【4-36】あと一月
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──季節は秋から冬へと移り、年末の決戦日まであと一ヶ月となった。
王族から一般国民に至るまで、皆が慌ただしく年末へ向けて動いている。隣国を交えて海の向こうの国の覇者と戦いを起こす、という事態に対し戸惑う民は多かったが、戦の矢面に立つのは王族と王国騎士たちであり、隣国からも兵力を補ってもらうけれども一般国民から新たに徴兵することは一切しないとジェイデンが何度も根気強く声明を発表し続けた結果、今では、国民たちは王家からの指示へ素直に従うようになっている。
一般国民と共に避難するなど有り得ないと主張していた貴族たちも事の大きさに現実味と恐れを抱き始めたのか徐々に態度を改め、王家に対し金銭もしくは物資での援助を申し出る家も増えてきた。戦いが終わった後の出世欲から擦り寄ってきている可能性も高いのだろうが、国民の大避難で多大な予算を必要としているのは確かであるので、ジェイデンとコンラッドは相手を見極めつつ慎重に、申し出はありがたく受け取っているようだ。
爵位は持たないながらも裕福な地方商家等からも、支援の申し出が増えてきている。そのひとつに、エステルの嫁ぎ先があった。ルース地方の領主を通しているわけではなく、おそらくはエステルの働きかけで援助を申し出てきたのだろう。コンラッドの気遣いにより、その家への礼状はキリエが書かせてもらった。
避難場所での仮設家屋も、続々と建てられている。本当に一時的な簡易避難所であると想定し、すぐに解体せねばならないと考えれば、実に単純な建物でいい。それならば、建築関係者の指導のもとであれば素人でも作業に参加できるはずだ。そこで、王都内やその近隣の失業者たちを作業員として確保し各避難地へと派遣することをキリエが提案し、実行された。一時的な仕事と賃金であってもありがたい、これで冬が越せる、と失業していた者たちから感謝の声が多く届いている。
リツやチェットも現在はウィスタリア王都に常駐しており、ジョセフとレオンが中心となって教示している兵たちの練度も上がってきている。各々がそれぞれの役割を果たすべく、決戦へ向けて粛々と備えていた。
──その間、カインからの接触は一切無く、奇妙な静けさが続いている。
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「だから言ったでしょ。カインは約束の日まで何もしてこない、って」
食堂で夕食後の茶を飲んでいるキリエへ、相変わらず好んでメイド服を着ているイヴがどこか得意気に言って胸を張る。表情の変化が乏しいのは今も同じだが、彼女も弟のアベルも感情の起伏は言動に表れるようになってきた。
「ええ。……正直なところ、意外です。ここちらが慌てて準備をしているところに奇襲をかけたほうが、あちらの勝率は上がりそうな気がするのに」
海を渡って他国へ行くという発想が無いウィスタリア三国には、当然ながら渡航の備えが全く無く、年末までにこちらから攻め入ることは出来ない。しかし、逆にカイン側が勝手にこちらを襲撃することは可能なのだ。
いくらイヴとアベルがウィスタリア側に協力的な魔族で、彼らが「カインが約束の期日前に攻めてくることはない」と何度も断言していても、皆はどうしても不安が拭えずにいた。
「あいつは、奇襲なんて真似をしなくても勝てる自信があるんだよ。万全を期している一同を殲滅する快感を味わいたい、とでも思ってるんじゃない」
近くの窓枠に凭れているアベル(当然のように燕尾服を着ている)が憂鬱な溜息混じりに零すと、イヴも頷く。
「それと、奇襲を掛けてくるんじゃないかと此処の人たちが怯えているんだろうな、と妄想して楽しんでいるはず。わざわざ日時を指定して出現予告をしているのに勝手に怯えているなんて滑稽な、と小馬鹿にして楽しみたいんじゃない? そういう性格だよ、カインは」
「つくづく嫌な奴だな」
キリエの傍で給仕していたリアムが、思わずといったように呟いた。魔族の姉弟はそれに同意して深々と頷く。キリエは何とも言えず、口元に苦笑を浮かべるだけにとどめた。そして、違う方向性での本心を言葉にする。
「約束の日まで、あとひと月となってしまいました。……なんだか、怖いです」
「怖い? 何が?」
即座に質問を投げ掛けてきたイヴへ、キリエは弱々しい笑みを向けた。
「色々なことが。言葉にまとめきれない、色々なことです」
「そう」
イヴはそれ以上は深追いすることなく、頷いてあっさりと引き下がる。そんなやり取りを眺めていたアベルは、ちらりとリアムを見た。
「ねぇ、キリエは疲れてるんじゃない? ここ数日、ずっと王城に通いっぱなしでしょ。明日は外出の予定は無いみたいだけど、早めに休ませてあげたほうがいいかも」
「ああ、そうだな。……キリエ様、いかがでしょう。本日はもう、お休みになられては?」
「えぇと、……そうですね。確かに少し頭がぼーっとするかもしれません。明日に備えて早めに寝てもいいですか?」
「勿論でございます。参りましょう」
リアムに手を引かれて立ち上がるキリエへ、イヴとアベルが気遣わしげな視線を向けてくる。
「キリエ、大丈夫? 頭痛はしない?」
「痛みを和らげる魔石、あげようか?」
懐から石を取り出そうとするアベルに対し、キリエは慌てて首を振った。
「いえいえ、大丈夫です! 頭が痛むわけではないですし、その貴重な石は年末のために取っておいてください。魔石を作るのだって大変なのですから」
「そう? ぼくは別に大変じゃないんだけど……、まぁ、いいか。ゆっくり休んでね。おやすみ、キリエ」
「また明日。おやすみ、キリエ」
手を振ってくれる姉弟、そして入口近くに控えており一礼してくるセシル、それぞれへ「おやすみなさい」と挨拶してから、キリエは自室へ向かった。




