、俺は恥ずかしいとは全く思っていない。招待客に恥をかかせようとする企みの方が恥ずかしいものだと、そう考えている。キリエは何も悪くない。お前がきちんと頑張っていることは、俺も、周囲の者たちも分かっている」
騎士の大きな手が、銀色の頭を撫でる。柔らかな銀髪の感触を楽しみながら、リアムは優しく言った。
「あと、俺に変な遠慮はしなくていい。何か訊きたいことがあるんじゃないか?」
「そ、それは……」
「大丈夫だ。俺は、お前に隠しておきたいことなんて無い。何でも晒け出せる。……俺とランドルフのことが、気になっているんだろう?」
キリエが答える前に、リアムはさっさと話し始める。
「必要性を感じなかったから話していなかっただけで、隠していたわけではないんだが、ランドルフの妻は俺の元婚約者だ」
「え……っ」
やはり、触れてはいけない話題だったのではないだろうか。キリエは青ざめて絶句したが、リアムは気丈に微笑んで続きを語った。
「ランドルフのせいじゃない。サリバン家のせいなんだ。──ランドルフの妻・ソフィアは、元々は、幼い頃から俺の婚約者だった。親同士が決めた許嫁ではあったが、まぁ……俺も彼女も互いに納得している婚約だった」
先程の騎士たちのやり取りから察するに、婚約を納得していたどころか、リアムとソフィアは互いに愛し合っていたのではないだろうか。少なくとも、リアムからソフィアへ向けていた愛情は本物だったと思われる。
だが、リアムの強がりを崩そうなどと野暮なことはキリエは考えていない。黙って耳を傾けた。
「サリバン家が没落した一連の騒動を理由として、彼女の両親から婚約を破棄したいという申し出があった。俺は、もちろん承諾した。サリバン家のせいで先方の家名に傷をつけてしまうのは避けたかったからな。……挙式まであと数ヶ月という時期だったが、招待状を出す直前だったから、それは不幸中の幸いだったと思う。結果的に、先方の家が受けた痛手は少なくて済んだ」
先方の家名や地位は守られたのかもしれないが、結婚直前だった二人の心は深く傷ついたのではないだろうか。キリエは話を聞いているだけで心が痛み、自身の胸にそっと手を添えた。
「ソフィアとは、もう五年も顔を合わせていない。……俺が遠征任務に就く直前、彼女の方から会いに来てくれたのが最後だ。任務から帰還したときにはもう、父が母を殺害した件が王都でも騒ぎになっていたからな。俺の方から彼女の生家を訪ねて迷惑を掛けたくなかったし、彼女の方からも姿を見せることは無かったんだ。だから、五年前の遠征前に見送ってもらったとき以来、ソフィアに会う機会は無かった」
「……そう、だったのですね」
「ああ。三年前、ランドルフとソフィアが結婚した。経緯はどうであれ、ランドルフは王国騎士団長の息子であり、王国一の騎士であるとされている。ソフィア自身の気持ちは分からなかったが、少なくとも彼女の両親にとってのランドルフは、娘の結婚相手として申し分ない相手だったんだろう。一応、結婚式への招待状は貰っていたんだが、せっかくのめでたい席に俺の存在が水を差すのも嫌だから、欠席させてもらったんだ。……どうしているのかと、時々、気にはなっていたんだが。子供を授かったのなら、幸せに過ごしているんだろう。……良かった」
キリエは、ちらりとリアムを見上げる。彼の横顔は穏やかで、ソフィアの幸せを祝福している気持ちは嘘ではないのだろう。けれども、彼女の妊娠を知らされたとき、リアムは一瞬とはいえ傷ついた顔をしていた。少なからず、ショックだったのではないだろうか。愛していた元婚約者がランドルフの妻になってしまったことを改めて実感して、辛かったのではないだろうか。
恋愛事に疎いキリエでも、リアムの立場は非常に辛く切ないものであることは理解できる。
「リアム、……辛いときには、辛いって言ってほしいです」
「ん?」
「僕では頼りないかもしれないですが、僕だって、君に頼ってほしいですし、君を支えたいです。……たまには、君も寄りかかってください。友人なのですから」
キリエの言葉を聞き、藍紫の瞳が少しだけ揺れる。そして彼は、キリエを見つめて嬉しそうに笑った。
「ありがとう、キリエ。こうして話を聞いてもらうことで、俺はとても癒されている。頼りにしているし、支えられている。それは、本当のことだ」
「はい。……でも、もっと頼ってもらえるように、もっとちゃんと君を支えられるように、僕……、頑張りますね」
そう言ってキリエが笑うと、リアムは再び銀色の頭を撫でてくる。彼の穏やかな眼差しには、もう哀しみは滲んでいなかった。




