【4-38】隠しごとの重さ
しん、と静寂が満ちる。誰一人として言葉を発せず、身じろぎすらしなかった。そのまま沈黙が時間を潰してしまわないようにするためか、イヴが再び唇を開く。
「……カインは喜々として、あたしに語って聞かせた。あの地には半妖精人がいて、おそらくその父親がウィスタリアの国王だ。何らかの理由で結婚が叶わず、心を病んだのだろう、と。……そして、こう言って嘲笑った。あんなに嬉しそうに飛び降りてくるなんて愚かな男だ、銀髪というだけで飛び降りるほど飢えていたなんて、と」
「……」
「ゾッとした。あまりにも残忍だ。……アベルにはとても言えなかった。あの子は、本当に優しい子。マデリンの怪我を治してあげたいと最初に言い出したのも、アベルだった」
イヴは窓の外へと視線を向けたが、王都郊外の此処は街灯も殆ど無く、夜にはほぼ何も見えないに等しい。それでも宵闇をじっと見据えているのは、キリエの視線を真正面から受け止める気力が無いからかもしれなかった。
「アベルは何も知らない。だから、カインが半妖精人の従者へ死の呪いを掛けたと語り聞かせても、不快感をおぼえただろうけどそれだけだった。……でも、あたしは察した。その半妖精人は、先代国王の子どもだろう、と。カインはまた半妖精人に縁のある者の命を狙ったのか、と」
「……」
「マデリンがキリエを訪ねるといいと言い出して、キリエは銀髪銀眼だと教えてくれたとき、カインが目をつけていた半妖精人こそがキリエ=フォン=ウィスタリアなのだとすぐに察した。……だから、なんとしても助けなければと思った」
「……君は、罪悪感を抱いているのですか? なぜ?」
ずっと黙って聞いていたキリエは、そこで問いを挟む。口調は柔らかく、声音は優しい。正面からおずおずと目線を向けられたキリエは、それをあたたかく受け止めた。
「確かに、カインがしたのは酷いことです。でも、それはイヴには何の関係もないことでしょう?」
「……直接関わってはいないけど、一応あいつはあたしの兄だ。家族の暴走を食い止められず、ましてや妖精人の血を引く存在を苦しめているのを阻止できないなんて、不甲斐ない」
「でも、」
「とにかく、カインはそういう男だ。キリエに対して、とても酷いことをしている男。だから、彼を討つことに貴方が罪悪感をもつ必要など、何ひとつ無い。……それと、優しくてお人好しなアベルはともかく、あたしはそういう経緯で負い目があって協力している部分がある。もっと遠慮せずにこき使ってくれて構わない。決戦の時も近い。だから今のうちに伝えておきたかった。……、……いや、違う」
有無を言わさず淡々と言葉を重ねていたイヴが、ふと唇を噤む。それまでの凛とした空気が崩れ、どこか頼りなげにも見える雰囲気を纏わせた彼女は、疲れたように俯いた。
「今更カインの悪行をひとつ多く教えたところで、キリエの気持ちはそう簡単には動かない。この事実を打ち明けたからといって、キリエの中にカインへの殺意が急激に湧き上がるわけじゃない」
「それは……、その、……否定は出来ませんが」
「そうだろうとも。そして、あたしを責めてこき使いたがるわけもない。キリエは、そういうひとじゃない」
キリエの背後からじっと様子を見ていたリアムが、静かに質問を投げ掛ける。
「それを分かっていながら、どうして君はキリエ様に打ち明けた? この大事な時期に、この方の御心を乱すようなことを、何故わざわざ話したりした?」
「……」
「リアム、イヴを責めるような問い方はやめてください」
唇を噛みしめて俯き続けるイヴを見て心配になったキリエは、思わず振り返って抗議した。しかし、リアムは首を振り、冷静に言う。
「責めたいわけではございません。ただ、今宵のキリエ様はお疲れだと把握していながら、それでもあえてこのような話を持ち込んできた意図は何なのかと。貴方の従者として、理解しておきたいだけでございます」
要は、彼は静かな怒りを感じているのだ。キリエの精神を悪戯に乱すような告白だと捉え、憤りをおぼえている。
だが、イヴはキリエへ悪意を抱いておらず、むしろ心配してくれることばかりだ。彼女が意味も無く打ち明けてきたとも思えず、キリエは二人の間で狼狽えた。
「……キリエ、申し訳ない」
「え……っ?」
唐突に謝罪してきたイヴが心配になったキリエは席を立ってイヴの横で膝立ちになり、彼女の顔を覗き込もうとする。大体のことはキリエの望み通りにしてくれるリアムでも見逃せないらしく、彼は溜息まじりに咎めるような声を上げた。
「キリエ様、そのような体勢で、」
「リアム。イヴは僕の家臣ではなく、この国の民でもありません。彼女は、共通の敵を討つべく手を取っている対等な協力者。問題無いはずです」
「いえ、しかし、」
「イヴ。僕は君に謝ってもらわねばならない仕打ちを受けたとは思いません。今の話を聞かせてくれたのも、善意からでしょう?」
キリエはリアムの言葉を遮ってイヴへ声を掛けたが、彼女は何度も首を振る。
「違う」
「……イヴ?」
「違う。……あたし自身のためだ。キリエのためじゃない。キリエのためになっていない。……あたしのためでしか、ない」
ぽたり、ぽたり。相変わらず感情が読めないイヴの瞳から、大粒の涙が落ちてゆく。いくつもいくつも零れ落ち、いつしか涙の筋となっても拭うことなく、イヴは茫然と呟いた。
「日々、キリエの側にいて、アベルと貴方が屈託なく会話をしているのを見守っていて、……そんな毎日を送っていて、段々と秘密を抱えきれなくなっていった。あと、ひと月。あとひと月で決着がつくはずで、そうしたらあたしは普通に秘密を持ち帰れたはずだ。……でも、ひと月も抱えていられそうになかった。手離したいと望んだ、それはあたしの弱さだ。……申し訳ない」
キリエはイヴの涙を拭おうと手を伸ばしかけ、引っ込める。そして立ち上がり、イヴの頭を抱きしめた。
「キリエ様!?」
「キ、キリエ、なに……?」
慌てているリアムと、戸惑っているイヴを無視して、キリエはそのままイヴの頭を撫でる。
「頭を撫でてもらうと、落ち着きませんか? ……イヴ、頑張りましたね。イヴはアベルを優しいと言っていて、確かにアベルは優しいですが、イヴだって優しいひとです」
「キリエ……」
「僕は、今夜の話を聞いて良かったと思っています。カインや父への気持ちに変化はありませんが、イヴの辛さをほんの少しでも共有できましたから」
「キリエ、あたしは……っ」
「後悔も、自分を責めることもしなくていいのです。君は、何も悪くない。そんなに泣いたら、目が腫れて、アベルが心配してしまいますよ」
キリエがそう言って宥めると、イヴは逆に嗚咽を漏らして泣き始めた。キリエはそんな彼女が泣き止むまで緑色の頭を根気よく撫で続け、リアムはその様子を複雑そうに見守っていた。




