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夜霧の騎士と聖なる銀月  作者: 羽鳥くらら
第2章
38/335

【2-20】静かな夜更け

 ◆◆◆



 入浴や軽い夕食なども済んで就寝時間になり、キリエは自室として宛がわれた部屋の寝台に一人で寝そべっていた。リアムも隣の自室へ行ったため、久しぶりに一人きりになった気分だ。

 使用人たちが綺麗に整えてくれた部屋は、キリエだけが過ごすには広すぎて、なんだか寂しい。そもそも、マルティヌス教会では一人部屋など無かったし、寝台だって子どもたちと一緒に使っていた。そう考えれば、純粋に一人だけの時間など、あまり過ごしたことがない。そこに思い至り、キリエは淋しさを噛みしめた。


 ようやく一日が終わろうとしているが、今日という日はやけに長かったように感じる。月夜の人形会の襲来、王都への到着、兄弟たちとの面談、サリバン邸への入居──本当に色々なことがあった。

 だが、まだまだ序章に過ぎない。現時点では王都に到着したというだけであり、次期国王選抜への干渉は何ひとつ出来ていないのだ。


 疲れているはずなのに、妙に目が冴えてしまっている。窓越しに月を見つめながら、キリエは何度目になるか分からない溜息を零した。

 エステルは、神父は、子どもたちは、どうしているだろう。自分が抜けて減ってしまった分の収入は、どのようにして埋めていくのだろうか。働いていた果物屋へは、誰か連絡をしてくれたのだろうか。──心配事は尽きない。


 そのとき、不意に部屋の扉がノックされる。キリエは弾かれたように上体を起こし、慌てて声を出した。


「は、はいっ」

「キリエ、俺だ。入るぞ」

「はい、どうぞ」


 静かに入室してきたリアムは、寝衣に着替えている。もう深夜なのだから、彼も寝ていたはずだ。何か不測の事態にでも陥ったのだろうか。

 寝台の側へ寄って来たリアムを、キリエは不安げに見上げる。銀色の瞳を見つめ返す夜霧の騎士は、腰を屈めながら穏やかに問いかけてきた。


「眠れないのか?」

「え……?」

「いつまで経っても眠っている様子が無いから、心配になって様子を見に来たんだ」

「……君の部屋からこっちを覗く穴でもあるんですか?」


 キリエが寝ているか起きているかなど、普通は隣の部屋から分からないはずだ。キリエが大いびきをかく体質であれば話は別だろうが、そういうわけではない。

 不思議に思って首を傾げているキリエを見下ろしながら、リアムは軽く笑って首を振る。


「覗き穴なんか無いし、別にお前を監視しているわけじゃない。ただ、俺は他者の気配に敏感だからな、隣の部屋にいるキリエの状態は何となく分かる。寝ているのか起きているのかくらいの大雑把な判断は、簡単なんだ」


 それは大雑把な判断とは思えないキリエだったが、そういえばリアムは月夜の人形会が迫ってきていたときにも彼らが殺していたはずの気配を察知していたと思い出す。世間的には珍しい特技だろうが、リアム自身が簡単に出来ると言っているのだから、とりあえずはそういうものなのだろうと納得することにした。


「心配をかけてしまって、すみません。ちょっと目が冴えて眠れなかっただけなんです。気にしないで、リアムは寝てください。疲れているでしょう?」

「謝らなくていい。それに、疲れているのはお互い様だ。むしろ、キリエの方が何倍も疲れているはずだろう。何か気になることでもあるのか?」

「いえ……、何かが気掛かりというわけでもないんです。ただ、今日は本当に色んなことがあったなぁとか、教会のみんなはどうしているかなぁとか、これからどうなっていくのかなぁとか、とりとめのないことを考えていただけで。──あとは、一人で寝ることにあまり慣れていないから、少し緊張しているのかもしれませんね」

「……独り寝に、慣れていない?」


 キリエの言葉を反芻するリアムは、何故か複雑な面持ちになる。不思議がっているというより、信じがたい真実でも突き付けられたかのような表情だ。


「はい。教会では一人部屋なんてなくて、ざっくりと男部屋と女部屋に分かれているだけでしたから。寝台の数も足りないから、僕は幼い子どもたちと一緒に眠っていたんです」

「ああ、なるほど。そういうことか」


 キリエの言葉を聞き、藍紫の瞳は安堵したように優しい色を取り戻した。リアムが何を思っていたのかはキリエには分からないが、分かってもらえたならそれでいい。銀髪の青年は頷いた。


「常に誰かの寝息や寝返りの音が聞こえる環境でしか眠っていませんでしたし、こうして静かな部屋に一人でいるというのも初めてで。だから、なんだか落ち着かないのかもしれませんね。……でも、大丈夫ですよ。眠気が無いわけじゃないですし、そのうち寝られると思います。気にしないで、君は休んでください」


 キリエはそう勧めたのだが、リアムは首を振る。しかし、そんな仕草を見せながらも彼は屈めていた腰を戻し、まっすぐに立った。やはり自室へ戻って就寝することにしたのかと思いきや、彼は予想外の言葉を口にする。


「少し退室するが、すぐに戻ってくる。俺を待つ必要は無いし、寝れそうだったら眠ってくれていて構わないからな」

「えっ、あの……」

「じゃあ、行ってくる」


 リアムはそれ以上の説明をすることなく、さっさと退室して行った。

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